2016年08月08日

臨床ダイアリー13:『ライムギ畑でつかまえて』を読んで

2016.08.07(日曜日)『ライムギ畑でつかまえて』を読んで
1.はじめに
 本来なら今回は、臨床ダイアリー12:『コミュニケーション障害について』の予定でしたが、9月に長崎で福岡大学病院時代の後輩たちと研究会を催すことになって、J・D・サリンジャーの“The Catcher in the Rye”を再読する必要に駆られ、本棚から野崎孝訳が見つからなかったために村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を初めて読んでみました。すると、そのインパクトが大き過ぎて『コミュニケーション障害について』を後回しにして、急きょ臨床ダイアリー13を優先することになったのです。
 私が精神科医になった1980年は境界例Borderlineという病名が臨床医の衆目を集めていました。その時に、先輩たちからしばしば境界例を知りたければ野崎訳「ライムギ畑でつかまえて』を読むように言われました。ところが、改めて読み直してみると、いろいろ新しい発見があったのです。その発見を以下の順で述べてみたいと思います。
  1)境界例という概念について
  2)退行型BPD
  3)主人公ホールデンは回避性パーソナリティ障害か

2.境界例という概念について
境界例という概念を説明するにあたって、川谷医院のホームページに載せている精神科読本シリーズ15『境界性パーソナリティ障害』を一部引用します。
 境界例ボーダーラインという医学用語が使われるようになったのはアメリカで精神分析が盛んになり始めた1934年頃のことです。その当時、ヒステリーや強迫神経症といった精神神経症の治療にはフロイトによって編み出された精神分析(「自由連想」といって患者に頭に浮かぶことを報告させる)が主流になっていました。ところが神経症の治療に精神分析を施していると,治療が難しく,なかには状態が悪化して妄想状態を呈する患者が現れる,という報告が続きました。しかも,彼らを通常の対面法による精神科診察に戻すとその妄想状態が消失するので、神経症と精神病の境界という意味で彼らは境界例ボーダーラインと呼ばれ、また神経症の仮面を被った統合失調症、すなわち偽神経症性統合失調症pseudoneurotic schizophreniaとも呼ばれました。
 その後、第二次世界大戦前のヒトラーのユダヤ人迫害にあって多くの著名な精神分析家がアメリカに亡命,移住したことによってアメリカの精神分析は急速に発展し、多くの人々が分析治療を受けるようになりました。マリリン・モンローもその一人で、彼女が自殺を企てた時の第一発見者は当時主治医だった精神分析医のグリーンソンだと言われています。精神分析はその適応を拡大し、境界例の主要な治療法の一つになっていきました。その過程で境界例の研究も進み,ロールシャッハ・テストという心理検査のように,無構造のテストでは統合失調症的な反応が見られるのですが,それ以外の検査では健康者と同じような反応を示すこともわかってきました。状況によって示す反応が違ってくるのです。さらには,ボーダーライン状態(ナイト)、アイデンティティ拡散(エリクソン),偽りの自己(ウィニコット),基底欠損(バリント)、見捨てられ抑うつ(マスターソン)といった概念が提出されるに従って,境界例をパーソナリティ発達の問題として見る流れが定着してきたのです。その過程は統合失調症に近い一群を境界例から締め出していく作業でもありました。
 一方、アメリカの文学界では1951年にサリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』が出版されました。主人公のホールデンは精神病院に入院していて、落ち着きを取り戻した後に回想記録に取りかかります。ホールデンは成績不振でペンシー高校を放校になり、両親が学校に来る前に寄宿舎を飛び出てニューヨークのマンハッタンに帰るのですが、物語はそのわずか3日間の出来事です。同じ頃、1959年に精神分析家のエリクソンはアイデンティティ拡散症候群という概念を発表しました。その研究対象はアメリカ東北部の16歳から24歳の青年で、まさしくホールデンが生きた時代の青年像を描いています。エリクソンの著書はベストセラーを記録し、日本では慶応大学の精神分析家の小此木圭吾によって1973年に『自我同一性』として訳出されました。
 そして今日の境界例論に大きな影響を与えたのが1970年代のカーンバークによって提唱されたパーソナリティー構造論(性格特性)です。この段階に至って,ボーダーラインは@精神病との境界,Aうつ病との境界,Bパーソナリティー構造としての「境界(ボーダーライン)」という流れが明らかになり、1980年に登場したアメリカ精神医学会のDSM−V(精神疾患の診断・統計マニュアル)によって「境界性パーソナリティー障害(BPD)」が登場したのです。実はこのときに、1930年代に提唱された統合失調症により近い境界例の一群は統合失調型パーソナリティ障害(SPD)としてA群に分類され、BPDはB群に分類されました。
 どういうことかと言いますと、境界例は統合失調症に近い一群と同一性拡散を呈する一群に分類され、前者はSPD、後者はBPDとして整理されたのです。私も境界例という精神科診断には対人関係の様式から巻き込み型とひきこもり型の2つのタイプがあり、前者はDSMのBPD、後者はDSMのSPDに相当し、年々巻き込み型が増加し、引きこもり型の出現頻度は時代の変化を受けない、遺伝的体質の強い病理があることを報告しました(第86回日本精神神経学会学術総会で『福岡大学病院における境界例診断の変遷と治療について』1990)。
 『ライムギ畑でつかまえて』の主人公ホールデンの精神状態はBPDに近い精神病理を表している、という文脈で語られていました。私も同じような理解をしていました。ところが、今度、再読して見ると、BPDというより別のパーソナリティ障害として診断した方がよいのではないかと考えるようになりました。この変更を詳しく述べることは、皆さんがネットなどでアメリカ精神医学会が出版しているDSM−5を読んで、症状のX個以上を満たしているから私は○○障害と自己診断することの弊害を少なくできるのではないかと思います。

3.退行型BPD
私は、4年前の第108回日本精神神経学会学術総会のシンポジウムで『境界性パーソナリティ障害の現在』という演題を発表しました。境界性パーソナリティ障害BPDを退行型BPDと発達停滞型BPDの2つに分類することは、そのパーソナリティ形成過程や構造、そして治療方針に有益だという報告です(日本精神神経学会電子版2013年4月)。そしてその鑑別には発病過程や症候学的特徴だけではなく病前の社会適応能力度が鍵を握ると述べました。
 境界例はSPDとBPDに二分され、さらにBPDも2型に分類されるというのは、境界例診断がとても曖昧だ、ということを表しています。BPDはDSM−Vによって単一疾患として登場したのですが、臨床的には一括り出来ない困難さを含んでいます。私は症候群として理解した方がよいのではないか、とさえ思っています。境界例の概念には、そこにBPDと診断される若者がいるのに、近づいていくとその姿は2つにも3つにも分身するような印象があるのです。
 境界例は対人関係の様式を切り口にすると巻き込み型とひきこもり型に2分されました。今度は社会適応度の観点から見るとまたまた2分されるという話です。当院を受診したBPD患者さんの改善後の社会参加について調査したところ、短時間の保険診療の中で短期間に改善する症例の多くは曲がりなりにも社会に適応していたのですが、現実的な諸問題が原因で退行しDSM診断基準を満たすようになったBPDの患者さんたちでした。回復すると自ら社会に出ていく高レベルのBPD患者さんたちです。一方、幼少の頃から諸問題を抱え続け、家庭環境にも問題の多い――思春期から入院治療や長期の治療を要する――改善しても社会に出て行けずに治療が長引くのは低レベルのBPDの患者さんたちです。便宜上、前者を退行型BPD、後者を発達停滞型BPDと呼ぶことにしました。鑑別のポイントは幼少期からの社会適応能力にあり、後者では精神科治療にも適応できなくて悪性退行を深めることが多いので治療困難例が多い。
 1)退行型BPDと発達停滞型BPD
 退行型は治療開始後、半年〜2年間で状態も安定しBPD診断基準を満たさなくなります。数年間DSMの診断基準を満たしていた患者さんが環境調整と薬物治療の変更によって2ヶ月間で改善し、仕事に就くと同時に治療からも離れた症例を経験しています。
退行型と発達停滞型の社会適応能力の差は、適応能力の低さと誇大性(万能感)の病的さにあります。発達停滞型は社会に出るのに臆病で恥掻くことと失敗することを極度に恐れています。私はは彼らの心理を中島篤著『山月記』から引用して「臆病な自尊心」と呼んでいます。現実生活の失敗を恐れ、しかもそれを克服するための現実的な努力は屈辱に感じる心理です。さらに、生活史そして治療経過からパーソナリティの社会化の過程を妨げているのは、筆者が「ボアbore」と呼んでいるエピソードにあることが分かりました。
 2)「ボア」とは?
 ある患者さんは私との週3回の精神分析的精神療法の中で連想が進まず締りのない表情をすることがありました。その姿を後に母親は、「社宅の砂場で遊んでいた子どもが、私が居なくなると、目に力がなくなりボー然と立ち尽くす姿を近所の奥さんから聞いて知った。その姿は小6の修学旅行の記念写真にもそっくり写っていた」と思い出したのです。
 精神分析的には「対象恒常性」の欠如と言われる現象です。BPDが母親の不在に上手く対処できないのは、内的対象が育っていないからと言われます。同様の患者の状態はウィニコットの『ピグル』にも言及されていましたので、私はそれを「ボア」と呼ぶことにしました。ピグルは1歳9か月のときに妹が生まれて精神的混乱(境界例状態)を来した女の子です。
 わざわざ小難しい退行型BPDという話を挿入したのは、それなりに理由があるからです。ホールデンも現実生活に適応できなくなって退行型BPDと診断される病態になったのではないかと思うのです。

4.主人公ホールデンは回避性パーソナリティ障害か
 それではホールデンの診断をどう考えたらよいのでしょうか。これまでに、境界例には対人関係様式から巻き込み型(BPD)と引きこもり型(SPD)の2つがあって、巻き込み型はエリクソンの同一性拡散症候群の特徴を持ち、青年の精神的混乱像を描いていて、映画や小説の題材にしばしばなりました。その中でも浅丘ルリ子主演の映画『女体』は秀作です。そして、その混乱状態からの回復と社会適応能力の観点から、さらに退行型と発達停滞型の2つに分類される、という話をしてきました。
 ホールデンの生活史や家庭環境の情報は少ないので、彼がボアの病理を持っていたかどうかは定かではありません。確かなことは、彼が15歳で家を出て寄宿舎に入れられた同時に、アパシー(精神的麻痺)状態に陥り学業不振になったこと、そのために放校になり、寄宿舎を飛び出して、3日間散々な目に遭いながら、自己破滅不安に圧倒されて精神科入院になるという一連の退行状態の進展過程があることです。そして彼の対人関係様式には「孤独に耐えられずに親密さを求めると相手を憎んでしまう」という山嵐ジレンマが認められます。本物の関りを他者との間で構築することが彼にはできないのです。そして将来は誰とも関係持たずに「聾啞者のふりをしよう」というのです。そうすれば誰とも喋らずに済むからです。つまり、ホールデンは人との関りを部分的に拒否しているのです。部分的というのは自分を受け入れてくれそうな人とは関係を持とうとするからです。別の言い方をするなら、受け入れてくれないと近寄らないということでもあります。この点が巻き込み型のBPDと大きく違うところです。
 さて、そろそろ私の見解を述べる段階に来ました。ホールデンは退行型BPDの状態像を呈することになるのですが、基本的な対人関係様式は引きこもりです。その彼が寄宿舎という檻の中に入れられて、対人関係を持たなければならない状況に追いやられて、退行(同一性拡散症候群)したと考えられます。21世紀の今日では、そのような状況を回避する行動に打って出るのでしょうが、当時は精神的破綻を呈するまで叶わなかったのではないかと想像します。
 ホールデンは精神病院に入院すると精神的には回復しこの3日間の回想の作業に取り掛かります。ですから、一過性の大混乱だったと言ってよいでしょう。退行型BPDの場合、環境調整によって境界例状態から回復すると、適応能力も復活し、社会生活も遅れるようになるのですが、ホールデンの場合は引きこもり中心の生活を送り、社会適応可能な退行型BPDの姿とはかけ離れています。何度も言いますように、ホールデンの対人関係様式は引きこもりなのです。それでは、彼の臨床診断をどのように考えたらよいのでしょうか。
 私は回避性パーソナリティ障害AvPDと考えてよいのではないかと思います。まだ臨床ダイアリーには載せていませんが、その根拠は2015年の日本サイコセラピー学会で発表した『自己愛・回避性パーソナリティ障害の精神療法』が土台になっています。BPDと診断されていた患者さんが治療によって精神的に安定すると対人関係を回避する患者さんの一群がいることを発表しました。それとは逆に、対人関係を回避して引きこもっているAvPD患者さんを入院治療、集団療法、そしてデイケアなどの対人関係を必要とする集団活動の場に強制的に参加させると、AvPD患者さんはその場を回避するか、もしくは回避できない場合、感情の爆発が起きるかホールデンのような退行型BPDを呈するのです。
 もしホールデンの両親が彼の病的性格特性を的確に把握して寄宿舎に入れなかったら、彼は退行型BPDに陥らずに済んだのではないかと思います。これが本小論でもっとも述べたいことなのです。元来引きこもりの人を集団活動の場に強制的に参加させるようなことはしてはならないのです。ポケモンGOは外に出てもゲームの延長なので集団活動は避けられますので、その害は少なくて済みそうです。でも、それだとホールデンのようなAvPDの患者さんは社会から延々と引きこもり続けるのではないですか、という疑問が出るでしょう。
その疑問の答えとして私は、臨床ダイアリー:『“静かなるBPD”と社交不安症』で述べた弁証法的緊張関係が欠かせないのではないかと思っています。AvPD患者さんも治療の場に現れるのは苦手です。しかし、そのままだと自分の存在は希薄で不確かだという切迫した焦りは感じています。この焦りを手掛かりに治療を進めることは可能なのです。そのためには私たちは治療の場に現れるのを待たなければならないし、ご家族も慌てずに待つことが求められます。川谷医院ではホールデンのために、家庭と社会を橋渡しできる就労支援A型施設“ドンマイ”を設立しました。さらには親密な関係を避けてきたために積み残してきた思春期の宿題に取り組む場、つまり精神科医の診察と臨床心理士のペアで行うカウンセリングも設けています。
5.さいごに
 サリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』を読んで、主人公のホールデンは境界性パーソナリティ障害BPDというより回避性パーソナリティ障害AvPDと診断されること、そして彼の精神的大混乱は苦手な対人関係の檻(寄宿舎)の中に放り込まれた結果なのではないかという考えに行き着きました。21世紀の青年であれば社会的に引きこもるという手段で精神的破綻を避けることができたのに、1950年頃は引きこもりという自己防衛手段は思いつかなかったのでしょうね。サリンジャーの対人関係様式や社会との関りを見てみると、人との付き合いは下手で、結婚はするけど続かずに3度離婚します。そして自分を受け入れるコミュニティーの中では静かに暮らしていくのですが、最後はすべての人を締め出して2010年に91歳という高齢で亡くなります。
 まとめますと、境界例は曖昧な概念だから使うのには便利なのですが、近づいていくと分身の術を使って目をくらませます。そんな境界例を理解するのにサリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』は格好の材料になります。でも、再読してみると、実は境界例ではなくて、一時的に境界例状態を呈した回避性パーソナリティ障害だったのではないか、そしてそれは苦手な対人関係の檻の中に入れられた結果だ、ということを述べてきました。この考えは引きこもり青年の理解と援助の一助になるのではないかと思っています。
posted by Dr川谷 at 07:34| Comment(0) | 臨床ダイアリー

2016年07月11日

臨床ダイアリー11:心の病は治るのですか?

2016.07.10(日曜日):『心の病は治るのですか?』
T.はじめに
 6月の診察時にある患者さんから「心の病は治るのですか?」と問われて直ちにタイトルにするように決めました。その理由は、2001年のある論文まで遡ります。当時私は、牛島定信先生を班長とする厚生労働省の班会議『境界性パーソナリティ障害(以下、BPD)の治療ガイドライン作り』(通称、牛島班)に参加していて、その外来治療を担当していました。川谷医院を受診されたBPD患者さんの一部に比較的短期間で回復する症例を経験していたので、診断と治療の両面から短期間で治るということをどう理解したらいいのか悩んでいました。その当時は、BPDの治療は長い間かけて治るのであって、半年そこらで状態が改善するのはBPDではないと判断していました。しかし、治療に入る前には数年間もBPDの状態を患い、仕事も失い、対人関係も不安定で自傷行為や大量服薬を繰り返していたのに、半年もしないうちに上記の状態を認めなくなる患者さんが現れたのです。この病態をいかに考えたらよいのか、と頭を抱えていました。そのような時に、2001年からアメリカを中心に半年以内の短期間で劇的に寛解remissionするという論文報告が相次ぎました。ここでなぜ寛解という言葉を使っているのか記憶しておきましょう。治る=回復という言葉を使わずに寛解という言葉を選んだのではそれ何理由がありそうです。
 論文を読むと疑問が解けました。彼らのいう寛解の定義は症状が無くなって、生活に支障をきたさなくなるのを寛解と定義していたからです。それまで私は「BPDというパーソナリティの病が治る」というのをパーソナリティ構造の改善と考えていたので、20年近くもかけて出来上がったパーソナティ構造の改築は短期間では叶えられないと思っていたのです。つまり、症状はなくなってもパーソナリティに変化が起きないと、同様の環境に遭遇した時に再燃するのであれば、よくなったというわけにはいかないと考えたのです。ですから、症状の消失という観点に私は立つことをためらっていたのです。このコペルニクス的転回には戸惑いと同時に、その考えでも通じるのだと感心もしたのです。DSMの診断基準は疾病に特徴的な症状をX個以上満たしているというとても割り切った考え方からすれば当然の帰結なのでしょうけど。
 すると今度は、患者さんの求めている「心の病は治るのですか?」という問いに対して症状の消失か症状を産み出す病的パーソナリティ構造の変化か、という問題が浮上したのです。心の病は、DSMのように割り切れない問題があるために、精神科臨床の本質を問われているような気がしてならないのです。それでは心の病とは何かという話題から始めようと思います。

U.精神医学的疾病論
1.エレンベルガーの『無意識の発見』から
 精神医療相談室のエッセイに載せている精神科読本21:『精神療法のはじまり』で紹介したエレンベルガーの『無意識の発見』は人間の心を知るのにとても良い本です。若いころ何度も読みました。エレンベルガーは世界各地の心の病の起こり方と治し方を5つに分類して表1のようにまとめています。1970年代にメガヒットした『エクソシスト』という悪魔払いの映画も同列のものですし、コーヒー豆の産地である南米のグアテマラでは、奥地のジャングルに行かずとも、今日でも原始的な方法で精神の病を治していると聞きます。一方、平安時代の日本人は何よりも「祟り」を恐れていました。それを扱ったのが陰陽師です。21世紀の今日でも、沖縄のユタ、恐山のイタコ、さらには各地に伝わるシャーマニズムに基づく信仰があり、悩める者に心理的な救い、癒しをもたらしてくれています。これらは、今日の精神科で行なわれる精神療法の原始的な形と言えます。
  表1
疾病説                  治療法
1 病気とは病気という物体が身体に侵入したためである  病気という物体を摘出する
2 霊魂が行方不明である      魂の所在を突き止め、招魂し、もとに納め戻す
3 悪霊が侵入したためである      祓魔術をする。外部から侵入した悪霊を機械的に摘出除去する。                     悪霊を他の生物に移す
4 タブーを破ったためである      告解(懺悔)し、神の怒りを鎮める
5 呪術によるものである      対抗呪術を行う

 私が研修医の頃、15歳の男子高校生の治療を担当することになりました。彼は解離障害という突然意識を失う病気にかかり、その原因がタブーとなっている石塚を踏んだことによるものだという母親の意見を取り入れていました。エレンベルガーの4に相当します。彼は進学校に通っていたのですが、私との精神療法の中で思春期の雑念のために勉強に熱中できないことで成績が下がり、両親の期待に応えられないという不安が強くなったのが原因だとわかり、病は治りました。
 2.フロイトの神経症論
 20世紀以前の心の捉え方を原始的という言葉が適切かどうかは疑問なのですが、エレンベルガーは上記にまとめた疾病説と治療法は原始的という言葉で形容されていました。その考えに科学的な視点を導入したのがウィーンのフロイトです。フロイトはヒステリーの治療で幼少期の性的外傷を想定し、それを自由連想のなかで言語化すると症状が消失することを発見しました。以来、精神神経症の原因を以下のような公式を打ち立てました。
 
 神経症の原因=リビドー固着による素因 + 偶発的体験(外傷的)
             ↓
      性的体質(先史的体験)と幼児体験
 
 リビドー固着は、遺伝的な素質と幼児期のはじめに獲得された素質とに分解されます。分かりやすく説明しますと、親から遺伝子によって伝えられた素質に幼児期の体験が重なって神経症の原因となる固着点(ある外的刺激に過敏に反応しやすい)が形成されます。長じて後に、その固着点に類似した現実生活における偶発的な体験によって素因が活性化されて症状が発生するという考え方です。ぶっちゃまけていいますと、幼少期に親からもらった体質に幼少期のトラウマが重なって病気になりやすい核が形成されて、大きくなった後に、その核に似た偶発的な体験をきっかけに病気が発症するという考え方です。つまり、パーソナリティ診断と考えたらよいかと思います。このフロイトの考え方は1980年のDSM−Vの登場まで精神医学の標準的な考え方になりました。
フロイトは本能発達のラインに沿って5つの発達段階、つまり口愛期、肛門愛期、男根愛期、潜伏期、性器愛期といった段階を設定しました。そして各段階で障害がおこる(固着)と、それ特有の防衛パターン(パーソナリティ特徴)を形成し、その後の人生で困難に直面すると、その固着点に退行しやすいと考えました。皆さんも一度は耳にしたことがあるかもしれない“エディプス・コンプレックス”は、男根愛期に固着し、青年期の恋愛や親からの自立という葛藤に直面した際に、男性であれば父親に反抗し母親を味方に入れようとするダイナミックな人間関係が展開します。何かと父親代理に反発し葛藤状況になりやすい人を男根愛期に固着があるという言い方をします。
 3.病前性格論
 私が精神科医になった1980年はドイツ精神医学を基礎学問とする伝統的な精神医学とDSM-Vの登場によるアメリカ精神医学の台頭といった流れが押し寄せてきた年です。白衣の二つのポケットには左にドイツ語の精神医学用語集、右にはDSM-Vのマニュアル本をしのばせていました。でもそれは私にとってラッキーな時代だったと思っています。
 古典的な精神医学で最初に学んだのは、クレッチマーが1921年に唱えた「体格と性格」論です。彼によると各体型にはそれぞれ一定の性格と親和性を有し、細長型には内向性、非社交性、内気、孤独、嫌人、きまじめ、過敏で傷つきやすいといった性格が認められ、肥満型では外向性、社交性、情緒あふれる親切さ、好機嫌、ユーモア、情緒が爽快と悲哀との間を揺れ動くような性格が合致します。前者は哲学者、詩人、理論的な科学者、理想家といった人間関係で定の距離を取りたがる人たちに多く、分裂気質Schizothymと呼ばれ、これが病的になると分裂病質Schzoidと言われます。一方、肥満型では実業家、喜劇作家、科学を実際に応用する科学者、といった活動的な人に多く、その性格は循環気質Zykloithmy、さらには循環病質Zykloidと称されます。三番目の闘士型の場合、分裂気質が親和性を持っていることもあるし、てんかん性格Epileptoidと言われる几帳面、潔癖、徹底性、執拗性、残忍性などの性格が密接に関係していることもあります。四番目の発育異常型は、循環気質以外の諸気質、とくにヒステリー性格に親和性を有していると言われます。
 病前性格はクレッチマーの研究から始まって、うつ病におけるメランコリー親和型性格や下田の執着性格(義務責任感、徹底性、熱中性、几帳面、正直さなど)が取り上げられました。当時、私が熱中したのは敏感性格に起きやすい敏感関係妄想でした。敏感性格とは無力性性格要素と強力性性格要素という相矛盾する性格傾向を併せ持つ人のことです。具体的に説明しますと、ある青年は少年の頃から極度に従順で真面目、泣き虫で意気消沈しやすい内気な性格(無力性)と、体面を重んじ、名誉心が非常に強い努力家(強力性)という矛盾を性格の内に秘めていました。こうした敏感性格の人は後に自身の矛盾を問われるような状況で敏感関係妄想を呈しやすいのです。
 4.病前性格とパーソナリティ構造
 こうして病前性格やパーソナリティ構造および発達論的診断に興味を持つようになりました。当時は精神病理学や精神分析が盛んでしたので、それらに応えるだけの環境が存在したのは幸いしました。この病前性格をパーソナリティ構造として見直すととても臨床的なアイデアが湧いてきました。先のフロイトの有名な公式になぞらえて素因をパーソナリティ構造と考えたわけです。

     心の病=病前性格(未熟なパーソナリティ構造)+ 現実的問題

 以下は精神療法誌に投稿した「精神科クリニックにおける力動的精神療法」の引用になります。
 1)病前性格とパーソナリティ特性
 クリニックで最も多いうつ状態を呈する患者さんの生活史を聞くと、彼らが幼い頃より嫌われないように気を使い、パーソナリティ発達に必要な他者とのぶつかり合いを避けて狭い道を歩いていることに気づきます。その中には社会不適応から退行状態に陥り、種々の不安・うつ症状を呈する症例も少なくありません。また、その姿が長期化してパーソナリティ障害と診断される症例に遭遇することが間々あるのです。
臨床的にはあまり役に立たないDSMですが、DSM‐5のパーソナリティ障害代案はその欠点を補う工夫がなされています。病前性格の研究に熱心だった頃のわが国の伝統的精神医学に漸くDSMが追いついた感じがします。クライテリアBのパーソナリティ特性(personality traits)は病前性格の未熟化と言ってもよいと思います。病的パーソナリティ特性を5つの広いドメインと25の特性ファセットに分ける考え方はパーソナリティ障害を立体的に捉えようとする試みで臨床的です(詳細は精神科読本シリーズの『境界性パーソナリティ障害』を参照)。
 2)前性格の未熟化とその治療
 病前性格の未熟化とは、もとの生物学的素因が成長過程で柔軟性を失い、ある環境下では適応的だが別の環境では不適応を起こすスプリッティング現象が観察されることをいいます。新型うつ病と診断される若者を想像するとよいでしょう。
 ところでこの病前性格の未熟化はどのようにして起きるのでしょうか。私の考えはこうです。もともとの気質(素因)に母子分離といった人生最早期における問題、両親の離婚(喪失モデル)、虐待や夫婦間の不和による家庭内緊張(PTSDモデル)、教育現場の問題、思春期の成長過程で他者とぶつかり合う経験の欠如、などが重なって未熟化現象が起きるようです。特に10歳の自我の芽生えの頃のいじめや転校による不登校の体験は重く圧しかかってきます。この時期の社会からのドロップアウトは子どものこころに恥と劣等感を植えつけると同時に、空想世界にその万能感の住処を求めることになるからです。さらに、いじめや不登校によって教育の場を失うと、自分がどれほどの者か分からないまま身体だけ成長していくといった歪な発達を遂げることになります。病前性格の未熟化、つまり性格が柔軟性にかけ不適応をもたらし、かつ重大な機能的障害もしくは主体的苦悩を引き起こした状態がパーソナリティの未熟化なのです。
 3)未熟な防衛機制(スプリッティングを中心に)
 社会からドロップアウトすると、存在の不確かさと万能感の傷つきから生きること自体が苦痛になり、退行し、未熟な防衛機制が暗躍します。特に、思春期青年期の患者がそうです。
未熟化が起きると、衝動的で後先のことを考えずに行動に走り、何度も同じことを繰り返す行動優位の特徴を呈するようになります。ウィニコットが直接的介入と呼んだスプリッティングが見られます。過食嘔吐症の患者さんは、治療に通って来ながら「治したくない自分」が別にいるといいます。このスプリッティングに風穴を開けるのが治療のポイントで、この作業を放置したまま治療を続けても、永遠に患者には変化が起こらないのです。

V.心の病が治るとは
 準備が整ったところで、いよいよ『心の病は治るのですか』という問いに私の見解を述べることにしましょう。『新型うつ病について』の中でも述べたことなのですが、初心者の向けの『ほんとうの法華経』(2015)という本の中に仏教の説く因果とは「果=因+縁」ということだとありました。
山崩れを例に例えると、因とは地盤が緩んでいるかどうか、縁とは大雨が降ったかどうかで果を考えます。地盤が緩んでなくても50年に1度の大雨だと山崩れが発生する危険性は高くなります。また地盤が緩んでいると普通の大雨でも山崩れが起きるかもしれません。心の病も同様に考えると、病気になりやすい病前性格(未熟なパーソナリティ構造)と現実のストレス状況の兼ね合いで起きると考えます。
 1.症状がなくなること
 地盤がしっかりしている場合、症状がなくなり、以前のように生き生きと生活できるようになれば、治ったと考えてよいでしょう。ただこの場合、「ストレスに屈した=私はストレスに負けた弱い人間だ」と考えだすと、症状は治ってもイキイキと生活できるようになるかは疑問です。すると、「ストレスに負けた」という考えを自分の中で解決し納得しないと、治ったとは言い切れません。実はこの過程が長い間続くので、症状がなくなって、そう簡単には治ったとは言えないのです。それとは対照的に、ウィルスに感染して風邪を引いたとすると、誰一人「私が弱かったから風邪を引いた」とは考えません。せいぜい「ちょっと無理したかな」と自分に優しくなれます。身体の病気だと自分をいたわれるのに、心の病だと「怒りの内向」が起きやすいので、なかなか治ったと言えないのです。臨床ダイアリーでも取り上げましたがこの「怒りの内向」の問題は、自分自身に対する理想的なイメージを投影するので、心の病では怒りが内向しやすいのです。
 また、現実の大きなストレスが脳の器質的な変化を招くような事態が生じたとき、たとえば慢性的に繰り返される暴力といったDVや幼少の頃の虐待によって脳の発達に異常をきたす場合、ストレスとなっている現場を離れても症状は続く場合が少なくないのです。脳に目に見えるような器質的な変化を起こしていなくても、臨床ダイアリーで取り上げた『トラウマと反復強迫』の問題が事を複雑にします。どういうことかと言いますと、ストレスになっている環境や暴力を振るう加害者から解放されても、現実の人間関係の中で自分が負った加害者との関係を再演することもあるのです。目の前にいる人は加害者でないのに、加害者と錯覚してしまって、相手を怒らせてしまうという反復強迫が作動するのです。
 2.地盤が緩んでいる=未熟なパーソナリティ構造
 地盤が緩んでいる場合、現実のストレスがなくなると症状も軽くなって「治った」と実感できるようになる瞬間はあるでしょうね。でも、パーソナリティ構造に変化が起きないと些細な刺激ですぐに症状がぶり返すようになります。なので、この未熟なパーソナリティ構造の改築が必要になります。これは薬物治療や環境調整では得られません。長い間かけて特殊な人間関係のなかで修復するしかありません。特殊な人間関係とは訓練を積んだ治療者との治療関係のことです。川谷院では精神科医の行う精神療法や臨床心理士の行う心理療法を行っています。
 3.薬はどこを治しているのか?
 さて、地盤が緩んでいる場合、薬の効果はないと説明したのですが、それでは薬は心のどこに作用しているのでしょうか。脳内の神経伝達物質の調整をするのが薬です。因と縁の結果、症状が生じたときには、シナプス間の神経伝達物質に変調をきたしています。例えば、統合失調症だとドパミンの過剰分泌、うつ病だとセロトニンやノルアドレナリンの減少といった具合です。ですから過剰に分泌されているときは薬で受容体を遮断し、減少しているときにはシナプス間の量を薬で増加させるということです。それによって症状がなくなり、日常生活が正常に戻ると治ったと言えます。しかし、うつ病の場合の病前性格は変わらないままなので再発を余儀なくされるのも事実です。一般にうつ病の80%は治るが、その内の半数の40%は再発されると言われています。
 ですので、薬はあくまでも症状の回復を目指すのであって、心の病をしたことで二次的に生じる無力感、自信喪失、劣等感、敗北感、といった感情の回復は薬ではなくて医師や心理士との対人関係で生きなおしをしないと、本当に良くなったとは言えないのです。
W.さいごに
 「心の病は治るのですか」という患者さんの問いに答えるために私の見解を述べてきました。治るという定義によって治るともいえるし治りにくいとも言えるのではないでしょうか。さらに治るという程度も、単純に症状がなくなるという段階から病を克服して自尊心を取り戻し、生活をイキイキと送れるようになったという段階まで幅が広い。しかも「治る」という言葉の裏には再発しないといった意味も含まれていますので、現実生活の環境調整や病気になりやすい病前性格(未熟なパーソナリティ構造)の改善にまで問題が波及してきます。心の病の場合、「治った」と言うより「良くなった(寛解)」という言葉を使うのも上記の問題を孕んでいるからなのです。ですので「心の病は良くなるけれど、治るという段階に至るまでには人手と時間がかかる」というのが私の見解です。でも、「あなたの病気は治った」と言いたいものです。 

                     参考文献
川谷大治、牛島定信(1989):発達論的診断.精神科MOOK No.23.神経症の発症機制と診断、金原出版.
川谷大治(2014):精神科クリニックにおける力動的精神療法.精神療法.
川谷大治(2015):怒りの内向について.臨床ダイアリー.

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2016年06月27日

臨床ダイアリー⒑:怒りのコントロールについて4

臨床ダイアリー10:怒りのコントロールについて―4−

 最後の章になりました。昭和初期までの日本人の父親には権威があり、その力が父親以下の暴力の抑止力になっていた。だから昭和40年代頃までは父親に抑えられていた若者に「怒りの感情を解き放せ」と叫ぶ寺山修司という詩人が登場した。ところが、父親の力が弱くなると家庭内暴力が勃発し、パーソナリティ障害の若者が増加した。そして三波春夫が「お客さまは神様です」と宣言した後に、あちこちからモンスターが躍起するようになったのです。モンスターペアレント、ストーカー、炎上するネット、ヘイストスピーチ。2016年1月にはベッキーの不倫叩きから6月の舛添東京都知事叩きへと続き、テレビもネットもそして週刊誌も怒りの暴走が続いています。その背景にあるのは何なのでしょうか?週刊誌は売れるから、テレビは視聴率を取るから、袋叩きを止めないのでしょうが、私たちは情報に何を求めているのでしょうか。
 一方、日本から世界へ目を移すと、イスラム国の暴走による難民問題に終わりが見えません。読売新聞に「地球を読む」というコーナーがあります。それに米外交問題評議会会長リチャード・ハース氏が投稿していました(平成28年6月19日)。「今日の米国内で支配的なのは、むき出しの怒りではないにしても、ある種の強い不安である。ワシントン・ポスト紙は最近、大衆の怒りが向かう矛先として、ウォール街の金融市場、イスラム教徒、外国との通商協定、ワシントン政治、警官による容疑者らへの過剰な発砲、オバマ大統領、そして移民と言った『標的』を取り上げた記事を連載した」と不安と怒りをもはやコントロールできなくなったアメリカの様子を述べています。
 イスラム国の残虐な行為を報道によって見聞きするたびに人間の感情(不安と怒り)を制御していたのは実はアラブ諸国の暴君による力であって、宗教や人間の英知はその抑止力にすらなりえていないという事実でした。とすると、「感情のコントロール」という本章のテーマは胡散臭いものになってしまいます。『巨人の星』で息子に課した大リーグ養成ギブスは虐待のなにものでもない。そこに父親の愛があったという言い訳も通用しないではないか、という家庭内暴力児の叫びに誰が異を唱えることができようか。最後にボロボロになった飛雄馬の身体を抱いて泣いていたのは父親だった。『巨人の星』を、飛雄馬は父親の自己愛の道具にすぎず、反抗すると叩かれ、最後は肩を壊してしまうという悲劇として読み直すこともできます。
 頭から抑えてきた父親がいなくなった途端に怒りの噴出。この背景には、子どもから大人になるまでに欠かせない、怒りをソフィスケートする人生訓練が欠けているように思われます。怒りの最良の抑止力は、暴君に対する臆病さではなくて、臆病さによらない内的な「良心」だと考えていた私には、もはや「感情のコントロールの仕方について」語ることは何もなくなった気がします。そう言ってごまかしているという声も聞こえてきたので、無い知恵を振り絞って最後まで書かないと、昭和40年代後半から出現した境界例や家庭内暴力児による「怒り」を心の奥底に保存したままになります。
 つい最近、娘の通院に付き添っていた母親から「娘のパーソナリティ障害の原因は私にあるのですか」と問われました。母親は心外だと私に抗議します。「全くない」というのは嘘になるし、「すべてが母親のせい」でもない。「子どもは一人で生きていけるようになるまで親に頼っているわけだから、パーソナリティ発達はその親に影響を受けるのは間違いないでしょう」と説明し、「1/3は遺伝子によって運ばれた気質、1/3は親の養育、1/3は学校教育を含むその後の生い立ち」と返事しました。母親は納得いかない顔をしていましたが、それ以上説明するのを控えました。この親子にはまだまだ熱い戦いが続くのだとは思うのですが、それこそが宗教や世間知によらない感情コントロールの第一歩に間違いないと私は思っています。

V.怒りのコントロールについて
 それほど昔のことではないですが、「なぜ人を殺してはいけないのですか」という少年・少女から大人に向けた質問がありました。当たり前のことだと考えていた当時の大人たちにとって「なぜ人間は死ぬのですか」という小学生の質問同様、答えづらい問題でした。いろんな分野の専門家たちが大真面目に答えました。私もパーソナリティ障害の治療から得た知見をもとにこの問いに答えてみたいと思います。
 1.怒りの抑止力
 怒りを抑止するのは一つに外の力です。このことは紛れもない事実です。それが家庭の一員である父親、学校の先生、仲間を統率するボス、地域の代表や警察官、会社の社長などが持つ力は支配下の者を力で抑えているのです。その力は、ボス自身の持つ力に加えて、権力によって力を倍加させます。絶大な政治「力」を持った政治家が失脚すると途端に萎んでしまって、哀れな格好でマスコミで報道されるなどを見ると「化けの皮が剥がれた」と同時に「もともとは現実的な力など持っていなかった」ということが理解できます。中には権力を得てから人が変わったかのように攻撃的になる人もいますよね。
 二つ目に内的な「良心」による抑止力です。それには相手を傷つけて辛い思いをさせてしまった、という共感能力が発展していないと抑止力になりません。相手の心を想像するミラーニューロンの大発見は1998年のイタリアのジャコーモ・リッツォラッティのグループです。攻撃を加えた人の苦しみを想像できるようになるには、大人になるまでの長いあいだに自分の攻撃による悲劇を体験することが欠かせません。そしてその罪悪感は3歳までに芽生えてなくてはいけません。これがその後の攻撃性の抑止力になります。三つ子の魂百までと昔の人は言いました。
 この二つ目の良心こそが攻撃性の抑止力の基盤になるのです。でも、相手の心を想像できない人だと何が抑止力になるのですか、という質問があるかもしれないですね。反社会性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害の人たちだと、相手のこころにフィットできないので、自分の心の赴くままに攻撃を加え続けるかもしれません。社会は刑を与えて反省させようとするのでしょうが共感能力が育っていないととても難しい問題です。昨年、酒鬼薔薇聖斗(元少年A)は『絶歌』を出して、彼が更生しているかどうか話題になったけど、彼が受けた更生への矯正プログラムを見ると、そのやり方では更生は不可能だと思いました。それはとても拙い素人のやり方です。親切な女性担当官が愛情を注ぎ続ける、というやり方を誰が考案したのは知らないのですが、何をヒントに思いついたのか疑問に思います。それではどうやって共感能力を育てていったらよいのか考えてみましょう。
 2.繰り返される暴力
 最初に、歯止めが利かない残虐な暴力について説明しようと思います。それは共感能力を育てるヒントになるからです。かつて私は精神分析事典の『攻撃性』の項目の中でウェルダーの攻撃性の3つの現れ方について言及しました。@不満あるいは危険に対する反応、A自己保存の産物、B性本能に伴う現象、の3つです。彼は攻撃性の反応性を強調し、生来の破壊欲動は想定しないでもよいと考えました。しかし、残された問題として、上記の3つの現象のいずれにも当てはまらない「本質的な破壊性」、その例の一つとしてヒトラーのユダヤ人に対する飽くなき憎悪を取り上げました。この「破壊性」は、限りなく無尽蔵で、性的興奮や飢えによる行為とは本質的に異なっており、意識的および無意識的空想と関係したものです。どうやら私たち人間には他の動物にはない反応性の攻撃性とは異なる「破壊性」を持ち合わせているようです。
 恋人や妻に振るう冷酷で執拗な暴言・暴力は反応性の攻撃性と違って、相手の心身をともに破壊尽くす容赦のないものです。しかもそれは寄せては返す波のように限りなく現れ続きます。暴力は決して止むことなく延々と繰り返されるのです。この反復する衝迫を専門的には「反復強迫」と言って、私は臨床ダイアリー『トラウマと反復強迫』の中で重要な位置に置きました。フロイトがこの反復強迫を死の本能と呼びたかった気持ちも分からないではありません。理解をこえたものに出会うと私たちは、それを異物か、あるいは神の仕業として遠ざけようとする習性を持っています。フロイトもそうだったと思います。今日では同様に、「発達障害」や「間欠性爆発症」が脳の病気にされてしまいました。人間の心は単純に割り切れないもので、生来の気質と環境要因が縄を編むように絡み合って形成されるものなのです。脳だけの問題ではなかろうと思うのですが。
 話が脱線してきました。破壊性に戻って、破壊性と攻撃性の違いは、攻撃性が現実原則(禁止)に出会ったときの反応であるのに対して、破壊性は貪欲で冷酷な、破壊の貪欲な力として作動します。破壊性を動物にはない「憎悪」と言い換えることもできます。この憎悪については、前回紹介したカーンバーグの考え方が臨床的です。彼は攻撃性をさまざまな生来の感情から統合される一つの欲動として捉え、「発達論的に欲求不満にさせる母親への強い愛着が怒りから憎悪への変化の究極の起源である」と述べました。愛着と憎悪を結びつけたのは、攻撃性が本能的なものかどうかは別にして、とても重要な治療的工夫へと導いてくれます。
 1)怒り(憎悪)の反復強迫
 ここまでを要約すると、人間には他の動物と違って攻撃性とは異なる「破壊性」を持ち合わせています。そして、その破壊性を憎悪と愛着という観点から眺めると新たな治療の糸口が見えてくる、と私は実感を持って強調したいと思います。
 臨床ダイアリー『トラウマと反復強迫』のなかで私は、幼少期の母親と赤ん坊のペアリングが上手くいかないと、それがトラウマとなって子どもの脳にダメージを与え、愛着障害を引き起こし、反復強迫というトロッコが走り出す、という話をしました。そしてトロッコに乗せるもの、つまり空想や感情を意識化しないとトロッコは止まらない、という話をしました。「私は悪い子」空想だと自傷行為へと発展し、トラウマによる「感情」は破壊性へと繋がります。子どもは受身的に受けたこころの痛手を能動的に遊びの中で反復させることで自己治療します。そしてそれは、脳の発達に影響を与え、誰かと一緒に遊ぶことのできない姿として幼少期に現れます。しかしこれらの記憶は成長すると忘れ去られます。
 ところが3歳児検診の様子を克明に覚えている患者さんの報告を何例も経験しました。その中には自分の体が臭い(自己臭恐怖症)という病気で苦しんでいた女子高校生は私との治療の中で愛着を示すようになって回復しました。別の症例になりますが、母親に暴力を振るい続けるチャイルド・ボーダーラインの女の子は3歳児検診で以下のような振る舞いをしたと言います。小児科医から別室で心理士の検査を受けるように言われて、「どうしてそこで受けるの(ここでは駄目なの)」と喋ったと言います。このエピソードは母親が記憶していましたが、分離不安の強い様子が描かれていて、私との治療のなかでは年上の成人女性に愛着を示してから劇的な回復を示しました(自著『自傷とパーソナリティ障害』を参照)。
 何れも幼少期の母親との愛着障害が見られ、私との治療の中でペアリングが起きて劇的な改善を成し遂げました。このペアリングのよい例としてジャン・エイブラム(今年の夏に来日予定)は、ウィニコットの攻撃性に関する理論について、「外部環境は幼児が自らの生まれつきの攻撃性を扱う方法に影響を与える。よい環境において、攻撃性は作業や遊びに関連する役に立つエネルギーとして個々のパーソナリティのうちに統合されるが、一方で剥奪された環境においては暴力や破壊を生み出すことになる」と述べています。
 最近でも、本人の承諾を得ていないので、ここでお話しすることはできないのですが、両親に対する憎悪の裏に愛着があることに気づいて暴力を振るわなくなった症例を経験しました(それは自著『思春期と家庭内暴力』の中でも取り上げています)。確かに、家族から子どもの冷酷で執拗な暴力の相談を受けて「暴力の裏には愛着があると思います」と説明しても、暴力の抑止力には決してなりません。何故なら、私との間で愛着を体験していないからです。また相談者は暴力に対してどう対応したらよいか、という直接的な介入を求めるものですからとても難しいのです。かつては「毅然とした対応」を勧めた精神科医も数多くいました。それができない程に暴力が凄まじいものであることを気がつかない精神科医が多かったのです。だから直接的な抑止力としては、外の力(例えば警察官)に頼らざるを得ないのではないかと、私は助言するのです。
 公権力に頼るというやり方の裏には「あなたの暴力はあなたのコントロール能力をはるかに超えたもので、外の力でもって抑えてもらうしかない」というメッセージと同時に、公権力を借りるのを良しとしない親の心の裏にある見栄と世間体が隠されていることを親に気づいてほしいから、そうアドヴァイスするのです。日本で最初の家庭内暴力は素戔嗚尊が姉の天照大神に振るう暴力ですが、江戸時代にあった『女殺油地獄』で戯曲化された事件は、主人が亡くなって店を継いだ番頭上がりの徳兵衛は遊女に入れあげる放蕩息子の与兵衛への「遠慮」が仇になって攻撃性の抑止力とならなかったのです。ある父親は暴力を振るう高校生の息子の機嫌をとるために言いなりになって外国旅行に一緒に出かけたりして、私のアドヴァイスをことごとく無視しました。無視する気持ちを聞くと、公権力のお世話になるよりはという世間体を重視したというのです。「それでは駄目でしょう、お父さん」と言いたくなりました。
 2)憎悪の起源
 とは言っても、公権力に頼るのもできれば避けたいものです。世間体はもちろんのこと、子どもを犯罪者扱いしたくないという親の気持ちも分からないではありません。ではどうするか?長い治療過程になるのですが、私は憎悪の裏にある現実的な自己愛の傷つきと愛着を軸に過去の子育てを想い返し、次のステップに移るしかないのではないかと思います。あるボーダーライン(BPD)の青年の場合、両親の家族療法の中で以下のようなエピソードを思い出したのが大きな治療展開になったケースがあります。
 ケースは私との週3回の精神分析的精神療法の中で連想が進まず締りのない表情をすることがしばしばありました。その姿を後に母親は、「社宅の砂場で遊んでいた子どもが、私が居なくなると、目に力がなくなりボー然と立ち尽くす姿を近所の奥さんから聞いて知った。その姿は小6の修学旅行の記念写真にもそっくり写っていた」と思い出したのです。詳しく述べる余裕がないのですが、この現象はBPDの中心病理だと考え『ボアbore』という専門用語を思いつき、日本精神神経学会の電子版2013年4月『境界性パーソナリティ障害の現在』に投稿しました。
 精神分析的には「対象恒常性」の欠如と言われる現象で、BPD患者が母親の不在に上手く対処できないのは、内的対象が育っていないからだと言われています。ウィニコット著『ピグル』の中でも同様の現象が取り上げられ、ピグルは妹の出産直後(ピグル1歳9カ月)から精神的変調を来し、母親はその始まりを“she becomes easily bored”と表現しました。そしてそれは、周囲の者には「一見退屈で、ぼんやりして生気のない、周囲に関心を示さない」表情に映るが、「退屈したり、ぼんやりしたり、不満であったり、そしてときには無茶苦茶に破壊的――物を引き裂いたり、壊したり、汚したりする――であった時期を通り抜けてしまったようです」と母親が描写するように、ピグルの母親不在時に移り変わる精神状態の一コマとしても使用されました。
 この「ボア」は生まれつきの欠損なのか、あるいは母親の育児の困難によってかははっきりしないのですが、上に紹介したケースの母親は産後うつ病に罹り子どもとの間でのペアリングが難しかった、パーソナリティ障害の危険が高くなるのです。母親の不在に過敏に反応する幼少期の問題は脳の発達にも影響を与え、後のパーソナリティ発達に影を落とすことになります。
 脳科学者の中田力は著『穆如清風』(2010)の中で次のように述べています。「大脳皮質の学習法が推計的であり、記憶の集合体として作られる心の形成過程がポリアの壺の原則に従うということは、成長した人間の心の持つ特徴には、強い幼児体験依存性があることを意味している」と述べて、精神疾患の原因は愛着障害だと結論づけました。脳への影響は臨界期3歳までに育つ「社会的な脳」の失敗につながります。「社会的な脳」とは人を思いやる能力のことです。3歳以前にトラウマ(ペアリングの失敗を含む)を受けると、眼窩前頭部前頭前野(OF)は扁桃体との間で太いパイプを形成し損ねてパーソナリティ形成に障害を残すのです。
 3)憎悪からの解放
 1歳半から3歳までの母子関係における愛着の障害(ペアリングの失敗)は後のパーソナリティ形成に負の影響を与えます。しかし、この1歳半以降の愛着の障害は後のペアリングのやり直しによって修正可能というのが私の見解です。いずれ臨床ダイアリーで発表する予定です。愛着の失敗は憎悪の起源になるというカーンバーグの見解ですが、ウィニコットは『逆転移のなかの憎しみ』(1947)のなかでカーンバーグ以前に論じています。長くなりますが、とても大切なことなので引用します。
 「母親は、赤ん坊を憎むことを、・・・・・容認できなければならない。しかし、それを表現することはできない。・・・・・自分の赤ん坊によってひどく傷つけられながら、子どもに報復しないで大いに憎むことができる能力、そして後日、あるかもしれない、あるいはないかもしれない報酬を待つ彼女の能力である。・・・子どもには憎むための憎しみが必要なのである。・・・・・患者が病気だった初期の段階では患者に知らされていなかった、分析家が何を感じていたかということについて、分析家が患者に話すことができなかったなら、その分析は不完全なものである。・・・分析家は、乳児に身を捧げる母親がもつ根気と耐性と当てになること、のすべてを発揮しなければならない。つまり、患者の願望wishをニーズとして認識しなければならない。役に立ち、時間に正確で、客観的でいるために、その他の興味は傍へ置いておかなければならない。患者のニーズだからこそ現実に与えられているものを、分析家が与えたがっているのだ、と思われる必要がある」。
 子育ての中で母親は子どもを憎むことがあるけれど、子どもに報復せずに憎む能力が必要だとウィニコットは強調します。そしてウィニコットは、生まれた幼児に対する母親の憎しみと、退行した要求がましい精神病的な患者(憎悪に満ちた振舞いをする患者を想定したらよいかと思います)に対する分析家の憎しみとの比較をする過程で、愛することとならんで憎むことができる能力は、アンビバレンスに到達したことを意味していると論じました。これが、相対的依存の時期と思いやりの段階に幼児が到達したということです。この思いやりこそが憎悪の抑止力であり、憎悪からの解放になるのです。
 4)さいごに
 長いエッセイでした。4つのエッセイを合計すると原稿用紙50枚ほどになりました。最後は息切れして幕引きが難しかったので、少し説明を加えて終わりにしたいと思います。
 人間の攻撃性は他の動物には見られない「憎悪」という破壊性を持つのが特徴で、この「憎悪」に取りつかれると相手を容赦なく攻撃し繰り返してしまう。「憎悪」の起源は1歳半から3歳までの幼少期の母親とのペアリング失敗にあり、その失敗は「社会的な脳=思いやり」の形成過程に負の影響を与えるが、その後の人生の中でペアリングのやり直しによって「憎悪」の背景には愛着の障害があったことを重要な人との間で気づき、生きなおすことが可能だというのが今回の「怒りのコントロールについて」でした。
 本当は、怒りのコントロールというのは欧米人の考え方であって、私たち日本人は感情をコントロールするのではなく、感情を表に出すその引き出しを豊富にする仕方について述べる予定でした。私たち日本人にとって感情をコントロールするというやり方は脳に負担をかけるだけで何も良いことは起きないのです。欧米人は対象をコントロールする術に多大のエネルギーを費やしてきたし、認知行動療法の思想にもそれは活かされていますが、台風がやってきたら通り過ぎるのをじっと待つのが日本人の知恵なのです。でも私の臨床について語ることができたので良しとします。
posted by Dr川谷 at 09:54| Comment(0) | 臨床ダイアリー