2017年11月27日

臨床ダイアリー17『完全主義の落とし穴』

T.はじめに

今回のテーマは「完全主義Perfectionism」です。完璧主義とも言います。臨床ダイアリー16「自己愛について」を4月10日にホームページにアップしてからスランプが続いていました。さぼっていたのではありません。この間、自己愛についてA、醜形恐怖症、根拠のない自信、フロイトの神経症論の復活、など書いてはみたものの、いずれも納得いかなくて未完成に終わっていたのです。そうこうするうちに夏になり、秋がやってきて、あっという間に11月です。あと5日で12月です。

あれこれ書いては頓挫して、気を取り直して別の主題に移ることを何度も繰り返している内に機が熟したのか、「完全主義」について書いてみようと思いました。「完全主義」については自著『自傷とパーソナリティ障碍』でも一章を設け、私にとって関心の高いテーマなのですが、あれから8年が経ち、これなら世に出せそうだというモノが固まってきました。それを本小論では書こうと思います。

U.完全主義について

長年、境界性パーソナリティ障碍(以下、BPD)の治療に当たって思うことは、BPDと診断される人たちのなかに病前性格が完全主義という人が少なくない、ということです。そして完全主義にはナルシシズム(自己愛)が絡んでいるので、扱いがとても難しい。「完全主義を変えたい」という理由でクリニックを訪れる完全主義者もいますが、性格に変化を与えることは難しいと言われてきました。今日では「性格を変える」という考え方自体がそもそも間違っていると考えるようになりました。変えるのではなく、客観的に捉え、性格に振り回されないようになる、という方が正確でしょう。

完全主義とは、大辞林によると「物事を行うに際して、完全に行わないと納得できない性向」と簡潔に説明されています。Wikipediaでは「完全主義とは心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと。定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。このような思想を持ったものや、そのような心理状態の者を完全主義者、もしくは完璧主義者と呼ぶ」とあります。完全主義には正の作用と負の作用があります。良い仕事は完全主義でないとできないし、JRの電車も時間通りには運航できないでしょう。負の作用がここで取り上げる「落とし穴」のことです。行き過ぎた完全主義の治療についてはWikipediaでは認知療法を挙げていますが、日本では歴史的に精神分析療法や森田療法が成果を上げています。

完全主義は精神科臨床ではBPD以外にも思春期やせ症、強迫症、うつ病、強迫症などの患者さんに見られます。この完全主義をもつBPD患者の治療は、完全主義の扱い方に大きく左右されるのです。完全主義を上手くいくと短期間でかつ劇的な寛解に至ることができるし、その対応が拙いとボーダーライン状態は延々と続き、本人にのみならず周りも疲労困憊に陥る危険性があります。

また完全主義はナルチシスティックな人や強迫的な人に見られますが、前者が自分に甘く他人に厳しいのに対して、強迫者のそれは自己批判的で周りの人たちへの関心は少ない。ナルチシスティックな人たちは「自分は完璧主義だ」という思い込みが強いのが特徴です。

本小論ではこの完全主義について患者さんから教わったことを書いてみようかと思います。

U.完全主義者の落とし穴

 私が最初に完全主義者に出会ったのは研修医1年目の思春期やせ症の患者さんでした。次に、福岡大学病院に内地留学して受け持った過食症を合併したBPDの青年です。3例目はクリニックで担当した外出恐怖症の女性です。運よく3人とも病気は改善したのですが、完全主義の治療が完璧にできたかと問われると自信がありません。でも、3人の治療経験は私の大きな財産になりました。開業してから完全主義者のBPDやうつ病を治療する機会に3人の治療経験がとても頼りになったのです。

1.3人の治療経験から得られたもの

 最初に指摘しておきたいことは、完全主義は病気を治すのに抵抗勢力になるということです。なぜ治療の抵抗になるのか。その理由を病気の成り立ちから考えてみましょう。メンタルの病気は様々な内的不安を防衛するために種々の症状が生まれ、それを強固なものにするために完全主義が縄を編むように絡み合って複雑な病態を形成しているからです。故に、病気の成り立ちを理解しようというのではなく、完全主義が治療の目的になり変わり、症状を消失させようということにのみ意識が集中して完全な治癒像を求めてしまうからです。

 思春期やせ症の中学生は自らに課した過酷な食事制限とエクササイズを守ったために体重は30s、無月経、徐脈、多毛の先祖返り、などの症状が出現しました。外来では治療困難と言う理由で入院した時に私が主治医になったケースです。入院すると病院食なので自分で制限する必要はないのでホッとすると同時に、病院食に任せると太ってしまうという不安が意識されるようになりました。それで自分に課したエクササイズと食事制限を完璧にこなすか、それとも病気を治すために病院食に身をゆだねるか、というジレンマに陥ったのです。そこで彼女は入院と言う保護された環境から離れたら、再び完璧主義が復活できると考えて、つまり病気を治したくないのです、私に執拗に退院要求をしてきたのです。私は退院を許可せずに、淋しさ、無力感が辛いのだろう、と解釈したところ、ズバリ当たってただけに彼女は怒りだして、その怒りが活力になって病から脱出したのです。災い転じて福となすという典型例です。

BPDの青年は1日に腕立て伏せ800回、スクワット1000回、腹筋1200回を掟として自分に課して入院中は常にエクササイズに余念がありませんでした。病気が深刻になるにつれ、完全主義が動員されて20回からスタートした腕立て伏せは800回とエスカレートしていったのです。彼は掟を止めると、だらしない自分になってダラダラと食べ続けるので掟は捨てられないと訴えました。しかし、掟を守り続けるのも苦しいし他の患者さんとの交流の妨げにもなる(なにしろ1日中、病室でエクササイズに明け暮れるために)。やがて彼は掟を放棄しました。それからは売店に行ってはお菓子やパンを買ってベッドの上でダラダラと食べ続けたのです。それで摂食障害は収まりました。口の周りは幼児の様にクリームをつけて、呆然とした表情で食べ続ける彼の姿は今でも忘れられません。パンを味わうのではなく、詰め込むように食べ続けるのはBPDの「ボア」のせいだということがわかったのは5年後のことでした。専門的に言うなら、「ボア」が耐えられないので完全主義が防衛に加勢していた、ということです(「ボア」については精神科読本『境界性パーソナリティ障碍』を参照)。

外出恐怖症の主婦は独身時代から家計簿をつけて病気をしてからも克明に記録を続けていました。それに家事を完璧にこなすという作業を自分に課していました。毎日きちんとやれたかどうかは彼女の関心事でありその成果に一喜一憂していました。できないと自分を責め、落ち込み、外出恐怖症の病態を複雑なものにしていました。当時の私は臨床経験が浅く、手を抜いてはどうか、という今に思えばとんでもない介入をして患者さんを苦しみのドツボに陥れたのです。彼女は家計簿を止めて家事も放棄しました。案の定、自分の生きる意味を失い生きる屍同然になった、と私に訴えました。20年間守り続けてきた家計簿を中断したのは間違いだった、と私を責め立てました。ところが、ここで逆転現象が起きて、彼女は友人の手を借りずに自分の力で受診できるようになったのです。幼少の頃からしつけに厳しかった母親。それとは全く正反対の主治医の対応。父親が芸術家で理想の男性だったこともあって主治医の意見を受け入れたのです。その矛盾が彼女のなかで弁証法的な緊張となり、どちらであってどちらでもない、という答えのない問題を抱えることができるようになったのです。

2.病気と完全主義

 若い頃に出会った3人の治療経過を取り上げたのは、病気と完全主義は互いに分離せずに絡み合っているので、それを時間かけてほどく必要性があるということを言いたかったのです。

 3人とも治療経過の中で「完璧かずぼらか」の二者択一というジレンマに陥りました。答えが出ないのは彼らにとって歓迎されません。どっちかに割り切りたいのです。病気の発症の過程で完全主義が暗躍して病気をさらに進行させる、と言ってよいかもしれません。痩せたいという思いでダイエットする女性は多いと思いますが、完全主義者はそこから一歩進んで病の中に迷い込むのではないでしょうか。ですから、病気から解放されるためには完全主義を放棄しないと先に進めないのです。でも、それを捨てるのは彼らにとって容易なことではありません。と言うのは、彼らをこれまで支えてきたのは完全主義と言う性格だからなのです。そういう自分がまた可愛いのです。しかも、完全主義の正の要素に馴染んできたわけですから、負の要素が大きくなったからと言う理由で早々に捨てるわけにはいかないのです。捨てると、自分はだらしなくなってしまう。そのとんでもない自分とはこれまで避けてきた自分の一部なのです。それでは、彼らが安心して完全主義を緩める道が果たしてあるのでしょうか。

V.完全主義からの脱出

答えはyesです。完全主義を緩める策があるのです。私が完全主義の性格を治したいという患者さんの希望に応えて成果を上げたのは弁証法的アプローチと呼んでいる治療法です。

症例を2例、それぞれ強迫とナルチシスティックな症例を呈示して、完全主義の扱い方に関する弁証法的アプローチについて述べましょう。

1.症例A:強迫的な完全主義

 患者さんは強迫的な完全主義のために仕事に急き立てられるかのように没頭して、残業も自らの判断で取り組み、疲れ果てて仕事に就けなくなって精神科クリニックを受診しました。家族の勧めでやっと重い腰を上げたのです。主治医に「うつ状態に陥っているので休養し、お薬を飲みましょう」と説明されたのですが、仕事を休む状態に陥った自分がたまらなく嫌になって、処方された薬を一度に服用し、家族を巻き込んだ状態になってしまいました。主治医や家族は「完璧にやろうとするから疲れるのよ」と主張して休養を勧め、本人との間に「休め」と「仕事に行く」という二進も三進もいかない状態が続き、その緊張を和らげるかのように患者さんは自傷行為を繰り返すようになったのです。それで私のところを受診してきました。それまで行われていた薬物治療を整理し、半年後強迫的な完全主義に焦点を置いた治療へと進みました。

 患者さんの「働きたい」という心情に与すると休養はありえない話です。しかし、それだと永遠に安らぎは訪れません。イカロスの翼です。かと言って、周囲から「手を抜きなさい」と説得されるのは、身体は楽になりますが心の方は「駄目な自分になる」という恐れが支配的になります。それで、このどちらも成り立たない両極端な考え方をバイポーラ―セルフ(bipolar self)と擬人化して「あなたは完全主義の自分が支配的なようですが、周囲の人たちが勧めるようにもうひとり楽を求めるズボラな自分を育ててはどうでしょうか」と介入しました。「どういうことですか」と訊ねられたので、「完全主義を生かすためにもズボラな自分を心の中に住まわせ、二人をしばらく心の中に抱えていくのです」と説明しました。「抱えているだけでよいのでしょうか?」「そうです。そして次に、二人の間であれこれ対話をさせてみてください。例えばこんな風に。少しは休めよ。完全主義だと目標を達成するために躍起になって音楽や芸術を楽しめなくなるよ。嫌だ。楽を求めると成長・成功は見込まれない。あなたみたいにズボラな生活を送って何が得られるでしょう。活き魚は流れに逆らって泳ぐ、というではないですか。その通りだね。でも、何事も完全にやり遂げようとすると人間にとって大切な情緒を失うような気がする。・・・・」。この問答を続けていくと「答えが出ないですね」と彼女はつぶやいたのです。「答えが出ないのは当然です。アインシュタインも答えを出せない問題なのです」とコメントすると、彼女は「やってみます」と言って帰ったのです。それから彼女は「私なりに答えが出ました」と述べて、説明してくれました。ボーダーライン状態は半年ほどで改善し、仕事を休むことなく続けることができたのです。

 ヘーゲルは子どもが大人になるまでの思春期青年期の課題は個を押し通せば社会が困り、社会を慮ると個が無くなる、この背に腹を変えられない矛盾を引き受けて生活することが大人への第一歩だと述べました。あなたが友だちとの間でむしゃくしゃして部屋で大音量のロックを聴くと、必ず母親がやってきて近所迷惑だから音量を下げるように言ってくると思います。母親の意見に従えば気分は一向に晴れません。反抗すると気分はすっきりしますが近所に迷惑をかけて一波乱が発生するかもしれません。この矛盾を自分の問題として抱えていくのが大人になることだとヘーゲルは言ったのです。

2.症例B:ナルチシスティックな完全主義

 会社を辞めて治療に専念し、1年ほどで一時期の抑うつ状態から脱してアルバイトに出たBPDの患者さんです。「今度の職場は楽しいです。皆さん優しくてここならやって行けそうです」と喜んでいました。私は、彼女の現実の一部だけを切り取って、それを全体と見てしまう思考過程に思いを寄せて、「次回は落ち込んで来るだろうな」と予想しました。案の定彼女は「イライラします」と訴えて機関銃のように喋り続けました。何がイライラするのかと言うと、正社員の人たちはアルバイトの自分たちに仕事を任せて呑気に野球のドラフトの話をしたりして仕事を怠けている、というのです。ちゃんと仕事をしないのでイライラしてたまらないという。それで私は彼女の完全主義を取り上げました。

私:「完璧に仕事をこなす自分と比べると腹が立つのだ」

B:「そう。いっつも仕事をしないのですよ、あの人たち」

私:「私は私、彼らは彼ら、と考えられないんだ」

B:「腹が立つ。思い出すだけでイライラします」「どうしたらいい、先生」

私:「いい考えが浮かびました」

B:「えっ、何ですか」

私:「弁証法というやり方なんだけど。私がBPDの患者さんから教わった方法です。完璧主義の私と、その真逆のおっさんを心の中に作るのです。そして、二人の間で対話させてみてください。例えば、ちっとはしっかり働いてよ。あんたがいるから私たちは楽ができる。宜しくね。そーんな、一緒の仕事をして給料は私たちの何倍も貰うんでしょう。それは申し訳ない。でもあなたたちがいるから私たちも助かる。でもそれだと私たちアルバイトは損するだけです。・・・・・実演したように、完全主義は周りを助けるけど自分には利益がない。でもおじさん社員のような働き方は性に合わない。でも、ぐうたらおじさん社員は楽をする。この両極端のあなたを対話させてみてください」

B:「えーっ、それだけでいいのですか」

私:「一時期でいいと思います」

B:「でもよく考えたら答えは出ないみたい」

私:「弁証法的やり方は答えが出ないのミソなのです」

 こうして彼女は社会適応能力がアップして、1年ほど勤めることができたのです。

W.さいごに

 症例として提示した二人の患者さんは事あるたびに相反する性格を持つ二人の自分、つまり私が呼んでいるbipolar selfを対話させる機会を登場させて、どちらか一方に片寄らないようにバランスを取れるようになりました。つまり完全主義を放棄せずに完全主義に振り回されなくなったのです。それは心の中に完全主義の自分と、それとは真逆のズボラな自分を心に置いておけるようになったからです。

完全主義をもつ人は少なくありません。もし、自分もそうかなーと気づいておられるようでしたら、この弁証法的思考を身につけると、完全主義に気づき自分を見失うことも少なくなると思います。

posted by Dr川谷 at 13:15| Comment(0) | 臨床ダイアリー

2016年08月08日

臨床ダイアリー13:『ライムギ畑でつかまえて』を読んで

2016.08.07(日曜日)『ライムギ畑でつかまえて』を読んで
1.はじめに
 本来なら今回は、臨床ダイアリー12:『コミュニケーション障害について』の予定でしたが、9月に長崎で福岡大学病院時代の後輩たちと研究会を催すことになって、J・D・サリンジャーの“The Catcher in the Rye”を再読する必要に駆られ、本棚から野崎孝訳が見つからなかったために村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を初めて読んでみました。すると、そのインパクトが大き過ぎて『コミュニケーション障害について』を後回しにして、急きょ臨床ダイアリー13を優先することになったのです。
 私が精神科医になった1980年は境界例Borderlineという病名が臨床医の衆目を集めていました。その時に、先輩たちからしばしば境界例を知りたければ野崎訳「ライムギ畑でつかまえて』を読むように言われました。ところが、改めて読み直してみると、いろいろ新しい発見があったのです。その発見を以下の順で述べてみたいと思います。
  1)境界例という概念について
  2)退行型BPD
  3)主人公ホールデンは回避性パーソナリティ障害か

2.境界例という概念について
境界例という概念を説明するにあたって、川谷医院のホームページに載せている精神科読本シリーズ15『境界性パーソナリティ障害』を一部引用します。
 境界例ボーダーラインという医学用語が使われるようになったのはアメリカで精神分析が盛んになり始めた1934年頃のことです。その当時、ヒステリーや強迫神経症といった精神神経症の治療にはフロイトによって編み出された精神分析(「自由連想」といって患者に頭に浮かぶことを報告させる)が主流になっていました。ところが神経症の治療に精神分析を施していると,治療が難しく,なかには状態が悪化して妄想状態を呈する患者が現れる,という報告が続きました。しかも,彼らを通常の対面法による精神科診察に戻すとその妄想状態が消失するので、神経症と精神病の境界という意味で彼らは境界例ボーダーラインと呼ばれ、また神経症の仮面を被った統合失調症、すなわち偽神経症性統合失調症pseudoneurotic schizophreniaとも呼ばれました。
 その後、第二次世界大戦前のヒトラーのユダヤ人迫害にあって多くの著名な精神分析家がアメリカに亡命,移住したことによってアメリカの精神分析は急速に発展し、多くの人々が分析治療を受けるようになりました。マリリン・モンローもその一人で、彼女が自殺を企てた時の第一発見者は当時主治医だった精神分析医のグリーンソンだと言われています。精神分析はその適応を拡大し、境界例の主要な治療法の一つになっていきました。その過程で境界例の研究も進み,ロールシャッハ・テストという心理検査のように,無構造のテストでは統合失調症的な反応が見られるのですが,それ以外の検査では健康者と同じような反応を示すこともわかってきました。状況によって示す反応が違ってくるのです。さらには,ボーダーライン状態(ナイト)、アイデンティティ拡散(エリクソン),偽りの自己(ウィニコット),基底欠損(バリント)、見捨てられ抑うつ(マスターソン)といった概念が提出されるに従って,境界例をパーソナリティ発達の問題として見る流れが定着してきたのです。その過程は統合失調症に近い一群を境界例から締め出していく作業でもありました。
 一方、アメリカの文学界では1951年にサリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』が出版されました。主人公のホールデンは精神病院に入院していて、落ち着きを取り戻した後に回想記録に取りかかります。ホールデンは成績不振でペンシー高校を放校になり、両親が学校に来る前に寄宿舎を飛び出てニューヨークのマンハッタンに帰るのですが、物語はそのわずか3日間の出来事です。同じ頃、1959年に精神分析家のエリクソンはアイデンティティ拡散症候群という概念を発表しました。その研究対象はアメリカ東北部の16歳から24歳の青年で、まさしくホールデンが生きた時代の青年像を描いています。エリクソンの著書はベストセラーを記録し、日本では慶応大学の精神分析家の小此木圭吾によって1973年に『自我同一性』として訳出されました。
 そして今日の境界例論に大きな影響を与えたのが1970年代のカーンバークによって提唱されたパーソナリティー構造論(性格特性)です。この段階に至って,ボーダーラインは@精神病との境界,Aうつ病との境界,Bパーソナリティー構造としての「境界(ボーダーライン)」という流れが明らかになり、1980年に登場したアメリカ精神医学会のDSM−V(精神疾患の診断・統計マニュアル)によって「境界性パーソナリティー障害(BPD)」が登場したのです。実はこのときに、1930年代に提唱された統合失調症により近い境界例の一群は統合失調型パーソナリティ障害(SPD)としてA群に分類され、BPDはB群に分類されました。
 どういうことかと言いますと、境界例は統合失調症に近い一群と同一性拡散を呈する一群に分類され、前者はSPD、後者はBPDとして整理されたのです。私も境界例という精神科診断には対人関係の様式から巻き込み型とひきこもり型の2つのタイプがあり、前者はDSMのBPD、後者はDSMのSPDに相当し、年々巻き込み型が増加し、引きこもり型の出現頻度は時代の変化を受けない、遺伝的体質の強い病理があることを報告しました(第86回日本精神神経学会学術総会で『福岡大学病院における境界例診断の変遷と治療について』1990)。
 『ライムギ畑でつかまえて』の主人公ホールデンの精神状態はBPDに近い精神病理を表している、という文脈で語られていました。私も同じような理解をしていました。ところが、今度、再読して見ると、BPDというより別のパーソナリティ障害として診断した方がよいのではないかと考えるようになりました。この変更を詳しく述べることは、皆さんがネットなどでアメリカ精神医学会が出版しているDSM−5を読んで、症状のX個以上を満たしているから私は○○障害と自己診断することの弊害を少なくできるのではないかと思います。

3.退行型BPD
私は、4年前の第108回日本精神神経学会学術総会のシンポジウムで『境界性パーソナリティ障害の現在』という演題を発表しました。境界性パーソナリティ障害BPDを退行型BPDと発達停滞型BPDの2つに分類することは、そのパーソナリティ形成過程や構造、そして治療方針に有益だという報告です(日本精神神経学会電子版2013年4月)。そしてその鑑別には発病過程や症候学的特徴だけではなく病前の社会適応能力度が鍵を握ると述べました。
 境界例はSPDとBPDに二分され、さらにBPDも2型に分類されるというのは、境界例診断がとても曖昧だ、ということを表しています。BPDはDSM−Vによって単一疾患として登場したのですが、臨床的には一括り出来ない困難さを含んでいます。私は症候群として理解した方がよいのではないか、とさえ思っています。境界例の概念には、そこにBPDと診断される若者がいるのに、近づいていくとその姿は2つにも3つにも分身するような印象があるのです。
 境界例は対人関係の様式を切り口にすると巻き込み型とひきこもり型に2分されました。今度は社会適応度の観点から見るとまたまた2分されるという話です。当院を受診したBPD患者さんの改善後の社会参加について調査したところ、短時間の保険診療の中で短期間に改善する症例の多くは曲がりなりにも社会に適応していたのですが、現実的な諸問題が原因で退行しDSM診断基準を満たすようになったBPDの患者さんたちでした。回復すると自ら社会に出ていく高レベルのBPD患者さんたちです。一方、幼少の頃から諸問題を抱え続け、家庭環境にも問題の多い――思春期から入院治療や長期の治療を要する――改善しても社会に出て行けずに治療が長引くのは低レベルのBPDの患者さんたちです。便宜上、前者を退行型BPD、後者を発達停滞型BPDと呼ぶことにしました。鑑別のポイントは幼少期からの社会適応能力にあり、後者では精神科治療にも適応できなくて悪性退行を深めることが多いので治療困難例が多い。
 1)退行型BPDと発達停滞型BPD
 退行型は治療開始後、半年〜2年間で状態も安定しBPD診断基準を満たさなくなります。数年間DSMの診断基準を満たしていた患者さんが環境調整と薬物治療の変更によって2ヶ月間で改善し、仕事に就くと同時に治療からも離れた症例を経験しています。
退行型と発達停滞型の社会適応能力の差は、適応能力の低さと誇大性(万能感)の病的さにあります。発達停滞型は社会に出るのに臆病で恥掻くことと失敗することを極度に恐れています。私はは彼らの心理を中島篤著『山月記』から引用して「臆病な自尊心」と呼んでいます。現実生活の失敗を恐れ、しかもそれを克服するための現実的な努力は屈辱に感じる心理です。さらに、生活史そして治療経過からパーソナリティの社会化の過程を妨げているのは、筆者が「ボアbore」と呼んでいるエピソードにあることが分かりました。
 2)「ボア」とは?
 ある患者さんは私との週3回の精神分析的精神療法の中で連想が進まず締りのない表情をすることがありました。その姿を後に母親は、「社宅の砂場で遊んでいた子どもが、私が居なくなると、目に力がなくなりボー然と立ち尽くす姿を近所の奥さんから聞いて知った。その姿は小6の修学旅行の記念写真にもそっくり写っていた」と思い出したのです。
 精神分析的には「対象恒常性」の欠如と言われる現象です。BPDが母親の不在に上手く対処できないのは、内的対象が育っていないからと言われます。同様の患者の状態はウィニコットの『ピグル』にも言及されていましたので、私はそれを「ボア」と呼ぶことにしました。ピグルは1歳9か月のときに妹が生まれて精神的混乱(境界例状態)を来した女の子です。
 わざわざ小難しい退行型BPDという話を挿入したのは、それなりに理由があるからです。ホールデンも現実生活に適応できなくなって退行型BPDと診断される病態になったのではないかと思うのです。

4.主人公ホールデンは回避性パーソナリティ障害か
 それではホールデンの診断をどう考えたらよいのでしょうか。これまでに、境界例には対人関係様式から巻き込み型(BPD)と引きこもり型(SPD)の2つがあって、巻き込み型はエリクソンの同一性拡散症候群の特徴を持ち、青年の精神的混乱像を描いていて、映画や小説の題材にしばしばなりました。その中でも浅丘ルリ子主演の映画『女体』は秀作です。そして、その混乱状態からの回復と社会適応能力の観点から、さらに退行型と発達停滞型の2つに分類される、という話をしてきました。
 ホールデンの生活史や家庭環境の情報は少ないので、彼がボアの病理を持っていたかどうかは定かではありません。確かなことは、彼が15歳で家を出て寄宿舎に入れられた同時に、アパシー(精神的麻痺)状態に陥り学業不振になったこと、そのために放校になり、寄宿舎を飛び出して、3日間散々な目に遭いながら、自己破滅不安に圧倒されて精神科入院になるという一連の退行状態の進展過程があることです。そして彼の対人関係様式には「孤独に耐えられずに親密さを求めると相手を憎んでしまう」という山嵐ジレンマが認められます。本物の関りを他者との間で構築することが彼にはできないのです。そして将来は誰とも関係持たずに「聾啞者のふりをしよう」というのです。そうすれば誰とも喋らずに済むからです。つまり、ホールデンは人との関りを部分的に拒否しているのです。部分的というのは自分を受け入れてくれそうな人とは関係を持とうとするからです。別の言い方をするなら、受け入れてくれないと近寄らないということでもあります。この点が巻き込み型のBPDと大きく違うところです。
 さて、そろそろ私の見解を述べる段階に来ました。ホールデンは退行型BPDの状態像を呈することになるのですが、基本的な対人関係様式は引きこもりです。その彼が寄宿舎という檻の中に入れられて、対人関係を持たなければならない状況に追いやられて、退行(同一性拡散症候群)したと考えられます。21世紀の今日では、そのような状況を回避する行動に打って出るのでしょうが、当時は精神的破綻を呈するまで叶わなかったのではないかと想像します。
 ホールデンは精神病院に入院すると精神的には回復しこの3日間の回想の作業に取り掛かります。ですから、一過性の大混乱だったと言ってよいでしょう。退行型BPDの場合、環境調整によって境界例状態から回復すると、適応能力も復活し、社会生活も遅れるようになるのですが、ホールデンの場合は引きこもり中心の生活を送り、社会適応可能な退行型BPDの姿とはかけ離れています。何度も言いますように、ホールデンの対人関係様式は引きこもりなのです。それでは、彼の臨床診断をどのように考えたらよいのでしょうか。
 私は回避性パーソナリティ障害AvPDと考えてよいのではないかと思います。まだ臨床ダイアリーには載せていませんが、その根拠は2015年の日本サイコセラピー学会で発表した『自己愛・回避性パーソナリティ障害の精神療法』が土台になっています。BPDと診断されていた患者さんが治療によって精神的に安定すると対人関係を回避する患者さんの一群がいることを発表しました。それとは逆に、対人関係を回避して引きこもっているAvPD患者さんを入院治療、集団療法、そしてデイケアなどの対人関係を必要とする集団活動の場に強制的に参加させると、AvPD患者さんはその場を回避するか、もしくは回避できない場合、感情の爆発が起きるかホールデンのような退行型BPDを呈するのです。
 もしホールデンの両親が彼の病的性格特性を的確に把握して寄宿舎に入れなかったら、彼は退行型BPDに陥らずに済んだのではないかと思います。これが本小論でもっとも述べたいことなのです。元来引きこもりの人を集団活動の場に強制的に参加させるようなことはしてはならないのです。ポケモンGOは外に出てもゲームの延長なので集団活動は避けられますので、その害は少なくて済みそうです。でも、それだとホールデンのようなAvPDの患者さんは社会から延々と引きこもり続けるのではないですか、という疑問が出るでしょう。
その疑問の答えとして私は、臨床ダイアリー:『“静かなるBPD”と社交不安症』で述べた弁証法的緊張関係が欠かせないのではないかと思っています。AvPD患者さんも治療の場に現れるのは苦手です。しかし、そのままだと自分の存在は希薄で不確かだという切迫した焦りは感じています。この焦りを手掛かりに治療を進めることは可能なのです。そのためには私たちは治療の場に現れるのを待たなければならないし、ご家族も慌てずに待つことが求められます。川谷医院ではホールデンのために、家庭と社会を橋渡しできる就労支援A型施設“ドンマイ”を設立しました。さらには親密な関係を避けてきたために積み残してきた思春期の宿題に取り組む場、つまり精神科医の診察と臨床心理士のペアで行うカウンセリングも設けています。
5.さいごに
 サリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』を読んで、主人公のホールデンは境界性パーソナリティ障害BPDというより回避性パーソナリティ障害AvPDと診断されること、そして彼の精神的大混乱は苦手な対人関係の檻(寄宿舎)の中に放り込まれた結果なのではないかという考えに行き着きました。21世紀の青年であれば社会的に引きこもるという手段で精神的破綻を避けることができたのに、1950年頃は引きこもりという自己防衛手段は思いつかなかったのでしょうね。サリンジャーの対人関係様式や社会との関りを見てみると、人との付き合いは下手で、結婚はするけど続かずに3度離婚します。そして自分を受け入れるコミュニティーの中では静かに暮らしていくのですが、最後はすべての人を締め出して2010年に91歳という高齢で亡くなります。
 まとめますと、境界例は曖昧な概念だから使うのには便利なのですが、近づいていくと分身の術を使って目をくらませます。そんな境界例を理解するのにサリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』は格好の材料になります。でも、再読してみると、実は境界例ではなくて、一時的に境界例状態を呈した回避性パーソナリティ障害だったのではないか、そしてそれは苦手な対人関係の檻の中に入れられた結果だ、ということを述べてきました。この考えは引きこもり青年の理解と援助の一助になるのではないかと思っています。
posted by Dr川谷 at 07:34| Comment(0) | 臨床ダイアリー

2016年07月11日

臨床ダイアリー11:心の病は治るのですか?

2016.07.10(日曜日):『心の病は治るのですか?』
T.はじめに
 6月の診察時にある患者さんから「心の病は治るのですか?」と問われて直ちにタイトルにするように決めました。その理由は、2001年のある論文まで遡ります。当時私は、牛島定信先生を班長とする厚生労働省の班会議『境界性パーソナリティ障害(以下、BPD)の治療ガイドライン作り』(通称、牛島班)に参加していて、その外来治療を担当していました。川谷医院を受診されたBPD患者さんの一部に比較的短期間で回復する症例を経験していたので、診断と治療の両面から短期間で治るということをどう理解したらいいのか悩んでいました。その当時は、BPDの治療は長い間かけて治るのであって、半年そこらで状態が改善するのはBPDではないと判断していました。しかし、治療に入る前には数年間もBPDの状態を患い、仕事も失い、対人関係も不安定で自傷行為や大量服薬を繰り返していたのに、半年もしないうちに上記の状態を認めなくなる患者さんが現れたのです。この病態をいかに考えたらよいのか、と頭を抱えていました。そのような時に、2001年からアメリカを中心に半年以内の短期間で劇的に寛解remissionするという論文報告が相次ぎました。ここでなぜ寛解という言葉を使っているのか記憶しておきましょう。治る=回復という言葉を使わずに寛解という言葉を選んだのではそれ何理由がありそうです。
 論文を読むと疑問が解けました。彼らのいう寛解の定義は症状が無くなって、生活に支障をきたさなくなるのを寛解と定義していたからです。それまで私は「BPDというパーソナリティの病が治る」というのをパーソナリティ構造の改善と考えていたので、20年近くもかけて出来上がったパーソナティ構造の改築は短期間では叶えられないと思っていたのです。つまり、症状はなくなってもパーソナリティに変化が起きないと、同様の環境に遭遇した時に再燃するのであれば、よくなったというわけにはいかないと考えたのです。ですから、症状の消失という観点に私は立つことをためらっていたのです。このコペルニクス的転回には戸惑いと同時に、その考えでも通じるのだと感心もしたのです。DSMの診断基準は疾病に特徴的な症状をX個以上満たしているというとても割り切った考え方からすれば当然の帰結なのでしょうけど。
 すると今度は、患者さんの求めている「心の病は治るのですか?」という問いに対して症状の消失か症状を産み出す病的パーソナリティ構造の変化か、という問題が浮上したのです。心の病は、DSMのように割り切れない問題があるために、精神科臨床の本質を問われているような気がしてならないのです。それでは心の病とは何かという話題から始めようと思います。

U.精神医学的疾病論
1.エレンベルガーの『無意識の発見』から
 精神医療相談室のエッセイに載せている精神科読本21:『精神療法のはじまり』で紹介したエレンベルガーの『無意識の発見』は人間の心を知るのにとても良い本です。若いころ何度も読みました。エレンベルガーは世界各地の心の病の起こり方と治し方を5つに分類して表1のようにまとめています。1970年代にメガヒットした『エクソシスト』という悪魔払いの映画も同列のものですし、コーヒー豆の産地である南米のグアテマラでは、奥地のジャングルに行かずとも、今日でも原始的な方法で精神の病を治していると聞きます。一方、平安時代の日本人は何よりも「祟り」を恐れていました。それを扱ったのが陰陽師です。21世紀の今日でも、沖縄のユタ、恐山のイタコ、さらには各地に伝わるシャーマニズムに基づく信仰があり、悩める者に心理的な救い、癒しをもたらしてくれています。これらは、今日の精神科で行なわれる精神療法の原始的な形と言えます。
  表1
疾病説                  治療法
1 病気とは病気という物体が身体に侵入したためである  病気という物体を摘出する
2 霊魂が行方不明である      魂の所在を突き止め、招魂し、もとに納め戻す
3 悪霊が侵入したためである      祓魔術をする。外部から侵入した悪霊を機械的に摘出除去する。                     悪霊を他の生物に移す
4 タブーを破ったためである      告解(懺悔)し、神の怒りを鎮める
5 呪術によるものである      対抗呪術を行う

 私が研修医の頃、15歳の男子高校生の治療を担当することになりました。彼は解離障害という突然意識を失う病気にかかり、その原因がタブーとなっている石塚を踏んだことによるものだという母親の意見を取り入れていました。エレンベルガーの4に相当します。彼は進学校に通っていたのですが、私との精神療法の中で思春期の雑念のために勉強に熱中できないことで成績が下がり、両親の期待に応えられないという不安が強くなったのが原因だとわかり、病は治りました。
 2.フロイトの神経症論
 20世紀以前の心の捉え方を原始的という言葉が適切かどうかは疑問なのですが、エレンベルガーは上記にまとめた疾病説と治療法は原始的という言葉で形容されていました。その考えに科学的な視点を導入したのがウィーンのフロイトです。フロイトはヒステリーの治療で幼少期の性的外傷を想定し、それを自由連想のなかで言語化すると症状が消失することを発見しました。以来、精神神経症の原因を以下のような公式を打ち立てました。
 
 神経症の原因=リビドー固着による素因 + 偶発的体験(外傷的)
             ↓
      性的体質(先史的体験)と幼児体験
 
 リビドー固着は、遺伝的な素質と幼児期のはじめに獲得された素質とに分解されます。分かりやすく説明しますと、親から遺伝子によって伝えられた素質に幼児期の体験が重なって神経症の原因となる固着点(ある外的刺激に過敏に反応しやすい)が形成されます。長じて後に、その固着点に類似した現実生活における偶発的な体験によって素因が活性化されて症状が発生するという考え方です。ぶっちゃまけていいますと、幼少期に親からもらった体質に幼少期のトラウマが重なって病気になりやすい核が形成されて、大きくなった後に、その核に似た偶発的な体験をきっかけに病気が発症するという考え方です。つまり、パーソナリティ診断と考えたらよいかと思います。このフロイトの考え方は1980年のDSM−Vの登場まで精神医学の標準的な考え方になりました。
フロイトは本能発達のラインに沿って5つの発達段階、つまり口愛期、肛門愛期、男根愛期、潜伏期、性器愛期といった段階を設定しました。そして各段階で障害がおこる(固着)と、それ特有の防衛パターン(パーソナリティ特徴)を形成し、その後の人生で困難に直面すると、その固着点に退行しやすいと考えました。皆さんも一度は耳にしたことがあるかもしれない“エディプス・コンプレックス”は、男根愛期に固着し、青年期の恋愛や親からの自立という葛藤に直面した際に、男性であれば父親に反抗し母親を味方に入れようとするダイナミックな人間関係が展開します。何かと父親代理に反発し葛藤状況になりやすい人を男根愛期に固着があるという言い方をします。
 3.病前性格論
 私が精神科医になった1980年はドイツ精神医学を基礎学問とする伝統的な精神医学とDSM-Vの登場によるアメリカ精神医学の台頭といった流れが押し寄せてきた年です。白衣の二つのポケットには左にドイツ語の精神医学用語集、右にはDSM-Vのマニュアル本をしのばせていました。でもそれは私にとってラッキーな時代だったと思っています。
 古典的な精神医学で最初に学んだのは、クレッチマーが1921年に唱えた「体格と性格」論です。彼によると各体型にはそれぞれ一定の性格と親和性を有し、細長型には内向性、非社交性、内気、孤独、嫌人、きまじめ、過敏で傷つきやすいといった性格が認められ、肥満型では外向性、社交性、情緒あふれる親切さ、好機嫌、ユーモア、情緒が爽快と悲哀との間を揺れ動くような性格が合致します。前者は哲学者、詩人、理論的な科学者、理想家といった人間関係で定の距離を取りたがる人たちに多く、分裂気質Schizothymと呼ばれ、これが病的になると分裂病質Schzoidと言われます。一方、肥満型では実業家、喜劇作家、科学を実際に応用する科学者、といった活動的な人に多く、その性格は循環気質Zykloithmy、さらには循環病質Zykloidと称されます。三番目の闘士型の場合、分裂気質が親和性を持っていることもあるし、てんかん性格Epileptoidと言われる几帳面、潔癖、徹底性、執拗性、残忍性などの性格が密接に関係していることもあります。四番目の発育異常型は、循環気質以外の諸気質、とくにヒステリー性格に親和性を有していると言われます。
 病前性格はクレッチマーの研究から始まって、うつ病におけるメランコリー親和型性格や下田の執着性格(義務責任感、徹底性、熱中性、几帳面、正直さなど)が取り上げられました。当時、私が熱中したのは敏感性格に起きやすい敏感関係妄想でした。敏感性格とは無力性性格要素と強力性性格要素という相矛盾する性格傾向を併せ持つ人のことです。具体的に説明しますと、ある青年は少年の頃から極度に従順で真面目、泣き虫で意気消沈しやすい内気な性格(無力性)と、体面を重んじ、名誉心が非常に強い努力家(強力性)という矛盾を性格の内に秘めていました。こうした敏感性格の人は後に自身の矛盾を問われるような状況で敏感関係妄想を呈しやすいのです。
 4.病前性格とパーソナリティ構造
 こうして病前性格やパーソナリティ構造および発達論的診断に興味を持つようになりました。当時は精神病理学や精神分析が盛んでしたので、それらに応えるだけの環境が存在したのは幸いしました。この病前性格をパーソナリティ構造として見直すととても臨床的なアイデアが湧いてきました。先のフロイトの有名な公式になぞらえて素因をパーソナリティ構造と考えたわけです。

     心の病=病前性格(未熟なパーソナリティ構造)+ 現実的問題

 以下は精神療法誌に投稿した「精神科クリニックにおける力動的精神療法」の引用になります。
 1)病前性格とパーソナリティ特性
 クリニックで最も多いうつ状態を呈する患者さんの生活史を聞くと、彼らが幼い頃より嫌われないように気を使い、パーソナリティ発達に必要な他者とのぶつかり合いを避けて狭い道を歩いていることに気づきます。その中には社会不適応から退行状態に陥り、種々の不安・うつ症状を呈する症例も少なくありません。また、その姿が長期化してパーソナリティ障害と診断される症例に遭遇することが間々あるのです。
臨床的にはあまり役に立たないDSMですが、DSM‐5のパーソナリティ障害代案はその欠点を補う工夫がなされています。病前性格の研究に熱心だった頃のわが国の伝統的精神医学に漸くDSMが追いついた感じがします。クライテリアBのパーソナリティ特性(personality traits)は病前性格の未熟化と言ってもよいと思います。病的パーソナリティ特性を5つの広いドメインと25の特性ファセットに分ける考え方はパーソナリティ障害を立体的に捉えようとする試みで臨床的です(詳細は精神科読本シリーズの『境界性パーソナリティ障害』を参照)。
 2)前性格の未熟化とその治療
 病前性格の未熟化とは、もとの生物学的素因が成長過程で柔軟性を失い、ある環境下では適応的だが別の環境では不適応を起こすスプリッティング現象が観察されることをいいます。新型うつ病と診断される若者を想像するとよいでしょう。
 ところでこの病前性格の未熟化はどのようにして起きるのでしょうか。私の考えはこうです。もともとの気質(素因)に母子分離といった人生最早期における問題、両親の離婚(喪失モデル)、虐待や夫婦間の不和による家庭内緊張(PTSDモデル)、教育現場の問題、思春期の成長過程で他者とぶつかり合う経験の欠如、などが重なって未熟化現象が起きるようです。特に10歳の自我の芽生えの頃のいじめや転校による不登校の体験は重く圧しかかってきます。この時期の社会からのドロップアウトは子どものこころに恥と劣等感を植えつけると同時に、空想世界にその万能感の住処を求めることになるからです。さらに、いじめや不登校によって教育の場を失うと、自分がどれほどの者か分からないまま身体だけ成長していくといった歪な発達を遂げることになります。病前性格の未熟化、つまり性格が柔軟性にかけ不適応をもたらし、かつ重大な機能的障害もしくは主体的苦悩を引き起こした状態がパーソナリティの未熟化なのです。
 3)未熟な防衛機制(スプリッティングを中心に)
 社会からドロップアウトすると、存在の不確かさと万能感の傷つきから生きること自体が苦痛になり、退行し、未熟な防衛機制が暗躍します。特に、思春期青年期の患者がそうです。
未熟化が起きると、衝動的で後先のことを考えずに行動に走り、何度も同じことを繰り返す行動優位の特徴を呈するようになります。ウィニコットが直接的介入と呼んだスプリッティングが見られます。過食嘔吐症の患者さんは、治療に通って来ながら「治したくない自分」が別にいるといいます。このスプリッティングに風穴を開けるのが治療のポイントで、この作業を放置したまま治療を続けても、永遠に患者には変化が起こらないのです。

V.心の病が治るとは
 準備が整ったところで、いよいよ『心の病は治るのですか』という問いに私の見解を述べることにしましょう。『新型うつ病について』の中でも述べたことなのですが、初心者の向けの『ほんとうの法華経』(2015)という本の中に仏教の説く因果とは「果=因+縁」ということだとありました。
山崩れを例に例えると、因とは地盤が緩んでいるかどうか、縁とは大雨が降ったかどうかで果を考えます。地盤が緩んでなくても50年に1度の大雨だと山崩れが発生する危険性は高くなります。また地盤が緩んでいると普通の大雨でも山崩れが起きるかもしれません。心の病も同様に考えると、病気になりやすい病前性格(未熟なパーソナリティ構造)と現実のストレス状況の兼ね合いで起きると考えます。
 1.症状がなくなること
 地盤がしっかりしている場合、症状がなくなり、以前のように生き生きと生活できるようになれば、治ったと考えてよいでしょう。ただこの場合、「ストレスに屈した=私はストレスに負けた弱い人間だ」と考えだすと、症状は治ってもイキイキと生活できるようになるかは疑問です。すると、「ストレスに負けた」という考えを自分の中で解決し納得しないと、治ったとは言い切れません。実はこの過程が長い間続くので、症状がなくなって、そう簡単には治ったとは言えないのです。それとは対照的に、ウィルスに感染して風邪を引いたとすると、誰一人「私が弱かったから風邪を引いた」とは考えません。せいぜい「ちょっと無理したかな」と自分に優しくなれます。身体の病気だと自分をいたわれるのに、心の病だと「怒りの内向」が起きやすいので、なかなか治ったと言えないのです。臨床ダイアリーでも取り上げましたがこの「怒りの内向」の問題は、自分自身に対する理想的なイメージを投影するので、心の病では怒りが内向しやすいのです。
 また、現実の大きなストレスが脳の器質的な変化を招くような事態が生じたとき、たとえば慢性的に繰り返される暴力といったDVや幼少の頃の虐待によって脳の発達に異常をきたす場合、ストレスとなっている現場を離れても症状は続く場合が少なくないのです。脳に目に見えるような器質的な変化を起こしていなくても、臨床ダイアリーで取り上げた『トラウマと反復強迫』の問題が事を複雑にします。どういうことかと言いますと、ストレスになっている環境や暴力を振るう加害者から解放されても、現実の人間関係の中で自分が負った加害者との関係を再演することもあるのです。目の前にいる人は加害者でないのに、加害者と錯覚してしまって、相手を怒らせてしまうという反復強迫が作動するのです。
 2.地盤が緩んでいる=未熟なパーソナリティ構造
 地盤が緩んでいる場合、現実のストレスがなくなると症状も軽くなって「治った」と実感できるようになる瞬間はあるでしょうね。でも、パーソナリティ構造に変化が起きないと些細な刺激ですぐに症状がぶり返すようになります。なので、この未熟なパーソナリティ構造の改築が必要になります。これは薬物治療や環境調整では得られません。長い間かけて特殊な人間関係のなかで修復するしかありません。特殊な人間関係とは訓練を積んだ治療者との治療関係のことです。川谷院では精神科医の行う精神療法や臨床心理士の行う心理療法を行っています。
 3.薬はどこを治しているのか?
 さて、地盤が緩んでいる場合、薬の効果はないと説明したのですが、それでは薬は心のどこに作用しているのでしょうか。脳内の神経伝達物質の調整をするのが薬です。因と縁の結果、症状が生じたときには、シナプス間の神経伝達物質に変調をきたしています。例えば、統合失調症だとドパミンの過剰分泌、うつ病だとセロトニンやノルアドレナリンの減少といった具合です。ですから過剰に分泌されているときは薬で受容体を遮断し、減少しているときにはシナプス間の量を薬で増加させるということです。それによって症状がなくなり、日常生活が正常に戻ると治ったと言えます。しかし、うつ病の場合の病前性格は変わらないままなので再発を余儀なくされるのも事実です。一般にうつ病の80%は治るが、その内の半数の40%は再発されると言われています。
 ですので、薬はあくまでも症状の回復を目指すのであって、心の病をしたことで二次的に生じる無力感、自信喪失、劣等感、敗北感、といった感情の回復は薬ではなくて医師や心理士との対人関係で生きなおしをしないと、本当に良くなったとは言えないのです。
W.さいごに
 「心の病は治るのですか」という患者さんの問いに答えるために私の見解を述べてきました。治るという定義によって治るともいえるし治りにくいとも言えるのではないでしょうか。さらに治るという程度も、単純に症状がなくなるという段階から病を克服して自尊心を取り戻し、生活をイキイキと送れるようになったという段階まで幅が広い。しかも「治る」という言葉の裏には再発しないといった意味も含まれていますので、現実生活の環境調整や病気になりやすい病前性格(未熟なパーソナリティ構造)の改善にまで問題が波及してきます。心の病の場合、「治った」と言うより「良くなった(寛解)」という言葉を使うのも上記の問題を孕んでいるからなのです。ですので「心の病は良くなるけれど、治るという段階に至るまでには人手と時間がかかる」というのが私の見解です。でも、「あなたの病気は治った」と言いたいものです。 

                     参考文献
川谷大治、牛島定信(1989):発達論的診断.精神科MOOK No.23.神経症の発症機制と診断、金原出版.
川谷大治(2014):精神科クリニックにおける力動的精神療法.精神療法.
川谷大治(2015):怒りの内向について.臨床ダイアリー.

posted by Dr川谷 at 09:06| Comment(0) | 臨床ダイアリー