2016年10月04日

臨床ダイアリー12(番外編):社交不安症について

臨床ダイアリー12(番外編):社交不安症について
2016.⒑04(火曜日)『私、コミュニケーションが苦手です』
1.はじめに
 臨床ダイアリー12を読んでくれた研修医Wさんから臨床ダイアリー12を質疑応答の形式にしてはどうかという話があったので、彼女の意見を聞くと、私の拙い話よりも数倍分かりやすかったので、実験的に番外編として臨床ダイアリーに載せることにしました。原稿用紙10枚ほどの短さになっているのも嬉しいですね。

2.研修医Wさんとの質疑応答 
W:コミュニケーションが苦手です、という人、思春期から大人まで、多いように思いますが、一体、何が原因 で、どうしたら治るのでしょうか?
川谷:いわゆるコミュニケーション障害、というのは、神経発達症の一つで、子どもの時に診断されます。川谷 医院を受診される方の多くは青年期以降の方で、よくよく話を聞くと、社交不安症のためにコミュニケーショ ンが取れなくなっている人がほとんどです。
W:社交不安症というと、人前で緊張し、声が震え、手に汗をかき、顔は引きつり、頭の中は真っ白になり、対 人交流が滑らかにできない状態ですよね。
川谷:そうです。共通するのは、うまく会話ができない、という主訴です。「Tシャツを買いにお店に入って店 員さんが近づくと逃げるように帰ります」という人、留守番をしているときに宅急便がやってきても「原則、 私は出ません。居留守を使います」という青年、そして「PTAや地域の交流会などでとても緊張して、でき たら避けたいけどそれもできないので、とても辛いです」と訴えるお母さんも少なくありません。大学を出た ばかりのある女性会社員は「会社で電話に出ることができません」と泣きながら受診されました。ワンフロア ―の一画に十人ほどの部署があり、そこに彼女のデスクがある。黙々と働いている他の社員を前に電話に出る と、周りの人が聞いていると考えると、会話をするのができないというのです。
川谷:DSM-5の診断基準は、こうなっています。
 A.他者の注視を浴びる可能性のある1つ以上の社交場面に対する,著しい恐怖または不安。
  例:社交的なやりとり(例:雑談すること、よく知らない人に会うこと)
  見られること(例:食べたり飲んだりすること)
  他者の前で何らかの動作をすること(例:談話すること)が含まれる。
  注:子どもの場合、その不安は成人との交流だけでなく、仲間たちと   の状況でも起きるものでなけれ  ばならない。
 B.その人は、ある振る舞いをするか、または不安症状を見せることが、否定的な評価を受けることになると  恐れている(すなわち、恥をかいたり恥ずかしい思いをするだろう、拒絶されたり、他者の迷惑になるだろ  う)。
 C.その社交状況はほとんど常に恐怖または不安を誘発する。
  注:子どもの場合、泣く、癇癪、凍りつく、まといつく、縮みあがる、または、社交状況で話せないという  形で、その恐怖または不安が表現されることがある。
 D.その社交的状況は回避され、または、強い恐怖または不安を感じながら耐え忍ばれる。  
 E.その恐怖または不安は、その社交的状況がもたらす現実の危険や、その社会文化的背景に釣り合わない。
 F.その恐怖、不安、または回避は持続的であり、典型的には6カ月以上続く。
 G.その恐怖、不安または回避は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域  における機能の障害を引き起こしている。
 H、I、J:物質や他の精神疾患(パニック障害、醜形恐怖症、自閉スペクトラム症など)ではうまく説明さ  れないし、身体疾患とは無関係である。」
W:子どもの場合というのは、何歳くらいでみられるんですか?
川谷:社交不安症はアメリカの場合発症年齢は75%が8〜15歳と言われ、その平均値は13歳です。川谷医院を 受診された小学生の中に学校から帰ると玄関先でおもらしする少女がいました。しばらくして、彼女は学校の トイレを「他に誰かがいると排尿できない」という社交不安症状のために使うことができないということが分 かりました。それで学校では排尿を我慢し続け、やっと家にたどり着いてほっとした瞬間におもらしをすると いう事実が分かりました。母親にはそのことをずっと秘密にしていたのだそうです。内気さゆえにトイレを使 えないので、「内気な膀胱症候群shy bladder syndrome」と呼んだりもします。
W:社交不安症の原因は何ですか?
川谷:社交不安症は気質要因の強い疾患です。その気質とは「行動抑制と否定的評価に対する恐怖」です。親戚 や祖父母、ときには両親のどちらかが若い頃社交不安症で苦しんだ人が少なからずいるようです。とは言って も、環境の影響を否定することはできません。子どもの頃の虐待は社交不安症の危険要因の一つです。人と視 線を合わせられないという成人例に幼少期の父親による厳しい叱責が原因だった症例を私は経験しています。
W:元々持った気質に加えて、子ども時代からの環境も影響しているんですね。社交不安症は、対人恐怖症とは 違うんですか?
川谷:対人恐怖症は、社交不安症に近い病態ですが、違いがあります。対人恐怖症は、赤面恐怖(顔が真っ赤に なるのを恐れる)、大衆恐怖(大勢の人たちの前に出るのを恐れる)、演説恐怖(人前でスピーチをするのが 恐い)、談話恐怖(誰かと雑談をするのが恐い)、正視恐怖(視線を合わせるのが怖い)、劣等恐怖(自分が 人より劣っているのではないかと過度に恐れる)、交際恐怖(誰かと交際するのがとても怖い)、異性恐怖(異性が怖い)、長上恐怖(年長者が怖い)、などがあります。
W:一つ一つは、DSM-5の社交不安の症状に当てはまるようですが・・・
川谷:しばしば社交不安症の診断基準を満たしていますが、中には他の人を不快にさせるという恐怖と関連して いて、この恐怖は妄想的に解釈されることが社交不安症との大きな違いです。例えば、『私の視線が他者を不 快にさせる。それで彼らは目をそらし私を避ける』という自己視線恐怖のような妄想的な解釈ですね。」
W:「私も中学生の頃、赤面恐怖があって、人と接するのが怖かったです。だけど、部活の試合で緊張すること に慣れていくうちに、克服したように思います。」
川谷:対人恐怖症と社会不安症のもう一つの違いは、症状に対する態度の違いです。社交不安症では回避、対人 恐怖症では克服という症状への取り組み方の違いが見られるのです。それは精神科治療を求める動機にも現れ ます。両者とも不快な症状から何とか逃れたいというニーズは同じなのですが、対人恐怖症者は精神科治療で 自分を高めようという積極的な動機があるのに対して、社交不安症者は回避機制が強く自分を変えたいという 治療動機は小さい。場合によっては薬だけを求める人も少なくありません。対人恐怖症者は回避行動を自ら克 服しようとするエネルギーを持っていますので、薬を飲むのを嫌がる人が多い。薬に頼る自分を恥じるので  す。父親世代では、逃げる(回避)のは卑怯という武士道精神が根強いのでしょう。ですから、対人恐怖症の 人には、わざわざ博多駅前の中央広場に出かけて人目に自分を晒すといった試みをする強者もいました。社交 不安症ではそのエネルギーは回避行動(人に不審がられないように偽の自分を演じる)に費やされますので、 精神科治療を求める態度や主治医に求めるニードや関係性の質が問題になります。20年前は、社交不安症よ  り、対人恐怖症の方が多かったんですよ。
W:社会の変化が患者像の変化にもみられているんですね
川谷:そうですね。対人恐怖症を生み出した日本の文化が変貌したせいでしょう。対人恐怖症でみられる症状の 元となる自分自身を変えようと努力する姿は、武士道精神に則っているように感じますが、社交不安症では、 人目にさらされるのを回避することに抵抗がありません。
W:日本の文化…環境が変わったために、心の育ち方も変化していき、対人恐怖症から、社交不安症へと病像が 移り変わっていっているのですね。社交不安症を発症する背景に、パーソナリティの問題はあるのでしょう  か?
川谷:社交不安症者は8〜15歳の間に75%の人たちが発症するわけですから、思春期に仲間体験を持てないと いうことは、「自分とは何か」というアイデンティティ形成を暗くし、自分に誇りを持てなくなるというハン ディを負いかねません。「自分は人とどこか違う」「みんなのように普通に生きていけない」という不安や劣 等感を人知れず抱きながら生きていくとパーソナリティ発達も停滞するでしょう。
W:いつ頃から気づかれるのですか?
川谷:割と早いようです。幼稚園時代に発表会などの人目にさらされる状況で始まります。舞台に上がるのを泣 いていやがったり、ダンスをするのを嫌がったり、というエピソードが挙げられます。そして、小学校に上  がってから人知れず社交不安症に苦しみだします。教室に入るときに「おはよう」と言うのが普通に言えない とよく聞きます。もちろん、授業中に自ら手を挙げることはできません。運動会や発表会など、人の目にさら されるのをとても嫌がり、当日になると心身反応のために学校を休んだりする子もいます。
 そこに10歳前後の自我の芽生えの時期がやってきます。この時期は自己を他者の目を通してみる客観性の能力 を獲得する重要な時期です。と同時に、心理的に危うい時期でもあります。と言うのは、この時期の脳活動は 短期記憶よりもエピソード記憶が優勢になり、過去の失敗や恥の体験を長く記憶に留めるようになり、かつ客 観的に自己と他者を比較できるようになるので、この時期の傷つきはトラウマになりやすく、子どもたちに劣 等感と恥を植え付けていくことになるからです。そして青年期に「自分は人よりも劣っている」「つまらない 奴」「化けの皮が剥がれる」といって人と接することを避け、社会的に孤立し、引きこもり青年へと成長して いく危険性を孕んでいるのです。社交不安症のもともとの症状に恥と劣等感とうつ症状が加わるわけですか  ら、この時期を乗り切るのは大変な努力を伴います。
W:青年期になって、一部の人はパーソナリティ障害化するのでしょうか?
川谷:社交不安症の人が青年期以降にパーソナリティ障害化する危険性は低くありません。社交不安に加えて、 幼少期の家庭環境に問題があると、将来BPDへと発展する可能性が高くなります。それが“静かなるBPD”で  す。両親の離婚、虐待、逆ギレする母親、文字通りに反応する母親、などの環境で育ち、さらに高校を中退す るような事態にでもなれば、さらにパーソナリティ障害化の危険性が高くなります。高校を辞めると、緊張場 面からは解放されますが、自尊心は育たないし、自分がどれ程の人間か相対的に自分をみる機会を失うので、 空想世界に自分を求めるしか手段がありません。すると、「他者」あっての「自己」なわけですから、高校中 退は「自己」の成熟を停滞させます。それを私は“静かなるBPD”と呼んでいます さらに、引きこもりが長期 化すると回避性パーソナリティ障害(以下、AvPD)へと発展する可能性も出てきます。AvPD者はいろんな対 人関係場面で強い不安・緊張を感じやすく、そのために対人関係を避けようとする機制(心のクセ)がパーソ ナリティに組織化された人たちなのです。
W:それって社交不安症とどう違うのですか?
川谷:両者は一つのベクトルに乗っているので、社交不安症者が社会から長い間引きこもるという状況はすでに AvPDに発展していると考えてよいでしょう。
W:パーソナリティ障害化されていない人とされた人とでは、治療や予後が大きく変わりそうですね。
川谷:そうですね。SSRIという薬が社交不安症に使われます。10代、20代では効果を上げる人にはある特徴が あります。“普通”の人のように誰とでも打ち解けることはできませんが、地味だけど自分を出せる社交の場を 持ち、パーソナリティ障害化していない方たちです。私は少なくとも1年以上の服薬を勧めています。30代以 上の女性は薬物治療で全員良くなっています。
W:薬が効果を上げない人たちはどのような治療法があるのですか?
川谷:その質問に答えるのは難しいですね。といっても、約半数もいるわけですから、手立てを講じなければな りません。特に、20代の男性が薬の効果が限定的で女性のように効果を上げません。
W:精神療法はあまり行われないのですか?
川谷:社交不安症に苦しむ人の精神療法の継続はとても難しいのです。50分の精神療法は心理的負担が大きいの で、カウンセリングに技法の修正と工夫を要します。認知行動療法と薬物治療の併用が効果的だという論文も 散見されますが、当院では精神分析を応用したカウンセリングを行っています。認知行動療法が効果を上げる 人たちなら、診察以外に時間を取らないでも、薬を使いながら、通常の短時間セッションの保険診療で十分に 効果をあげることができます。川谷医院では、薬が思った以上の効果を上げない人たちにはATスプリット治 療を提供しています。精神科医の診察と心理士による心理療法(カウンセリング)を週1回、50分行う治療法 です。
W:今日は、人とうまくコミュニケーションがとれなくなる「社交不安症」に関する、対人恐怖症との違い、生 い立ちとパーソナリティ発達、そしてパーソナリティ障害化についてお話を聞きました。社交不安症は気質と 環境が複雑に絡みながら進展していくんですね。
川谷:そうです。単純に性格と片付けることはできないし、そのパーソナリティ発達を見ながら、オーダーメイ ドの治療法が必要だと思います。

3.終わりに
 如何でしたか?随分と分かりやすくなったと思います。しばらく対話式でやってみたいと思っています。次回の臨床ダイアリー14は「鴎外のスプリティング」です。スプリッティングはいつか説明したいと思っていた分析用語です。それを鴎外の小説家と医師という2つの顔を彼の小説を題材に説明しようと思っています。
posted by Dr川谷 at 21:34| Comment(0) | 日記

2016年09月19日

臨床ダイアリー12:私、コミュニケーションが苦手です

臨床ダイアリー12:私、コミュニケーションが苦手です

2016.09.19(月曜日)
T.はじめに
 時々「コミュニケーションが苦手です」という相談を受けることがあります。それも20代から40代と幅広い年齢層の方からです。コミュニケーション障害というと、幼少期の頃に見られる子どもの病気です。なのに、川谷医院を受診される方の多くは青年期以降の人たちです。
 よく話を聞くと、子どものコミュニケーション障害という病気ではなくて、社交不安症のためにコミュニケーションが取れなくなっている人がほとんどです。本拙論では、子どもの『コミュニケーション障害』については後日述べることにして、今回は「私、コミュニケーションが苦手です」という主訴で受診される思春期から大人の方の診断と治療について説明しようと思います。

U.社交不安症について
 人前で緊張し、そのために声が震え、手に汗をかき、顔は引きつり、頭の中は真っ白になり、対人交流が滑らかにできないために、「私はコミュニケーションができないので、発達障害と思って受診してきました」という患者さんは少なくありません。さらには、「私は自分では変わっていないと思うのですが、他の人たちからは変わっていると思われている」と悩む患者さんもいました。
 共通するのは、「うまく会話ができない」という主訴です。「Tシャツを買いにお店に入って店員さんが近づくと逃げるように帰ります」という人、留守番をしているときに宅急便がやってきても「原則、私は出ません。居留守を使います」という青年、そして「PTAや地域の交流会などでとても緊張して、できたら避けたいけどそれもできないので、とても辛いです」と訴えるお母さんも少なくありません。大学を出たばかりのある女性会社員は「会社で電話に出ることができません」と泣きながら受診されました。ワンフロア―の一画に十人ほどの部署があり、そこに彼女のデスクがある。黙々と働いている他の社員を前に電話に出ると、周りの人が聞いていると考えると、会話をするのができないというのです。このような相談は、20年以上前は少なかったと記憶しています。
 それ以前は、対人恐怖症の若者が多かった。対人恐怖症とは日本の文化に根ざした社交不安症に近い病態で、中には「自分の視線が他人を不快にする」といって妄想的に解釈する人います。後に詳しく説明しますが、対人恐怖症と社交不安はとても似た病態ですが根本的な違いが見られます。
それでは、社交不安症(SAD)の説明に入ります。川谷医院のHPから精神医療相談室をクリックしていただくと、「精神医療相談室 ドンマイ」に移れます。そこの川谷大治のエッセイに『社会恐怖(社交不安障害)』の項目に辿り着けます。ずいぶん前のエッセイで分かりづらいという評判の高い論文で、名誉挽回で今回は分かりやすく説明したいと思います。
 1.DSM−5の『社交不安症』
 診断基準を以下に示します。
 A.他者の注視を浴びる可能性のある1つ以上の社交場面に対する,著しい恐怖または不安。
   例:社交的なやりとり(例:雑談すること、よく知らない人に会うこと)
     見られること(例:食べたり飲んだりすること)
     他者の前で何らかの動作をすること(例:談話すること)が含まれる。
  注:子どもの場合、その不安は成人との交流だけでなく、仲間たちとの状況でも起きるものでなければなら    ない。
 B.その人は、ある振る舞いをするか、または不安症状を見せることが、否定的な評価を受けることになると   恐れている(すなわち、恥をかいたり恥ずかしい思いをするだろう、拒絶されたり、他者の迷惑になるだ   ろう)。
 C.その社交状況はほとんど常に恐怖または不安を誘発する。
  注:子どもの場合、泣く、癇癪、凍りつく、まといつく、縮みあがる、または、社交状況で話せないという    形で、その恐怖または不安が表現されることがある。
 D.その社交的状況は回避され、または、強い恐怖または不安を感じながら耐え忍ばれる。  
 E.その恐怖または不安は、その社交的状況がもたらす現実の危険や、その社会文化的背景に釣り合わない。
 F.その恐怖、不安、または回避は持続的であり、典型的には6カ月以上続く。
 G.その恐怖、不安または回避は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域   における機能の障害を引き起こしている。
 H、I、J:物質や他の精神疾患(パニック障害、醜形恐怖症、自閉スペクトラム症など)ではうまく説明さ   れないし、身体疾患とは無関係である。

 「注」として子どもの場合が取り上げられていますが、社交不安症はアメリカの場合発症年齢は75%が8〜15歳と言われ、その平均値は13歳です。川谷医院を受診された小学生の中に学校から帰ると玄関先でおもらしする少女がいました。しばらくして、彼女は学校のトイレを「他に誰かがいると排尿できない」という社交不安症状のために使うことができないということが分かりました。それで学校では排尿を我慢し続け、やっと家にたどり着いてほっとした瞬間におもらしをするという事実が分かりました。母親にはそのことをずっと秘密にしていたのだそうです。内気さゆえにトイレを使えないので、「内気な膀胱症候群shy bladder syndrome」と呼んだりもします。
 社交不安症は気質要因の強い疾患です。その気質とは「行動抑制と否定的評価に対する恐怖」です。親戚や祖父母、ときには両親のどちらかが若い頃社交不安症で苦しんだ人が少なからずいるようです。とは言っても、環境の影響を否定することはできません。子どもの頃の虐待は社交不安症の危険要因の一つです。人と視線を合わせられないという成人例に幼少期の父親による厳しい叱責が原因だった症例を私は経験しています。
 2.対人恐怖症との違い
 次に、対人恐怖症との違いに入りましょう。対人恐怖症は日本の文化に根ざした病態で昭和の時代には電信柱に「赤面恐怖治します」などの広告を目にする機会によく遭遇しました。福岡で目にすることは滅多になかったけれど、学会や研究会で東京に出かけた時などに下町ではよく見かけました。対人恐怖症の症状は実に多彩で、赤面恐怖(顔が真っ赤になるのを恐れる)、大衆恐怖(大勢の人たちの前に出るのを恐れる)、演説恐怖(人前でスピーチをするのが恐い)、談話恐怖(誰かと雑談をするのが恐い)、正視恐怖(視線を合わせるのが怖い)、劣等恐怖(自分が人より劣っているのではないかと過度に恐れる)、交際恐怖(誰かと交際するのがとても怖い)、異性恐怖(異性が怖い)、長上恐怖(年長者が怖い)、などがあります。私が精神科医になった頃はこんな用語を使っていました。現代流に言うと、()の中で説明しているようにDSM−5の社交不安の症状の一つ、一つに妥当します。
 このように対人恐怖症はしばしば社交不安症の診断基準を満たしていますが、中には他の人を不快にさせるという恐怖と関連していて、この恐怖は妄想的に解釈されることが両者の大きな違いです。先に説明しましたように、「私の視線が他者を不快にさせる。それで彼らは目をそらし私を避ける」というのを「自己視線恐怖」と呼んでいます(詳細はドンマイのエッセイを参照)。しかも、わが国で対人恐怖と言われる病像そのものが欧米諸国では比較的少ないと言われていました。ところが、1980年に出版されたDSM−Vで『社交不安障害』という疾患名が登場するのです。つまり、アメリカにも人前でビビる人たちがいる、ということを公にしたのです。それ以前は、アメリカでは自己主張を重んじますので、人前で緊張するような小心者は存在しないというアメリカの精神文化があったために、対人恐怖症という病名を認めようとしなかったのです。そして社交不安症がSSRIという薬に反応することが分かり、日本でも対人恐怖症は脇に置かれて社交不安症という病名が注目されるようになったのです。
 日本でも、新しいSSRI系薬剤が販売されると、その宣伝効果もあって薬を求めて社交不安症の患者さんがクリニックを受診するようになりました。その一部に対人恐怖症者がいるのです。確かに川谷医院でも対人恐怖症と診断される人たちは少なくなって、逆に社交不安症がうなぎ上りに増えています。
それは何故でしょうか?ある不登校の男子高校生の治療を担当していたときのことです。彼は幼少の頃から内気で恥ずかしがり屋でした。運動会が近づくと熱を出してはよく休んでいました。両親との面接で彼の父親は私に、「私も息子の年頃には(緊張のために)顔が赤くなって人と接するのがとても怖かった。でも私は、空手を習うことでそれを克服しました。息子も私に似ていて内気で自分主張の少ない子どもです。私と違うのは、息子は努力してそれを治そうとしないことです」と嘆いていました。
 この親子に示される症状に対する態度の違いが対人恐怖症と社交不安症の2つ目の特徴です。つまり、社交不安症では回避、対人恐怖症では克服という症状への取り組み方の違いが見られるのです。それは精神科治療を求める動機にも現れます。両者とも不快な症状から何とか逃れたいというニーズは同じなのですが、対人恐怖症者は精神科治療で自分を高めようという積極的な動機があるのに対して、社交不安症者は回避機制が強く自分を変えたいという治療動機は小さい。場合によっては薬だけを求める人も少なくありません。対人恐怖症者は回避行動を自ら克服しようとするエネルギーを持っていますので、薬を飲むのを嫌がる人が多い。薬に頼る自分を恥じるのです。父親世代では、逃げる(回避)のは卑怯という武士道精神が根強いのでしょう。ですから、対人恐怖症の人には、わざわざ博多駅前の中央広場に出かけて人目に自分を晒すといった試みをする強者もいました。社交不安症ではそのエネルギーは回避行動(人に不審がられないように偽の自分を演じる)に費やされますので、精神科治療を求める態度や主治医に求めるニードや関係性の質が問題になります。
 親子で症状や治療への取り組みが違うのは、対人恐怖症を生み出した日本の文化が変貌したせいなのでしょう。対人恐怖症者のように「善なる方向へとどうか導いて下さい」といった言葉は社交不安症の患者さんからは余り聞かれません。何故なら、善なる方向は彼らにとっては恐ろしい道なので、それはあってはならないからです。日本人もDSMが似合う人間に変貌したと言えるのではないでしょうか。余談ですが、2016年上半期の芥川賞受賞『コンビニ人間』は、社交不安を持つ人が如何に人の輪の中に入るのに苦労しているかが手に取るように分かるので、一読を勧めます。
 この章を要約すると、対人恐怖症は社交不安症の診断基準をしばしば満たすけれども、中には妄想的に解釈されることがあること、また社交不安症は人目に晒されるのを回避しようという欲求が強いのに対して、対人恐怖症では武士道精神に則って回避行動を嫌い症状の元となる自分自身を変えようと努力する、という違いがあることを説明しました。
 3.社交不安症とパーソナリティ障害
 これまで見てきたように、社交不安症者は8〜15歳の間に75%の人たちが発症するわけですから、思春期に仲間体験を持てないということは、「自分とは何か」というアイデンティティ形成を暗くし、自分に誇りを持てなくなるというハンディを負いかねません。「自分は人とどこか違う」「みんなのように普通に生きていけない」という不安や劣等感を人知れず抱きながら生きていくとパーソナリティ発達も停滞するでしょう。それをイメージしやすいように症例を呈示したいと思います。プライバシーの保護のために実際の症例を呈示することができないので私の臨床経験をもとにした架空の人物に登場してもらいます(私にも社交不安症の気質があるので私の分身も登場させています)。
 【症例A:高校3年生の女性】
 Aは40代の両親と姉の4人家族。父親は酒癖が悪く、仕事から酔って帰ると家族によく暴言を吐いていた。母親は特殊な技能をもつ仕事に就いている。Aは酒乱の父親と話をする機会は少なく、父親の顔色を窺いながら、いつも明るい母親とだけ喋っていた。
 両親が共稼ぎのために1歳から保育園に通った。手のかからない子どもだったが、あがり性でダンスをするのをとても嫌った。しかし母親を困らせることはなく、手のかからないいい子だった。小学校に上がると、あがり性のために授業中に手を挙げることはなかった。教室に入るときに「おはよう」と言えず、こそこそと入室していたという。遠足や運動会や音楽の発表会が苦手で少しも楽しくなかった。でも、仲の良い子がいつもいたので学校は楽しかった。
 ところが、小学4年の3学期から「自分が人からどんなに思われているのか気になるようになった」。それから視線を合わせるのが辛くなった。そんな自分を仲の良い子にも気づかれないように教室では努めて明るく振舞った。皆には明るい子、と思われていたけど、内心はいつもビクビクしていた。次第に「私はコミュニケーションが苦手」と劣等感を抱くようになった。親しくない人の前だと緊張して、どう振る舞ったらよいのか分からず困惑することがあった。
 中学校に進学。音楽や理科や家庭科の時間に教室を移動するのがとても嫌だった。部活には「先輩や知らない人に気を使うのが嫌で」入らなかった。中1のある日、別の小学校から上がってきた女の子から「あんたキモイ」と言われたことをきっかけに、級友の話し声が自分のことを言っているのではないかと気になり出した。でも「笑顔が可愛いよ」と言ってくれた小学校からの友達の一言が支えになった。だんだん話せる人と話せない人ができて普通に喋ったりできなくなった。英語と国語の先生が授業中によく当てるので、それが怖くて2科目はしっかり予習をした。特に音読の練習は頑張った。その甲斐もあって成績も上がり希望の高校に入学できた。
入学した高校はきつかった。音楽を聴くのが好きで、趣味を通して仲の良い子はできた。でも、壁を作って自分の気持ちは口にしなかったし、そのことを悟られないようにしていたので、家に帰るとどっと疲れていた。朝、よく下痢をするようになって内科に通うようになった。高3になった時に、文化祭で彼女が朗読を担当するようになった。できない、と断ったけど音楽仲間の強い推薦を「え〜」と言いながら断りきれなかった。
 それから全く人と視線を合わせられなくなり、会話ができなくなった。さらに笑えなくなって、無理に笑おうとすると顔が引きつるようになった。中学生の頃も時々あったが、会話するときに言いよどんで頭が真っ白になることが増えた。そのため周りから「笑えない人」と言われた。周囲の動きに過敏に反応するようになり、自分の価値が周囲の評価に左右され「自分がない」状態に陥った。しかも、仲の良い子とそうでない子との接し方が分からなくなって、どんな顔をしたらよいのか分からなくなった。母親に相談して発表のときに緊張を緩和する薬をもらいにクリニックを受診した。でも薬の効果がなかったので通うのを止めた。母親には「大丈夫、大丈夫」と返事していた。でも学校も休みがちになって、担任からの連絡で母親が当院を受診させた。
 1)幼少期からの社交不安症の自然経過
 症例で取り上げたように、気質的要因「行動抑制と否定的評価に対する恐怖」が症状として現れる始まりは割と早いようです。それは人目にさらされるという状況で始まります。幼少の頃の様子を詳しく聞くと、「幼稚園の発表会で息子だけが後ろを向いていた」「舞台に上がるのを泣いて嫌がった」「ダンスを強制されるのを嫌った」などのエピソードとして語られることがよくあります。
 そして症例に示したように、小学校に上がってから人知れず社交不安症に苦しみだします。教室に入るときに「おはよう」と言うのが普通に言えないとよく聞きます。もちろん、授業中に自ら手を挙げることはできません。運動会や発表会など、人の目にさらされるのをとても嫌がり、当日になると心身反応のために学校を休んだりする子もいます。
 そこに10歳前後の自我の芽生えの時期がやってきます。この時期は自己を他者の目を通してみる客観性の能力を獲得する重要な時期です。と同時に、心理的に危うい時期でもあります。と言うのは、この時期の脳活動は短期記憶よりもエピソード記憶が優勢になり、過去の失敗や恥の体験を長く記憶に留めるようになり、かつ客観的に自己と他者を比較できるようになるので、この時期の傷つきはトラウマになりやすく、子どもたちに劣等感と恥を植え付けていくことになるからです。そして青年期に「自分は人よりも劣っている」「つまらない奴」「化けの皮が剥がれる」といって人と接することを避け、社会的に孤立し、引きこもり青年へと成長していく危険性を孕んでいるのです。社交不安症のもともとの症状に恥と劣等感とうつ症状が加わるわけですから、この時期を乗り切るのは大変な努力を伴います。
 2)社交不安症のパーソナリティ障害化
 小学校高学年からAは「コミュニケーションが苦手な自分」を意識するようになり、しかもクラスの人の評価が気になります。評価によって一喜一憂し、その度に嫌われないように、拒絶されないように、どう振る舞えばよいのか分からなくなっていきます。家ではいつもの自分で生活しているので家族には自分の辛さは分かりません。両親とも働いているのでこれまでのように心配かけないように振る舞っています。そんな彼女に追い打ちをかけたのが、中1のときにクラスメイトに「キモイ」と言われたことです。クラスでは「明るい、笑顔が可愛い」と評価されているので、この「キモイ」という評価はべつのことを意味しているのでしょう。
コミュニケーションが苦手だと気づいたAは、仲の良い子とそうでない子との間では緊張の度合いも違ったでしょう。ある人の前ではいつもの明るいA子、別の人の前では緊張し頭が真っ白になるA子であれば、相手によって態度や振る舞いが変わるのを「キモイ(ずるい嫌な奴)」と思われたかもしれません。それでも友達の「笑顔が素敵」という言葉に支えられ中学生時代を乗り越えていくのです。しかし彼女を待っていたのは文化祭で朗読すると言う地獄の試練でした。
 社交不安症の人が青年期以降にパーソナリティ障害化する危険性は低くない。社交不安に加えて、幼少期の家庭環境に問題があると、将来BPDへと発展する可能性が高くなります。それが“静かなるBPD”です。両親の離婚、虐待、逆ギレする母親、文字通りに反応する母親、などの環境で育ち、さらに高校を中退するような事態にでもなれば、さらにパーソナリティ障害化の危険性が高くなります。高校を辞めると、緊張場面からは解放されますが、自尊心は育たないし、自分がどれ程の人間か相対的に自分をみる機会を失うので、空想世界に自分を求めるしか手段がありません。すると、「他者」あっての「自己」なわけですから、高校中退は「自己」の成熟を停滞させます。それを私は“静かなるBPD”と呼んで今年6月の第112回日本精神神経学会で発表しました。臨床ダイアリー5:“静かなるBPD”で詳しく述べていますので。そちらを参照して下さい。
 4)回避性パーソナリティ障害
 さらに、引きこもりが長期化すると回避性パーソナリティ障害(以下、AvPD)へと発展する可能性も出てきます。T・ミロンによって提唱されたAvPDの典型的な特徴は、DSM-5では「自分が、愚かで無能であると感じること、否定的評価および拒絶への不安にとらわれていること、および嘲笑または恥を怖れることに関連する、社会的状況の回避および対人関係での制止」です。分かりやすく説明しますと、AvPD者はいろんな対人関係場面で強い不安・緊張を感じやすく、そのために対人関係を避けようとする機制(心のクセ)がパーソナリティに組織化された人たちなのです。それって社交不安症とどう違うの?と疑問を持った方は鋭い。両者は一つのベクトルに乗っているので、社交不安症者が社会から長い間引きこもるという状況はすでにAvPDに発展していると考えてよいでしょう。
 4.社交不安症の治療
 書いている間にどんどん長くなってきました。あれもこれも書こうとする私の悪い癖で、要点を絞れなくなるのです。適当なところで、区切りをつけて次に進みましょう。
1)薬物治療について
 先に、社交不安症はSSRI系の薬が奏効すると述べました。私の臨床経験では約半数といったところでしょうか。30代、40代でコミュニケーション障害を訴えて受診される方は、すでに20年近く社交不安症に苦しめられています。ずっと自分の性格と思っていたのですが、社交不安症という病気で薬が効果的と知って、SSRIを服用して改善しています。10代、20代では効果を上げる人にはある特徴があります。“普通”の人のように誰とでも打ち解けることはできませんが、地味だけど自分を出せる社交の場を持ち、パーソナリティ障害化していない方たちです。私は少なくとも1年以上の服薬を勧めています。30代以上の女性は薬物治療で全員良くなっています。
 2)カウンセリング(精神療法)について
 薬が効果を上げない人たちはどのような治療法があるのですか、という質問に答えるのは難しいですね。約半数もいるわけですから、手立てを講じなければなりません。特に、20代の男性が薬の効果が限定的で女性のように効果を上げません。カウンセリング(精神療法)があるのではと思う方もいるでしょう。
でも、社交不安症に苦しむ人の精神療法の継続はとても難しいのです。50分の精神療法は心理的負担が大きいので、カウンセリングに技法の修正と工夫を要します(それについて説明したいのですが枚数が増えていきますので別の機会に譲ります)。認知行動療法はどうなのですか、と質問したい方もいるでしょう。認知行動療法と薬物治療の併用が効果的だという論文も散見されますが、当院では精神分析を応用したカウンセリングを行っています。認知行動療法が効果を上げる人たちなら、診察以外に時間を取らないでも、薬を使いながら、通常の短時間セッションの保険診療で十分に効果をあげることができます。
 川谷医院では、薬が思った以上の効果を上げない人たちにはATスプリット治療を提供しています。精神科医の診察と心理士による心理療法(カウンセリング)を週1回、50分行う治療法です。
V.さいごに
 人とうまくコミュニケーションがとれなくなる「社交不安症」に関する、対人恐怖症との違い、生い立ちとパーソナリティ発達、そしてパーソナリティ障害化について私見を述べてきました。自分もコミュニケーションが苦手だと思おう型は、付録の社交不安症のチェックリストを使ってみてください。社交不安症は気質と環境が縄を編むように複雑に絡みながら進展していきます。単純に性格と片付けることはできないし、そのパーソナリティ発達を見ながら、オーダーメイドの治療法が必要だと思います。
 
付録:社交不安症のチェックリスト
 以下の24個の質問に4段階で答えてください。
【恐怖感/不安感】
3:非常に強く感じる[頭の中を占めてしまい、いたたまれず逃け出したいと感じる程度]
2:はっきりと感じる[非常に強く感じる程度ではないが、はっきりと自覚がある程度]
1:少しは感じる[なんとなく感しる程度」
0:全く感じない
  【回避】
3:回避する(確率2/3以上まには100%)
2:回避する(確率1 /2程度)
1:回避する(確率1 /3以下)
0:全く回避しない
*恐怖感/不安感か0点の場合は回避も自動的に0点となります。
                            恐怖感/不安感  回避
1.人前で電話を掛ける(P)             
2.少人数のグループに参加する(P)
3.公共の場所で食事をする(P)
4.人と一緒に公共の場所でお酒(飲み物)を飲む(P)
5.権威ある人と話をする(S)
6.観衆の前で何か行為をしたり話をする(P)   
7.パーティーに行く(S)
8.人に姿を見られながら仕事(勉強)をする(P)
9.人に見られながら字を書く(S)
10.あまりよく知らない人に電話をする(S)
11.あまりよく知らない人達と話し合う(S)
12.まったく初体面の人と会う(S)
13.公衆トイレで用を足す(P)
14.他の人達が着席して待っている部屋に入っていく(P)
15.人の注目を浴びる(P)
16.会議で意見を言う(P)
17.試験を受ける(P)
18.あまりよく知らない人に不賛成であると言う(S)
19.あまりよく知らない人と目を合わせる(S)
20.仲間の前で報告をする(P)
21.誰かを誘おうとする(P)
22.店に品物を返品する(S)
23.パーティーを主催する(S)
24.強引なセールスマンの誘いに抵抗する(S)

P : Peformance (行為状況) S : Social interaction (社交状況)
合計して点数が高くなればなるほど症状が重いことになります。
   30点以上 境界域
   50〜70点 中等度の社交不安症
   80〜90点 かなり日常生活に支障を来しています
   95点以上 重度の社交不安症
 出典は
 朝・聡、井上誠主郎、佐々木史ほか(2002):Liebowitz Social Anxiety scale (LSAS)日本語版の                      信頼性および妥当性の検討.精神医学 44;1077ー1084.
posted by Dr川谷 at 14:44| Comment(0) | 日記

2016年08月08日

臨床ダイアリー13:『ライムギ畑でつかまえて』を読んで

2016.08.07(日曜日)『ライムギ畑でつかまえて』を読んで
1.はじめに
 本来なら今回は、臨床ダイアリー12:『コミュニケーション障害について』の予定でしたが、9月に長崎で福岡大学病院時代の後輩たちと研究会を催すことになって、J・D・サリンジャーの“The Catcher in the Rye”を再読する必要に駆られ、本棚から野崎孝訳が見つからなかったために村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を初めて読んでみました。すると、そのインパクトが大き過ぎて『コミュニケーション障害について』を後回しにして、急きょ臨床ダイアリー13を優先することになったのです。
 私が精神科医になった1980年は境界例Borderlineという病名が臨床医の衆目を集めていました。その時に、先輩たちからしばしば境界例を知りたければ野崎訳「ライムギ畑でつかまえて』を読むように言われました。ところが、改めて読み直してみると、いろいろ新しい発見があったのです。その発見を以下の順で述べてみたいと思います。
  1)境界例という概念について
  2)退行型BPD
  3)主人公ホールデンは回避性パーソナリティ障害か

2.境界例という概念について
境界例という概念を説明するにあたって、川谷医院のホームページに載せている精神科読本シリーズ15『境界性パーソナリティ障害』を一部引用します。
 境界例ボーダーラインという医学用語が使われるようになったのはアメリカで精神分析が盛んになり始めた1934年頃のことです。その当時、ヒステリーや強迫神経症といった精神神経症の治療にはフロイトによって編み出された精神分析(「自由連想」といって患者に頭に浮かぶことを報告させる)が主流になっていました。ところが神経症の治療に精神分析を施していると,治療が難しく,なかには状態が悪化して妄想状態を呈する患者が現れる,という報告が続きました。しかも,彼らを通常の対面法による精神科診察に戻すとその妄想状態が消失するので、神経症と精神病の境界という意味で彼らは境界例ボーダーラインと呼ばれ、また神経症の仮面を被った統合失調症、すなわち偽神経症性統合失調症pseudoneurotic schizophreniaとも呼ばれました。
 その後、第二次世界大戦前のヒトラーのユダヤ人迫害にあって多くの著名な精神分析家がアメリカに亡命,移住したことによってアメリカの精神分析は急速に発展し、多くの人々が分析治療を受けるようになりました。マリリン・モンローもその一人で、彼女が自殺を企てた時の第一発見者は当時主治医だった精神分析医のグリーンソンだと言われています。精神分析はその適応を拡大し、境界例の主要な治療法の一つになっていきました。その過程で境界例の研究も進み,ロールシャッハ・テストという心理検査のように,無構造のテストでは統合失調症的な反応が見られるのですが,それ以外の検査では健康者と同じような反応を示すこともわかってきました。状況によって示す反応が違ってくるのです。さらには,ボーダーライン状態(ナイト)、アイデンティティ拡散(エリクソン),偽りの自己(ウィニコット),基底欠損(バリント)、見捨てられ抑うつ(マスターソン)といった概念が提出されるに従って,境界例をパーソナリティ発達の問題として見る流れが定着してきたのです。その過程は統合失調症に近い一群を境界例から締め出していく作業でもありました。
 一方、アメリカの文学界では1951年にサリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』が出版されました。主人公のホールデンは精神病院に入院していて、落ち着きを取り戻した後に回想記録に取りかかります。ホールデンは成績不振でペンシー高校を放校になり、両親が学校に来る前に寄宿舎を飛び出てニューヨークのマンハッタンに帰るのですが、物語はそのわずか3日間の出来事です。同じ頃、1959年に精神分析家のエリクソンはアイデンティティ拡散症候群という概念を発表しました。その研究対象はアメリカ東北部の16歳から24歳の青年で、まさしくホールデンが生きた時代の青年像を描いています。エリクソンの著書はベストセラーを記録し、日本では慶応大学の精神分析家の小此木圭吾によって1973年に『自我同一性』として訳出されました。
 そして今日の境界例論に大きな影響を与えたのが1970年代のカーンバークによって提唱されたパーソナリティー構造論(性格特性)です。この段階に至って,ボーダーラインは@精神病との境界,Aうつ病との境界,Bパーソナリティー構造としての「境界(ボーダーライン)」という流れが明らかになり、1980年に登場したアメリカ精神医学会のDSM−V(精神疾患の診断・統計マニュアル)によって「境界性パーソナリティー障害(BPD)」が登場したのです。実はこのときに、1930年代に提唱された統合失調症により近い境界例の一群は統合失調型パーソナリティ障害(SPD)としてA群に分類され、BPDはB群に分類されました。
 どういうことかと言いますと、境界例は統合失調症に近い一群と同一性拡散を呈する一群に分類され、前者はSPD、後者はBPDとして整理されたのです。私も境界例という精神科診断には対人関係の様式から巻き込み型とひきこもり型の2つのタイプがあり、前者はDSMのBPD、後者はDSMのSPDに相当し、年々巻き込み型が増加し、引きこもり型の出現頻度は時代の変化を受けない、遺伝的体質の強い病理があることを報告しました(第86回日本精神神経学会学術総会で『福岡大学病院における境界例診断の変遷と治療について』1990)。
 『ライムギ畑でつかまえて』の主人公ホールデンの精神状態はBPDに近い精神病理を表している、という文脈で語られていました。私も同じような理解をしていました。ところが、今度、再読して見ると、BPDというより別のパーソナリティ障害として診断した方がよいのではないかと考えるようになりました。この変更を詳しく述べることは、皆さんがネットなどでアメリカ精神医学会が出版しているDSM−5を読んで、症状のX個以上を満たしているから私は○○障害と自己診断することの弊害を少なくできるのではないかと思います。

3.退行型BPD
私は、4年前の第108回日本精神神経学会学術総会のシンポジウムで『境界性パーソナリティ障害の現在』という演題を発表しました。境界性パーソナリティ障害BPDを退行型BPDと発達停滞型BPDの2つに分類することは、そのパーソナリティ形成過程や構造、そして治療方針に有益だという報告です(日本精神神経学会電子版2013年4月)。そしてその鑑別には発病過程や症候学的特徴だけではなく病前の社会適応能力度が鍵を握ると述べました。
 境界例はSPDとBPDに二分され、さらにBPDも2型に分類されるというのは、境界例診断がとても曖昧だ、ということを表しています。BPDはDSM−Vによって単一疾患として登場したのですが、臨床的には一括り出来ない困難さを含んでいます。私は症候群として理解した方がよいのではないか、とさえ思っています。境界例の概念には、そこにBPDと診断される若者がいるのに、近づいていくとその姿は2つにも3つにも分身するような印象があるのです。
 境界例は対人関係の様式を切り口にすると巻き込み型とひきこもり型に2分されました。今度は社会適応度の観点から見るとまたまた2分されるという話です。当院を受診したBPD患者さんの改善後の社会参加について調査したところ、短時間の保険診療の中で短期間に改善する症例の多くは曲がりなりにも社会に適応していたのですが、現実的な諸問題が原因で退行しDSM診断基準を満たすようになったBPDの患者さんたちでした。回復すると自ら社会に出ていく高レベルのBPD患者さんたちです。一方、幼少の頃から諸問題を抱え続け、家庭環境にも問題の多い――思春期から入院治療や長期の治療を要する――改善しても社会に出て行けずに治療が長引くのは低レベルのBPDの患者さんたちです。便宜上、前者を退行型BPD、後者を発達停滞型BPDと呼ぶことにしました。鑑別のポイントは幼少期からの社会適応能力にあり、後者では精神科治療にも適応できなくて悪性退行を深めることが多いので治療困難例が多い。
 1)退行型BPDと発達停滞型BPD
 退行型は治療開始後、半年〜2年間で状態も安定しBPD診断基準を満たさなくなります。数年間DSMの診断基準を満たしていた患者さんが環境調整と薬物治療の変更によって2ヶ月間で改善し、仕事に就くと同時に治療からも離れた症例を経験しています。
退行型と発達停滞型の社会適応能力の差は、適応能力の低さと誇大性(万能感)の病的さにあります。発達停滞型は社会に出るのに臆病で恥掻くことと失敗することを極度に恐れています。私はは彼らの心理を中島篤著『山月記』から引用して「臆病な自尊心」と呼んでいます。現実生活の失敗を恐れ、しかもそれを克服するための現実的な努力は屈辱に感じる心理です。さらに、生活史そして治療経過からパーソナリティの社会化の過程を妨げているのは、筆者が「ボアbore」と呼んでいるエピソードにあることが分かりました。
 2)「ボア」とは?
 ある患者さんは私との週3回の精神分析的精神療法の中で連想が進まず締りのない表情をすることがありました。その姿を後に母親は、「社宅の砂場で遊んでいた子どもが、私が居なくなると、目に力がなくなりボー然と立ち尽くす姿を近所の奥さんから聞いて知った。その姿は小6の修学旅行の記念写真にもそっくり写っていた」と思い出したのです。
 精神分析的には「対象恒常性」の欠如と言われる現象です。BPDが母親の不在に上手く対処できないのは、内的対象が育っていないからと言われます。同様の患者の状態はウィニコットの『ピグル』にも言及されていましたので、私はそれを「ボア」と呼ぶことにしました。ピグルは1歳9か月のときに妹が生まれて精神的混乱(境界例状態)を来した女の子です。
 わざわざ小難しい退行型BPDという話を挿入したのは、それなりに理由があるからです。ホールデンも現実生活に適応できなくなって退行型BPDと診断される病態になったのではないかと思うのです。

4.主人公ホールデンは回避性パーソナリティ障害か
 それではホールデンの診断をどう考えたらよいのでしょうか。これまでに、境界例には対人関係様式から巻き込み型(BPD)と引きこもり型(SPD)の2つがあって、巻き込み型はエリクソンの同一性拡散症候群の特徴を持ち、青年の精神的混乱像を描いていて、映画や小説の題材にしばしばなりました。その中でも浅丘ルリ子主演の映画『女体』は秀作です。そして、その混乱状態からの回復と社会適応能力の観点から、さらに退行型と発達停滞型の2つに分類される、という話をしてきました。
 ホールデンの生活史や家庭環境の情報は少ないので、彼がボアの病理を持っていたかどうかは定かではありません。確かなことは、彼が15歳で家を出て寄宿舎に入れられた同時に、アパシー(精神的麻痺)状態に陥り学業不振になったこと、そのために放校になり、寄宿舎を飛び出して、3日間散々な目に遭いながら、自己破滅不安に圧倒されて精神科入院になるという一連の退行状態の進展過程があることです。そして彼の対人関係様式には「孤独に耐えられずに親密さを求めると相手を憎んでしまう」という山嵐ジレンマが認められます。本物の関りを他者との間で構築することが彼にはできないのです。そして将来は誰とも関係持たずに「聾啞者のふりをしよう」というのです。そうすれば誰とも喋らずに済むからです。つまり、ホールデンは人との関りを部分的に拒否しているのです。部分的というのは自分を受け入れてくれそうな人とは関係を持とうとするからです。別の言い方をするなら、受け入れてくれないと近寄らないということでもあります。この点が巻き込み型のBPDと大きく違うところです。
 さて、そろそろ私の見解を述べる段階に来ました。ホールデンは退行型BPDの状態像を呈することになるのですが、基本的な対人関係様式は引きこもりです。その彼が寄宿舎という檻の中に入れられて、対人関係を持たなければならない状況に追いやられて、退行(同一性拡散症候群)したと考えられます。21世紀の今日では、そのような状況を回避する行動に打って出るのでしょうが、当時は精神的破綻を呈するまで叶わなかったのではないかと想像します。
 ホールデンは精神病院に入院すると精神的には回復しこの3日間の回想の作業に取り掛かります。ですから、一過性の大混乱だったと言ってよいでしょう。退行型BPDの場合、環境調整によって境界例状態から回復すると、適応能力も復活し、社会生活も遅れるようになるのですが、ホールデンの場合は引きこもり中心の生活を送り、社会適応可能な退行型BPDの姿とはかけ離れています。何度も言いますように、ホールデンの対人関係様式は引きこもりなのです。それでは、彼の臨床診断をどのように考えたらよいのでしょうか。
 私は回避性パーソナリティ障害AvPDと考えてよいのではないかと思います。まだ臨床ダイアリーには載せていませんが、その根拠は2015年の日本サイコセラピー学会で発表した『自己愛・回避性パーソナリティ障害の精神療法』が土台になっています。BPDと診断されていた患者さんが治療によって精神的に安定すると対人関係を回避する患者さんの一群がいることを発表しました。それとは逆に、対人関係を回避して引きこもっているAvPD患者さんを入院治療、集団療法、そしてデイケアなどの対人関係を必要とする集団活動の場に強制的に参加させると、AvPD患者さんはその場を回避するか、もしくは回避できない場合、感情の爆発が起きるかホールデンのような退行型BPDを呈するのです。
 もしホールデンの両親が彼の病的性格特性を的確に把握して寄宿舎に入れなかったら、彼は退行型BPDに陥らずに済んだのではないかと思います。これが本小論でもっとも述べたいことなのです。元来引きこもりの人を集団活動の場に強制的に参加させるようなことはしてはならないのです。ポケモンGOは外に出てもゲームの延長なので集団活動は避けられますので、その害は少なくて済みそうです。でも、それだとホールデンのようなAvPDの患者さんは社会から延々と引きこもり続けるのではないですか、という疑問が出るでしょう。
その疑問の答えとして私は、臨床ダイアリー:『“静かなるBPD”と社交不安症』で述べた弁証法的緊張関係が欠かせないのではないかと思っています。AvPD患者さんも治療の場に現れるのは苦手です。しかし、そのままだと自分の存在は希薄で不確かだという切迫した焦りは感じています。この焦りを手掛かりに治療を進めることは可能なのです。そのためには私たちは治療の場に現れるのを待たなければならないし、ご家族も慌てずに待つことが求められます。川谷医院ではホールデンのために、家庭と社会を橋渡しできる就労支援A型施設“ドンマイ”を設立しました。さらには親密な関係を避けてきたために積み残してきた思春期の宿題に取り組む場、つまり精神科医の診察と臨床心理士のペアで行うカウンセリングも設けています。
5.さいごに
 サリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』を読んで、主人公のホールデンは境界性パーソナリティ障害BPDというより回避性パーソナリティ障害AvPDと診断されること、そして彼の精神的大混乱は苦手な対人関係の檻(寄宿舎)の中に放り込まれた結果なのではないかという考えに行き着きました。21世紀の青年であれば社会的に引きこもるという手段で精神的破綻を避けることができたのに、1950年頃は引きこもりという自己防衛手段は思いつかなかったのでしょうね。サリンジャーの対人関係様式や社会との関りを見てみると、人との付き合いは下手で、結婚はするけど続かずに3度離婚します。そして自分を受け入れるコミュニティーの中では静かに暮らしていくのですが、最後はすべての人を締め出して2010年に91歳という高齢で亡くなります。
 まとめますと、境界例は曖昧な概念だから使うのには便利なのですが、近づいていくと分身の術を使って目をくらませます。そんな境界例を理解するのにサリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』は格好の材料になります。でも、再読してみると、実は境界例ではなくて、一時的に境界例状態を呈した回避性パーソナリティ障害だったのではないか、そしてそれは苦手な対人関係の檻の中に入れられた結果だ、ということを述べてきました。この考えは引きこもり青年の理解と援助の一助になるのではないかと思っています。
posted by Dr川谷 at 07:34| Comment(0) | 臨床ダイアリー