2017年03月20日

臨床ダイアリー14:ウィニコット『破綻恐怖』について

臨床ダイアリー14:ウィニコットの『破綻恐怖』について

1.はじめに

 2017年、明けましておめでとうございます。
年末に川谷医院のコマーシャル・ソングを作りました。『文明堂のカステラ』のパクリです。一緒に歌ってください。「発達1番、ボーダーは2番、3時の予約は川谷医院」です。今年もよろしくお願いします。

 エッ、川谷医院は発達障碍も専門にしているのですか、と突っ込まれそうですね。実はこころの発達には多大な関心があって、特にパーソナリティ障碍の病因についてはこれまで専門雑誌や学会などで研究発表を行ってきました。といっても対象となる症例の多くは思春期例や成人例なので、彼らや彼らの家族によって語られた生活史から導き出されたものという研究方法の限界があります。乳児のこころの専門家であるD・スターンの研究方法は直接観察された乳児期の様子observed infantと臨床で語られた乳児の様子clinical infantの二本柱で成立しています。私の研究は前者の直接観察が欠けているのです。それで2017年4月から小児科医と臨床心理士の2人にチームに入ってもらって、子どもの心の発達を観察していこうと計画しています。

 さて、臨床ダイアリー13を掲載してから約5ヶ月が経ってしまいました。この間ハードな毎日が続き、3月11日の日本不安症学会と18日の精神分析セミナーの発表をやっと終えて、臨床ダイアリーの世界に戻ってくることができました。本来であれば、この稿は正月休みの間に完成させる予定のものだったのです(最初の下りでストップしたまま)。今回は、昨年の11月に長崎のPsychoanalysis研究会で講演した「ウィニコットの『破綻恐怖』について」と福岡いのちの電話に投稿したエッセイ「トラウマと記憶について」の合併作です。


2.ウィニコットの『破綻恐怖 Fear of Breakdown』とは?

1)境界性パーソナリティ障碍の研究から

 ウィニコットの論文を紹介する前に私の「破綻恐怖」に関する考えから始めます。それは2013年の日本精神神経学会電子版に発表した内容の繰り返しになるのですが、電子版は専門医でないと閲覧できないので、ここではそのエッセンスだけを述べようと思います。

 電子版の内容は、境界性パーソナリティ障碍(以下、BPD)の多彩な臨床症状は「ボアbore」の防衛によるもの、というのが主題です。これまでの臨床経験から人生最早期、1歳半から3歳までの間に母親とのつながりを失うというトラウマを受けた子どもは茫然自失の状態に陥り、傍目には退屈そうにしている子どもの姿から「ボア」と呼んだのです。

 最初に「ボア」の症例を経験したのは、福岡大学病院で精神分析を学んでいた頃、今から30年以上前のことです。私が受け持ったBPDの患者さんの家族療法を行っていた時に母親から語られました。患者さんは私との週3回の精神分析的精神療法の中で連想が進まず締りのない表情をすることがたびたびありました。当時はその意味が分からなかったのですが、家族療法のなかで母親が「社宅の砂場で遊んでいた子どもが、私が居なくなると、目に力がなくなりボー然と立ち尽くす姿を近所の奥さんから聞いて知った。その姿は小6の修学旅行の記念写真にもそっくり写っていた」と思い出したのです。さらには母親がうつ病を患い、子どもの養育ができないので実家に帰って養生した、ということも明らかになったのです。

 「ボア」は精神分析的には「対象恒常性」の欠如と言われる現象です。BPD患者が母親の不在に上手く対処できないのは、こころの中に内的対象が育っていないからと言われます。例えば、子どもが一人遊びしているときに母親が傍にいないことに気づいたとします。子どもは不安になって泣き出すか、母親を探し出すかするでしょう。しかし、内的対象が育っていると、台所で料理をする包丁やスリッパの音で母親を想い出して、再び遊びに興ずることができるのです。

 同様の患者の状態はウィニコットの『ピグル』にも言及されていたので、私はそれを「ボア」と呼ぶことにしたのです。何故、専門用語である「対象恒常性」という言葉を使わずに、新たに「ボア」という造語を使用するのかと言うと、「対象恒常性」という用語には子どもが母親とのつながりを失ったというトラウマの部分が欠けているからです。それで新たに造語を必要としたのです。

 つながりの切断は以下のようなことが確かめられています。

妹や弟が生れて親戚に預けられた
子どもの変化を母親が認知できなかった
母親の長期入院
母親が精神疾患に罹り養育が困難になった
子どもの負の側面(分離不安)に無関心
キレる母親による情緒的つながり切断

などです。ボアは母親の居ないところで現れるので母親に気づかれることが少なくトラウマの手当てがないまま子どもは成長していきます。そのため、母親の眼前と母親の不在時の子どもの心は互いに交流することなく、スプリットしたまま(正常に機能する心の部分とトラウマを負った心の部分)存在し、状況によってスイッチはオン・オフをくり返すことになるのです。

 このトラウマの記憶部分がDSM−5のBPDの臨床像です。以下に「ボア」の諸特徴を述べます。


@生育史:発達停滞型BPDでは3歳の頃から見られる
  母親が傍にいると元気で普通の子ども
  母親の不在で目に輝きが無くなり、退屈、無気力・・・・
A生理的:過剰睡眠、だるさ、過食⇒非定型うつ病
B精神的:空虚、無気力⇒統合失調症の陰性症状に似る
C行動的:それを打開するための「行動化」
  飲酒、薬物乱用、買い物、過食、万引き、喧嘩、セックス・・・
  精神の高揚(=軽躁状態)の希求⇒双極U型障害との関連
D治療:主体性を求められる精神療法の場では連想の貧弱さが目立つ。
  患者は受身的で黙して何も語れず、主治医の積極的な介入が無いと
  苛立ち、眠気を催す者も出てくる。

 この「ボア」を主治医とともに自分のモノにできるとボーダーライン状態は回復する、というのが私の主張なのです。

2)ウィニコットの「破綻恐怖」について   

 同様のことをウィニコットは「破綻恐怖Fear of Breakdown」と呼んで、「今の苦しみは過去に起きたもの」、つまり大人の破綻恐怖は乳幼児期に起こった破綻にあると説きました。破綻とは、人生最早期の幼児期の母親とのつながりの切断を意味し、映画『2001年宇宙の旅』でHALの策略で宇宙の彼方に追放された宇宙飛行士を想像するとよいでしょう。つまりそれは、自己がまとまりとして成り立っていることの破綻、防衛構築の失敗、防衛構築の下にある想像を絶するような事態、などと多義的な意味を含んでいます。

 ウィニコットは幼児が母親から切り離されたときの苦痛を原初的な苦悩と呼び、そしてその苦悩は自我が処理できないために無意識に放り込まれたまま、過去の時制になりえていない、と主張します。3歳以前の子どもの脳は前頭葉が未熟なために、自分に起きた出来事は消化されないままこころの奥にしまわれているだけなのです。言い換えると、記憶の書き換え(更新)が行われないので、当時の記憶のまま保存されているのです。勿論、3歳以前のトラウマを言葉で想起することできません。

 しかしそれは、こころの発達の綻びとして現れます。先に説明しました対象恒常性の欠如、対人関係における基本的信頼感の欠如、うまく説明できない衝動的な行動化、内的罪悪感(「私は悪い子」空想)、「怖い、怖い」という原因と対象の分からない恐怖、心にぽっかり穴が開いた感じ、何をやっても楽しめず、幼い頃から「死」の観念に取りつかれる、などなどです。

 ウィニコットは破綻恐怖を過去の時制にするために患者がトラウマの時期まで退行して「生きなおす」ことを主張しました。この際の退行という使い方は直線的な心の発達を前提に使っているので、トラウマを被った時の記憶部分(対象関係)が主治医との間に再現したときと記述した方がより正確です。

 ウィニコットは原初的な苦悩(=幼児が母親から切り離されたときの苦悩)として以下のようなこころの綻びを列挙しています。

1.まだ統合されていない状態への逆行(防衛:解体)
2.落ち続けること(防衛:自分で自分を抱え込むこと)
3.心身共動の消失、身体に宿ることの失敗(防衛:離人)
4.現実感の消失(防衛:一時的ナルシシズムの利用、他)
5.対象と関係する能力の消失(防衛:自閉的状態、自己の現象とのみ関係すること)

 すでに体験された破綻恐怖は原初的苦悩に対する恐怖でもあり、患者に「破綻はすでに起こってしまっている」と言う必要があるときがある、とウィニコットは説きます。こころの綻びは、死の恐怖、空虚(自分を生きていない)、などとして現れ、その治療はパーソナリティ構造の再構築、つまり「生きなおし」にあると述べたのです。


3.「トラウマと記憶」について

 「生きなおし」とは、私の精神科治療の主眼にしているものです。それを脳科学的に説明したのが、福岡いのちの電話の広報誌に寄稿した「トラウマと記憶」というエッセイです。私のこころのクセとして加筆・修正された改訂版になっています。

 日々の精神科臨床で「どうして話をすることで私の病気が治るのですか?」と訊ねられることが時々あります。なぜ人は対話による治療―命の電話もそうですね―で心の立て直しが可能になるのでしょうか。答えは幾つも考えられます。カタルシス効果、共感や理解による孤独感の癒し、他者に対する信頼感の回復、自己理解の深化・・・etc。

 私の専門とする精神分析は「記憶を扱う治療法」です。つまり、治療が成功するかどうかは、過去を現在にどうやって再現させるかにかかっています。その治療工夫として精神分析を編み出したフロイトは、患者さんをカウチ(寝椅子)に横臥させて自由連想をさせるという50分の面接を週に6日間行ったのです。横になって何も考えずに、ただこころに浮かぶことを言葉にして報告しているといろんな過去が浮かび上がってくることにフロイトは気づいたのです。精神分析では過去の記憶が現在の治療関係に再現(専門的には“転移”と呼びます)され分析家の解釈や分析家との情緒体験によって書き換えられるのです。これが「生きなおし」の第一歩です。

 1972年にノーベル医学生理学賞を受賞したエデルマンによると「長期記憶は体験のカテゴリーからなり、活性化されるのを待ち受けている」といいます。同窓会などで古びた記憶が仲間と語り合っているうちに色鮮やかに蘇り、新たな命を吹き込まれることがあります。また、鏡に映る自分の顔を見て私の顔の記憶は反対像として日々更新されて保存されます。もし7歳のときに視力を失ったとすると、それ以降の記憶は更新されないので、永遠に自分の顔は7歳のときのままです。それが医学の進歩によって視力を回復したと仮定すると、鏡に映る顔は私ではない、というSF小説が書けますね。

 ところが、それとは反対の現象も起きるのです。記憶が書き換えられないだけではなく悲惨なトラウマの記憶が強化されることがあるのです。特にパーソナリティ障碍(以下、PD)の臨床において患者は過去のトラウマ体験をさらに強化するようなセラピストとの関係を反復強迫する傾向があるのです。

 PD患者は同化されていないトラウマ体験を変換させて自分のものにできないで苦しんでいると言い換えることができます。分析家のモーデルによると「過去の記憶が現在の知覚を支配し意味するものを多大に狭めている」というのです。以下のような場面を想像してください。虐待を受けた経験をもつAは、人の好いカウンセラーBに出会ったとしても、Bを加害者に仕立てて見てしまいがちなので、Bもなかなか心を開かないAの様子にしびれを切らして、ついそっけない行動に出てしまうということが起きる危険性があるのです。それどころか、Bに加害者と同じような振る舞いをさせようというプレッシャーをかけることさえあるのです。つまりトラウマ体験を強化させていく反復強迫が起きるのです(反復強迫は臨床ダイアリー「トラウマと反復強迫」で取り上げていますのでここで説明は省略します)。

 その瞬間にBがいつもの自分らしくない振舞いをさせられようというプレッシャーに気づくと新しい始まりnew beginningの訪れがあるのです。すると、トラウマの記憶の再強化は起こらずに、新しい体験をAとの間に展開させることができるのです。いのちの電話で相談者の話に傾聴しているときに、傾聴するという基本的な姿勢を維持できなくなって、助言したり、ときには励ましたり、あるときは突っ込みを入れすぎたり、常識的な意見を強調したり、するときに相談者からのプレッシャーに注意を向けていると、相談者との関係にある変化が起きるのです。A の過去のトラウマの記憶がBに物語られ、記憶は書き換えられてAは立ち直っていくのです。この稿は記憶の更新が「生きなおし」というのが狙いです。


4.さいごに

 本稿は1月初旬にアップロードする予定が2カ月以上も延び延びになってしまいました。記憶には言葉で思い出される長期記憶と思い出せない長期記憶があります。特に、後者は3歳以前の幼児期のトラウマがこころの綻びとして生涯に亘って苦悩の原因になることがあります。パーソナリティ障碍の患者さんの苦悩はまさにそれが原因になって、3歳以降の二次的障害が重なって、さらに性格が病んでパーソナリティ障碍化が起きると私は思っております。発達障碍では何が原因になっているのか、直接観察を重ねながら研究していきたいと思っています。

posted by Dr川谷 at 11:39| Comment(0) | 日記

2016年10月04日

臨床ダイアリー12(番外編):社交不安症について

臨床ダイアリー12(番外編):社交不安症について
2016.⒑04(火曜日)『私、コミュニケーションが苦手です』
1.はじめに
 臨床ダイアリー12を読んでくれた研修医Wさんから臨床ダイアリー12を質疑応答の形式にしてはどうかという話があったので、彼女の意見を聞くと、私の拙い話よりも数倍分かりやすかったので、実験的に番外編として臨床ダイアリーに載せることにしました。原稿用紙10枚ほどの短さになっているのも嬉しいですね。

2.研修医Wさんとの質疑応答 
W:コミュニケーションが苦手です、という人、思春期から大人まで、多いように思いますが、一体、何が原因 で、どうしたら治るのでしょうか?
川谷:いわゆるコミュニケーション障害、というのは、神経発達症の一つで、子どもの時に診断されます。川谷 医院を受診される方の多くは青年期以降の方で、よくよく話を聞くと、社交不安症のためにコミュニケーショ ンが取れなくなっている人がほとんどです。
W:社交不安症というと、人前で緊張し、声が震え、手に汗をかき、顔は引きつり、頭の中は真っ白になり、対 人交流が滑らかにできない状態ですよね。
川谷:そうです。共通するのは、うまく会話ができない、という主訴です。「Tシャツを買いにお店に入って店 員さんが近づくと逃げるように帰ります」という人、留守番をしているときに宅急便がやってきても「原則、 私は出ません。居留守を使います」という青年、そして「PTAや地域の交流会などでとても緊張して、でき たら避けたいけどそれもできないので、とても辛いです」と訴えるお母さんも少なくありません。大学を出た ばかりのある女性会社員は「会社で電話に出ることができません」と泣きながら受診されました。ワンフロア ―の一画に十人ほどの部署があり、そこに彼女のデスクがある。黙々と働いている他の社員を前に電話に出る と、周りの人が聞いていると考えると、会話をするのができないというのです。
川谷:DSM-5の診断基準は、こうなっています。
 A.他者の注視を浴びる可能性のある1つ以上の社交場面に対する,著しい恐怖または不安。
  例:社交的なやりとり(例:雑談すること、よく知らない人に会うこと)
  見られること(例:食べたり飲んだりすること)
  他者の前で何らかの動作をすること(例:談話すること)が含まれる。
  注:子どもの場合、その不安は成人との交流だけでなく、仲間たちと   の状況でも起きるものでなけれ  ばならない。
 B.その人は、ある振る舞いをするか、または不安症状を見せることが、否定的な評価を受けることになると  恐れている(すなわち、恥をかいたり恥ずかしい思いをするだろう、拒絶されたり、他者の迷惑になるだろ  う)。
 C.その社交状況はほとんど常に恐怖または不安を誘発する。
  注:子どもの場合、泣く、癇癪、凍りつく、まといつく、縮みあがる、または、社交状況で話せないという  形で、その恐怖または不安が表現されることがある。
 D.その社交的状況は回避され、または、強い恐怖または不安を感じながら耐え忍ばれる。  
 E.その恐怖または不安は、その社交的状況がもたらす現実の危険や、その社会文化的背景に釣り合わない。
 F.その恐怖、不安、または回避は持続的であり、典型的には6カ月以上続く。
 G.その恐怖、不安または回避は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域  における機能の障害を引き起こしている。
 H、I、J:物質や他の精神疾患(パニック障害、醜形恐怖症、自閉スペクトラム症など)ではうまく説明さ  れないし、身体疾患とは無関係である。」
W:子どもの場合というのは、何歳くらいでみられるんですか?
川谷:社交不安症はアメリカの場合発症年齢は75%が8〜15歳と言われ、その平均値は13歳です。川谷医院を 受診された小学生の中に学校から帰ると玄関先でおもらしする少女がいました。しばらくして、彼女は学校の トイレを「他に誰かがいると排尿できない」という社交不安症状のために使うことができないということが分 かりました。それで学校では排尿を我慢し続け、やっと家にたどり着いてほっとした瞬間におもらしをすると いう事実が分かりました。母親にはそのことをずっと秘密にしていたのだそうです。内気さゆえにトイレを使 えないので、「内気な膀胱症候群shy bladder syndrome」と呼んだりもします。
W:社交不安症の原因は何ですか?
川谷:社交不安症は気質要因の強い疾患です。その気質とは「行動抑制と否定的評価に対する恐怖」です。親戚 や祖父母、ときには両親のどちらかが若い頃社交不安症で苦しんだ人が少なからずいるようです。とは言って も、環境の影響を否定することはできません。子どもの頃の虐待は社交不安症の危険要因の一つです。人と視 線を合わせられないという成人例に幼少期の父親による厳しい叱責が原因だった症例を私は経験しています。
W:元々持った気質に加えて、子ども時代からの環境も影響しているんですね。社交不安症は、対人恐怖症とは 違うんですか?
川谷:対人恐怖症は、社交不安症に近い病態ですが、違いがあります。対人恐怖症は、赤面恐怖(顔が真っ赤に なるのを恐れる)、大衆恐怖(大勢の人たちの前に出るのを恐れる)、演説恐怖(人前でスピーチをするのが 恐い)、談話恐怖(誰かと雑談をするのが恐い)、正視恐怖(視線を合わせるのが怖い)、劣等恐怖(自分が 人より劣っているのではないかと過度に恐れる)、交際恐怖(誰かと交際するのがとても怖い)、異性恐怖(異性が怖い)、長上恐怖(年長者が怖い)、などがあります。
W:一つ一つは、DSM-5の社交不安の症状に当てはまるようですが・・・
川谷:しばしば社交不安症の診断基準を満たしていますが、中には他の人を不快にさせるという恐怖と関連して いて、この恐怖は妄想的に解釈されることが社交不安症との大きな違いです。例えば、『私の視線が他者を不 快にさせる。それで彼らは目をそらし私を避ける』という自己視線恐怖のような妄想的な解釈ですね。」
W:「私も中学生の頃、赤面恐怖があって、人と接するのが怖かったです。だけど、部活の試合で緊張すること に慣れていくうちに、克服したように思います。」
川谷:対人恐怖症と社会不安症のもう一つの違いは、症状に対する態度の違いです。社交不安症では回避、対人 恐怖症では克服という症状への取り組み方の違いが見られるのです。それは精神科治療を求める動機にも現れ ます。両者とも不快な症状から何とか逃れたいというニーズは同じなのですが、対人恐怖症者は精神科治療で 自分を高めようという積極的な動機があるのに対して、社交不安症者は回避機制が強く自分を変えたいという 治療動機は小さい。場合によっては薬だけを求める人も少なくありません。対人恐怖症者は回避行動を自ら克 服しようとするエネルギーを持っていますので、薬を飲むのを嫌がる人が多い。薬に頼る自分を恥じるので  す。父親世代では、逃げる(回避)のは卑怯という武士道精神が根強いのでしょう。ですから、対人恐怖症の 人には、わざわざ博多駅前の中央広場に出かけて人目に自分を晒すといった試みをする強者もいました。社交 不安症ではそのエネルギーは回避行動(人に不審がられないように偽の自分を演じる)に費やされますので、 精神科治療を求める態度や主治医に求めるニードや関係性の質が問題になります。20年前は、社交不安症よ  り、対人恐怖症の方が多かったんですよ。
W:社会の変化が患者像の変化にもみられているんですね
川谷:そうですね。対人恐怖症を生み出した日本の文化が変貌したせいでしょう。対人恐怖症でみられる症状の 元となる自分自身を変えようと努力する姿は、武士道精神に則っているように感じますが、社交不安症では、 人目にさらされるのを回避することに抵抗がありません。
W:日本の文化…環境が変わったために、心の育ち方も変化していき、対人恐怖症から、社交不安症へと病像が 移り変わっていっているのですね。社交不安症を発症する背景に、パーソナリティの問題はあるのでしょう  か?
川谷:社交不安症者は8〜15歳の間に75%の人たちが発症するわけですから、思春期に仲間体験を持てないと いうことは、「自分とは何か」というアイデンティティ形成を暗くし、自分に誇りを持てなくなるというハン ディを負いかねません。「自分は人とどこか違う」「みんなのように普通に生きていけない」という不安や劣 等感を人知れず抱きながら生きていくとパーソナリティ発達も停滞するでしょう。
W:いつ頃から気づかれるのですか?
川谷:割と早いようです。幼稚園時代に発表会などの人目にさらされる状況で始まります。舞台に上がるのを泣 いていやがったり、ダンスをするのを嫌がったり、というエピソードが挙げられます。そして、小学校に上  がってから人知れず社交不安症に苦しみだします。教室に入るときに「おはよう」と言うのが普通に言えない とよく聞きます。もちろん、授業中に自ら手を挙げることはできません。運動会や発表会など、人の目にさら されるのをとても嫌がり、当日になると心身反応のために学校を休んだりする子もいます。
 そこに10歳前後の自我の芽生えの時期がやってきます。この時期は自己を他者の目を通してみる客観性の能力 を獲得する重要な時期です。と同時に、心理的に危うい時期でもあります。と言うのは、この時期の脳活動は 短期記憶よりもエピソード記憶が優勢になり、過去の失敗や恥の体験を長く記憶に留めるようになり、かつ客 観的に自己と他者を比較できるようになるので、この時期の傷つきはトラウマになりやすく、子どもたちに劣 等感と恥を植え付けていくことになるからです。そして青年期に「自分は人よりも劣っている」「つまらない 奴」「化けの皮が剥がれる」といって人と接することを避け、社会的に孤立し、引きこもり青年へと成長して いく危険性を孕んでいるのです。社交不安症のもともとの症状に恥と劣等感とうつ症状が加わるわけですか  ら、この時期を乗り切るのは大変な努力を伴います。
W:青年期になって、一部の人はパーソナリティ障害化するのでしょうか?
川谷:社交不安症の人が青年期以降にパーソナリティ障害化する危険性は低くありません。社交不安に加えて、 幼少期の家庭環境に問題があると、将来BPDへと発展する可能性が高くなります。それが“静かなるBPD”で  す。両親の離婚、虐待、逆ギレする母親、文字通りに反応する母親、などの環境で育ち、さらに高校を中退す るような事態にでもなれば、さらにパーソナリティ障害化の危険性が高くなります。高校を辞めると、緊張場 面からは解放されますが、自尊心は育たないし、自分がどれ程の人間か相対的に自分をみる機会を失うので、 空想世界に自分を求めるしか手段がありません。すると、「他者」あっての「自己」なわけですから、高校中 退は「自己」の成熟を停滞させます。それを私は“静かなるBPD”と呼んでいます さらに、引きこもりが長期 化すると回避性パーソナリティ障害(以下、AvPD)へと発展する可能性も出てきます。AvPD者はいろんな対 人関係場面で強い不安・緊張を感じやすく、そのために対人関係を避けようとする機制(心のクセ)がパーソ ナリティに組織化された人たちなのです。
W:それって社交不安症とどう違うのですか?
川谷:両者は一つのベクトルに乗っているので、社交不安症者が社会から長い間引きこもるという状況はすでに AvPDに発展していると考えてよいでしょう。
W:パーソナリティ障害化されていない人とされた人とでは、治療や予後が大きく変わりそうですね。
川谷:そうですね。SSRIという薬が社交不安症に使われます。10代、20代では効果を上げる人にはある特徴が あります。“普通”の人のように誰とでも打ち解けることはできませんが、地味だけど自分を出せる社交の場を 持ち、パーソナリティ障害化していない方たちです。私は少なくとも1年以上の服薬を勧めています。30代以 上の女性は薬物治療で全員良くなっています。
W:薬が効果を上げない人たちはどのような治療法があるのですか?
川谷:その質問に答えるのは難しいですね。といっても、約半数もいるわけですから、手立てを講じなければな りません。特に、20代の男性が薬の効果が限定的で女性のように効果を上げません。
W:精神療法はあまり行われないのですか?
川谷:社交不安症に苦しむ人の精神療法の継続はとても難しいのです。50分の精神療法は心理的負担が大きいの で、カウンセリングに技法の修正と工夫を要します。認知行動療法と薬物治療の併用が効果的だという論文も 散見されますが、当院では精神分析を応用したカウンセリングを行っています。認知行動療法が効果を上げる 人たちなら、診察以外に時間を取らないでも、薬を使いながら、通常の短時間セッションの保険診療で十分に 効果をあげることができます。川谷医院では、薬が思った以上の効果を上げない人たちにはATスプリット治 療を提供しています。精神科医の診察と心理士による心理療法(カウンセリング)を週1回、50分行う治療法 です。
W:今日は、人とうまくコミュニケーションがとれなくなる「社交不安症」に関する、対人恐怖症との違い、生 い立ちとパーソナリティ発達、そしてパーソナリティ障害化についてお話を聞きました。社交不安症は気質と 環境が複雑に絡みながら進展していくんですね。
川谷:そうです。単純に性格と片付けることはできないし、そのパーソナリティ発達を見ながら、オーダーメイ ドの治療法が必要だと思います。

3.終わりに
 如何でしたか?随分と分かりやすくなったと思います。しばらく対話式でやってみたいと思っています。次回の臨床ダイアリー14は「鴎外のスプリティング」です。スプリッティングはいつか説明したいと思っていた分析用語です。それを鴎外の小説家と医師という2つの顔を彼の小説を題材に説明しようと思っています。
posted by Dr川谷 at 21:34| Comment(0) | 日記

2016年09月19日

臨床ダイアリー12:私、コミュニケーションが苦手です

臨床ダイアリー12:私、コミュニケーションが苦手です


2016.09.19(月曜日)

T.はじめに

 時々「コミュニケーションが苦手です」という相談を受けることがあります。それも20代から40代と幅広い年齢層の方からです。コミュニケーション障害というと、幼少期の頃に見られる子どもの病気です。なのに、川谷医院を受診される方の多くは青年期以降の人たちです。

 よく話を聞くと、子どものコミュニケーション障害という病気ではなくて、社交不安症のためにコミュニケーションが取れなくなっている人がほとんどです。本拙論では、子どもの『コミュニケーション障害』については後日述べることにして、今回は「私、コミュニケーションが苦手です」という主訴で受診される思春期から大人の方の診断と治療について説明しようと思います。


U.社交不安症について

 人前で緊張し、そのために声が震え、手に汗をかき、顔は引きつり、頭の中は真っ白になり、対人交流が滑らかにできないために、「私はコミュニケーションができないので、発達障害と思って受診してきました」という患者さんは少なくありません。さらには、「私は自分では変わっていないと思うのですが、他の人たちからは変わっていると思われている」と悩む患者さんもいました。

 共通するのは、「うまく会話ができない」という主訴です。「Tシャツを買いにお店に入って店員さんが近づくと逃げるように帰ります」という人、留守番をしているときに宅急便がやってきても「原則、私は出ません。居留守を使います」という青年、そして「PTAや地域の交流会などでとても緊張して、できたら避けたいけどそれもできないので、とても辛いです」と訴えるお母さんも少なくありません。大学を出たばかりのある女性会社員は「会社で電話に出ることができません」と泣きながら受診されました。ワンフロア―の一画に十人ほどの部署があり、そこに彼女のデスクがある。黙々と働いている他の社員を前に電話に出ると、周りの人が聞いていると考えると、会話をするのができないというのです。このような相談は、20年以上前は少なかったと記憶しています。

 それ以前は、対人恐怖症の若者が多かった。対人恐怖症とは日本の文化に根ざした社交不安症に近い病態で、中には「自分の視線が他人を不快にする」といって妄想的に解釈する人います。後に詳しく説明しますが、対人恐怖症と社交不安はとても似た病態ですが根本的な違いが見られます。

それでは、社交不安症(SAD)の説明に入ります。川谷医院のHPから精神医療相談室をクリックしていただくと、「精神医療相談室 ドンマイ」に移れます。そこの川谷大治のエッセイに『社会恐怖(社交不安障害)』の項目に辿り着けます。ずいぶん前のエッセイで分かりづらいという評判の高い論文で、名誉挽回で今回は分かりやすく説明したいと思います。

 1.DSM−5の『社交不安症』

 診断基準を以下に示します。

 A.他者の注視を浴びる可能性のある1つ以上の社交場面に対する,著しい恐怖または不安。

   例:社交的なやりとり(例:雑談すること、よく知らない人に会うこと)

     見られること(例:食べたり飲んだりすること)

     他者の前で何らかの動作をすること(例:談話すること)が含まれる。

  注:子どもの場合、その不安は成人との交流だけでなく、仲間たちとの状況でも起きるものでなければなら    ない。

 B.その人は、ある振る舞いをするか、または不安症状を見せることが、否定的な評価を受けることになると   恐れている(すなわち、恥をかいたり恥ずかしい思いをするだろう、拒絶されたり、他者の迷惑になるだ   ろう)。

 C.その社交状況はほとんど常に恐怖または不安を誘発する。

  注:子どもの場合、泣く、癇癪、凍りつく、まといつく、縮みあがる、または、社交状況で話せないという    形で、その恐怖または不安が表現されることがある。

 D.その社交的状況は回避され、または、強い恐怖または不安を感じながら耐え忍ばれる。  

 E.その恐怖または不安は、その社交的状況がもたらす現実の危険や、その社会文化的背景に釣り合わない。

 F.その恐怖、不安、または回避は持続的であり、典型的には6カ月以上続く。

 G.その恐怖、不安または回避は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域   における機能の障害を引き起こしている。

 H、I、J:物質や他の精神疾患(パニック障害、醜形恐怖症、自閉スペクトラム症など)ではうまく説明さ   れないし、身体疾患とは無関係である。


 「注」として子どもの場合が取り上げられていますが、社交不安症はアメリカの場合発症年齢は75%が8〜15歳と言われ、その平均値は13歳です。川谷医院を受診された小学生の中に学校から帰ると玄関先でおもらしする少女がいました。しばらくして、彼女は学校のトイレを「他に誰かがいると排尿できない」という社交不安症状のために使うことができないということが分かりました。それで学校では排尿を我慢し続け、やっと家にたどり着いてほっとした瞬間におもらしをするという事実が分かりました。母親にはそのことをずっと秘密にしていたのだそうです。内気さゆえにトイレを使えないので、「内気な膀胱症候群shy bladder syndrome」と呼んだりもします。

 社交不安症は気質要因の強い疾患です。その気質とは「行動抑制と否定的評価に対する恐怖」です。親戚や祖父母、ときには両親のどちらかが若い頃社交不安症で苦しんだ人が少なからずいるようです。とは言っても、環境の影響を否定することはできません。子どもの頃の虐待は社交不安症の危険要因の一つです。人と視線を合わせられないという成人例に幼少期の父親による厳しい叱責が原因だった症例を私は経験しています。

 2.対人恐怖症との違い

 次に、対人恐怖症との違いに入りましょう。対人恐怖症は日本の文化に根ざした病態で昭和の時代には電信柱に「赤面恐怖治します」などの広告を目にする機会によく遭遇しました。福岡で目にすることは滅多になかったけれど、学会や研究会で東京に出かけた時などに下町ではよく見かけました。対人恐怖症の症状は実に多彩で、赤面恐怖(顔が真っ赤になるのを恐れる)、大衆恐怖(大勢の人たちの前に出るのを恐れる)、演説恐怖(人前でスピーチをするのが恐い)、談話恐怖(誰かと雑談をするのが恐い)、正視恐怖(視線を合わせるのが怖い)、劣等恐怖(自分が人より劣っているのではないかと過度に恐れる)、交際恐怖(誰かと交際するのがとても怖い)、異性恐怖(異性が怖い)、長上恐怖(年長者が怖い)、などがあります。私が精神科医になった頃はこんな用語を使っていました。現代流に言うと、()の中で説明しているようにDSM−5の社交不安の症状の一つ、一つに妥当します。

 このように対人恐怖症はしばしば社交不安症の診断基準を満たしていますが、中には他の人を不快にさせるという恐怖と関連していて、この恐怖は妄想的に解釈されることが両者の大きな違いです。先に説明しましたように、「私の視線が他者を不快にさせる。それで彼らは目をそらし私を避ける」というのを「自己視線恐怖」と呼んでいます(詳細はドンマイのエッセイを参照)。しかも、わが国で対人恐怖と言われる病像そのものが欧米諸国では比較的少ないと言われていました。ところが、1980年に出版されたDSM−Vで『社交不安障害』という疾患名が登場するのです。つまり、アメリカにも人前でビビる人たちがいる、ということを公にしたのです。それ以前は、アメリカでは自己主張を重んじますので、人前で緊張するような小心者は存在しないというアメリカの精神文化があったために、対人恐怖症という病名を認めようとしなかったのです。そして社交不安症がSSRIという薬に反応することが分かり、日本でも対人恐怖症は脇に置かれて社交不安症という病名が注目されるようになったのです。

 日本でも、新しいSSRI系薬剤が販売されると、その宣伝効果もあって薬を求めて社交不安症の患者さんがクリニックを受診するようになりました。その一部に対人恐怖症者がいるのです。確かに川谷医院でも対人恐怖症と診断される人たちは少なくなって、逆に社交不安症がうなぎ上りに増えています。

それは何故でしょうか?ある不登校の男子高校生の治療を担当していたときのことです。彼は幼少の頃から内気で恥ずかしがり屋でした。運動会が近づくと熱を出してはよく休んでいました。両親との面接で彼の父親は私に、「私も息子の年頃には(緊張のために)顔が赤くなって人と接するのがとても怖かった。でも私は、空手を習うことでそれを克服しました。息子も私に似ていて内気で自分主張の少ない子どもです。私と違うのは、息子は努力してそれを治そうとしないことです」と嘆いていました。

 この親子に示される症状に対する態度の違いが対人恐怖症と社交不安症の2つ目の特徴です。つまり、社交不安症では回避、対人恐怖症では克服という症状への取り組み方の違いが見られるのです。それは精神科治療を求める動機にも現れます。両者とも不快な症状から何とか逃れたいというニーズは同じなのですが、対人恐怖症者は精神科治療で自分を高めようという積極的な動機があるのに対して、社交不安症者は回避機制が強く自分を変えたいという治療動機は小さい。場合によっては薬だけを求める人も少なくありません。対人恐怖症者は回避行動を自ら克服しようとするエネルギーを持っていますので、薬を飲むのを嫌がる人が多い。薬に頼る自分を恥じるのです。父親世代では、逃げる(回避)のは卑怯という武士道精神が根強いのでしょう。ですから、対人恐怖症の人には、わざわざ博多駅前の中央広場に出かけて人目に自分を晒すといった試みをする強者もいました。社交不安症ではそのエネルギーは回避行動(人に不審がられないように偽の自分を演じる)に費やされますので、精神科治療を求める態度や主治医に求めるニードや関係性の質が問題になります。

 親子で症状や治療への取り組みが違うのは、対人恐怖症を生み出した日本の文化が変貌したせいなのでしょう。対人恐怖症者のように「善なる方向へとどうか導いて下さい」といった言葉は社交不安症の患者さんからは余り聞かれません。何故なら、善なる方向は彼らにとっては恐ろしい道なので、それはあってはならないからです。日本人もDSMが似合う人間に変貌したと言えるのではないでしょうか。余談ですが、2016年上半期の芥川賞受賞『コンビニ人間』は、社交不安を持つ人が如何に人の輪の中に入るのに苦労しているかが手に取るように分かるので、一読を勧めます。

 この章を要約すると、対人恐怖症は社交不安症の診断基準をしばしば満たすけれども、中には妄想的に解釈されることがあること、また社交不安症は人目に晒されるのを回避しようという欲求が強いのに対して、対人恐怖症では武士道精神に則って回避行動を嫌い症状の元となる自分自身を変えようと努力する、という違いがあることを説明しました。

 3.社交不安症とパーソナリティ障害

 これまで見てきたように、社交不安症者は8〜15歳の間に75%の人たちが発症するわけですから、思春期に仲間体験を持てないということは、「自分とは何か」というアイデンティティ形成を暗くし、自分に誇りを持てなくなるというハンディを負いかねません。「自分は人とどこか違う」「みんなのように普通に生きていけない」という不安や劣等感を人知れず抱きながら生きていくとパーソナリティ発達も停滞するでしょう。それをイメージしやすいように症例を呈示したいと思います。プライバシーの保護のために実際の症例を呈示することができないので私の臨床経験をもとにした架空の人物に登場してもらいます(私にも社交不安症の気質があるので私の分身も登場させています)。

 【症例A:高校3年生の女性】

 Aは40代の両親と姉の4人家族。父親は酒癖が悪く、仕事から酔って帰ると家族によく暴言を吐いていた。母親は特殊な技能をもつ仕事に就いている。Aは酒乱の父親と話をする機会は少なく、父親の顔色を窺いながら、いつも明るい母親とだけ喋っていた。

 両親が共稼ぎのために1歳から保育園に通った。手のかからない子どもだったが、あがり性でダンスをするのをとても嫌った。しかし母親を困らせることはなく、手のかからないいい子だった。小学校に上がると、あがり性のために授業中に手を挙げることはなかった。教室に入るときに「おはよう」と言えず、こそこそと入室していたという。遠足や運動会や音楽の発表会が苦手で少しも楽しくなかった。でも、仲の良い子がいつもいたので学校は楽しかった。

 ところが、小学4年の3学期から「自分が人からどんなに思われているのか気になるようになった」。それから視線を合わせるのが辛くなった。そんな自分を仲の良い子にも気づかれないように教室では努めて明るく振舞った。皆には明るい子、と思われていたけど、内心はいつもビクビクしていた。次第に「私はコミュニケーションが苦手」と劣等感を抱くようになった。親しくない人の前だと緊張して、どう振る舞ったらよいのか分からず困惑することがあった。

 中学校に進学。音楽や理科や家庭科の時間に教室を移動するのがとても嫌だった。部活には「先輩や知らない人に気を使うのが嫌で」入らなかった。中1のある日、別の小学校から上がってきた女の子から「あんたキモイ」と言われたことをきっかけに、級友の話し声が自分のことを言っているのではないかと気になり出した。でも「笑顔が可愛いよ」と言ってくれた小学校からの友達の一言が支えになった。だんだん話せる人と話せない人ができて普通に喋ったりできなくなった。英語と国語の先生が授業中によく当てるので、それが怖くて2科目はしっかり予習をした。特に音読の練習は頑張った。その甲斐もあって成績も上がり希望の高校に入学できた。

入学した高校はきつかった。音楽を聴くのが好きで、趣味を通して仲の良い子はできた。でも、壁を作って自分の気持ちは口にしなかったし、そのことを悟られないようにしていたので、家に帰るとどっと疲れていた。朝、よく下痢をするようになって内科に通うようになった。高3になった時に、文化祭で彼女が朗読を担当するようになった。できない、と断ったけど音楽仲間の強い推薦を「え〜」と言いながら断りきれなかった。

 それから全く人と視線を合わせられなくなり、会話ができなくなった。さらに笑えなくなって、無理に笑おうとすると顔が引きつるようになった。中学生の頃も時々あったが、会話するときに言いよどんで頭が真っ白になることが増えた。そのため周りから「笑えない人」と言われた。周囲の動きに過敏に反応するようになり、自分の価値が周囲の評価に左右され「自分がない」状態に陥った。しかも、仲の良い子とそうでない子との接し方が分からなくなって、どんな顔をしたらよいのか分からなくなった。母親に相談して発表のときに緊張を緩和する薬をもらいにクリニックを受診した。でも薬の効果がなかったので通うのを止めた。母親には「大丈夫、大丈夫」と返事していた。でも学校も休みがちになって、担任からの連絡で母親が当院を受診させた。

 1)幼少期からの社交不安症の自然経過

 症例で取り上げたように、気質的要因「行動抑制と否定的評価に対する恐怖」が症状として現れる始まりは割と早いようです。それは人目にさらされるという状況で始まります。幼少の頃の様子を詳しく聞くと、「幼稚園の発表会で息子だけが後ろを向いていた」「舞台に上がるのを泣いて嫌がった」「ダンスを強制されるのを嫌った」などのエピソードとして語られることがよくあります。

 そして症例に示したように、小学校に上がってから人知れず社交不安症に苦しみだします。教室に入るときに「おはよう」と言うのが普通に言えないとよく聞きます。もちろん、授業中に自ら手を挙げることはできません。運動会や発表会など、人の目にさらされるのをとても嫌がり、当日になると心身反応のために学校を休んだりする子もいます。

 そこに10歳前後の自我の芽生えの時期がやってきます。この時期は自己を他者の目を通してみる客観性の能力を獲得する重要な時期です。と同時に、心理的に危うい時期でもあります。と言うのは、この時期の脳活動は短期記憶よりもエピソード記憶が優勢になり、過去の失敗や恥の体験を長く記憶に留めるようになり、かつ客観的に自己と他者を比較できるようになるので、この時期の傷つきはトラウマになりやすく、子どもたちに劣等感と恥を植え付けていくことになるからです。そして青年期に「自分は人よりも劣っている」「つまらない奴」「化けの皮が剥がれる」といって人と接することを避け、社会的に孤立し、引きこもり青年へと成長していく危険性を孕んでいるのです。社交不安症のもともとの症状に恥と劣等感とうつ症状が加わるわけですから、この時期を乗り切るのは大変な努力を伴います。

 2)社交不安症のパーソナリティ障害化

 小学校高学年からAは「コミュニケーションが苦手な自分」を意識するようになり、しかもクラスの人の評価が気になります。評価によって一喜一憂し、その度に嫌われないように、拒絶されないように、どう振る舞えばよいのか分からなくなっていきます。家ではいつもの自分で生活しているので家族には自分の辛さは分かりません。両親とも働いているのでこれまでのように心配かけないように振る舞っています。そんな彼女に追い打ちをかけたのが、中1のときにクラスメイトに「キモイ」と言われたことです。クラスでは「明るい、笑顔が可愛い」と評価されているので、この「キモイ」という評価はべつのことを意味しているのでしょう。

コミュニケーションが苦手だと気づいたAは、仲の良い子とそうでない子との間では緊張の度合いも違ったでしょう。ある人の前ではいつもの明るいA子、別の人の前では緊張し頭が真っ白になるA子であれば、相手によって態度や振る舞いが変わるのを「キモイ(ずるい嫌な奴)」と思われたかもしれません。それでも友達の「笑顔が素敵」という言葉に支えられ中学生時代を乗り越えていくのです。しかし彼女を待っていたのは文化祭で朗読すると言う地獄の試練でした。

 社交不安症の人が青年期以降にパーソナリティ障害化する危険性は低くない。社交不安に加えて、幼少期の家庭環境に問題があると、将来BPDへと発展する可能性が高くなります。それが“静かなるBPD”です。両親の離婚、虐待、逆ギレする母親、文字通りに反応する母親、などの環境で育ち、さらに高校を中退するような事態にでもなれば、さらにパーソナリティ障害化の危険性が高くなります。高校を辞めると、緊張場面からは解放されますが、自尊心は育たないし、自分がどれ程の人間か相対的に自分をみる機会を失うので、空想世界に自分を求めるしか手段がありません。すると、「他者」あっての「自己」なわけですから、高校中退は「自己」の成熟を停滞させます。それを私は“静かなるBPD”と呼んで今年6月の第112回日本精神神経学会で発表しました。臨床ダイアリー5:“静かなるBPD”で詳しく述べていますので。そちらを参照して下さい。

 4)回避性パーソナリティ障害

 さらに、引きこもりが長期化すると回避性パーソナリティ障害(以下、AvPD)へと発展する可能性も出てきます。T・ミロンによって提唱されたAvPDの典型的な特徴は、DSM-5では「自分が、愚かで無能であると感じること、否定的評価および拒絶への不安にとらわれていること、および嘲笑または恥を怖れることに関連する、社会的状況の回避および対人関係での制止」です。分かりやすく説明しますと、AvPD者はいろんな対人関係場面で強い不安・緊張を感じやすく、そのために対人関係を避けようとする機制(心のクセ)がパーソナリティに組織化された人たちなのです。それって社交不安症とどう違うの?と疑問を持った方は鋭い。両者は一つのベクトルに乗っているので、社交不安症者が社会から長い間引きこもるという状況はすでにAvPDに発展していると考えてよいでしょう。

 4.社交不安症の治療

 書いている間にどんどん長くなってきました。あれもこれも書こうとする私の悪い癖で、要点を絞れなくなるのです。適当なところで、区切りをつけて次に進みましょう。

1)薬物治療について

 先に、社交不安症はSSRI系の薬が奏効すると述べました。私の臨床経験では約半数といったところでしょうか。30代、40代でコミュニケーション障害を訴えて受診される方は、すでに20年近く社交不安症に苦しめられています。ずっと自分の性格と思っていたのですが、社交不安症という病気で薬が効果的と知って、SSRIを服用して改善しています。10代、20代では効果を上げる人にはある特徴があります。“普通”の人のように誰とでも打ち解けることはできませんが、地味だけど自分を出せる社交の場を持ち、パーソナリティ障害化していない方たちです。私は少なくとも1年以上の服薬を勧めています。30代以上の女性は薬物治療で全員良くなっています。

 2)カウンセリング(精神療法)について

 薬が効果を上げない人たちはどのような治療法があるのですか、という質問に答えるのは難しいですね。約半数もいるわけですから、手立てを講じなければなりません。特に、20代の男性が薬の効果が限定的で女性のように効果を上げません。カウンセリング(精神療法)があるのではと思う方もいるでしょう。

でも、社交不安症に苦しむ人の精神療法の継続はとても難しいのです。50分の精神療法は心理的負担が大きいので、カウンセリングに技法の修正と工夫を要します(それについて説明したいのですが枚数が増えていきますので別の機会に譲ります)。認知行動療法はどうなのですか、と質問したい方もいるでしょう。認知行動療法と薬物治療の併用が効果的だという論文も散見されますが、当院では精神分析を応用したカウンセリングを行っています。認知行動療法が効果を上げる人たちなら、診察以外に時間を取らないでも、薬を使いながら、通常の短時間セッションの保険診療で十分に効果をあげることができます。

 川谷医院では、薬が思った以上の効果を上げない人たちにはATスプリット治療を提供しています。精神科医の診察と心理士による心理療法(カウンセリング)を週1回、50分行う治療法です。

V.さいごに

 人とうまくコミュニケーションがとれなくなる「社交不安症」に関する、対人恐怖症との違い、生い立ちとパーソナリティ発達、そしてパーソナリティ障害化について私見を述べてきました。自分もコミュニケーションが苦手だと思おう型は、付録の社交不安症のチェックリストを使ってみてください。社交不安症は気質と環境が縄を編むように複雑に絡みながら進展していきます。単純に性格と片付けることはできないし、そのパーソナリティ発達を見ながら、オーダーメイドの治療法が必要だと思います。

posted by Dr川谷 at 14:44| Comment(0) | 日記