2016年08月08日

臨床ダイアリー13:『ライムギ畑でつかまえて』を読んで

2016.08.07(日曜日)『ライムギ畑でつかまえて』を読んで
1.はじめに
 本来なら今回は、臨床ダイアリー12:『コミュニケーション障害について』の予定でしたが、9月に長崎で福岡大学病院時代の後輩たちと研究会を催すことになって、J・D・サリンジャーの“The Catcher in the Rye”を再読する必要に駆られ、本棚から野崎孝訳が見つからなかったために村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を初めて読んでみました。すると、そのインパクトが大き過ぎて『コミュニケーション障害について』を後回しにして、急きょ臨床ダイアリー13を優先することになったのです。
 私が精神科医になった1980年は境界例Borderlineという病名が臨床医の衆目を集めていました。その時に、先輩たちからしばしば境界例を知りたければ野崎訳「ライムギ畑でつかまえて』を読むように言われました。ところが、改めて読み直してみると、いろいろ新しい発見があったのです。その発見を以下の順で述べてみたいと思います。
  1)境界例という概念について
  2)退行型BPD
  3)主人公ホールデンは回避性パーソナリティ障害か

2.境界例という概念について
境界例という概念を説明するにあたって、川谷医院のホームページに載せている精神科読本シリーズ15『境界性パーソナリティ障害』を一部引用します。
 境界例ボーダーラインという医学用語が使われるようになったのはアメリカで精神分析が盛んになり始めた1934年頃のことです。その当時、ヒステリーや強迫神経症といった精神神経症の治療にはフロイトによって編み出された精神分析(「自由連想」といって患者に頭に浮かぶことを報告させる)が主流になっていました。ところが神経症の治療に精神分析を施していると,治療が難しく,なかには状態が悪化して妄想状態を呈する患者が現れる,という報告が続きました。しかも,彼らを通常の対面法による精神科診察に戻すとその妄想状態が消失するので、神経症と精神病の境界という意味で彼らは境界例ボーダーラインと呼ばれ、また神経症の仮面を被った統合失調症、すなわち偽神経症性統合失調症pseudoneurotic schizophreniaとも呼ばれました。
 その後、第二次世界大戦前のヒトラーのユダヤ人迫害にあって多くの著名な精神分析家がアメリカに亡命,移住したことによってアメリカの精神分析は急速に発展し、多くの人々が分析治療を受けるようになりました。マリリン・モンローもその一人で、彼女が自殺を企てた時の第一発見者は当時主治医だった精神分析医のグリーンソンだと言われています。精神分析はその適応を拡大し、境界例の主要な治療法の一つになっていきました。その過程で境界例の研究も進み,ロールシャッハ・テストという心理検査のように,無構造のテストでは統合失調症的な反応が見られるのですが,それ以外の検査では健康者と同じような反応を示すこともわかってきました。状況によって示す反応が違ってくるのです。さらには,ボーダーライン状態(ナイト)、アイデンティティ拡散(エリクソン),偽りの自己(ウィニコット),基底欠損(バリント)、見捨てられ抑うつ(マスターソン)といった概念が提出されるに従って,境界例をパーソナリティ発達の問題として見る流れが定着してきたのです。その過程は統合失調症に近い一群を境界例から締め出していく作業でもありました。
 一方、アメリカの文学界では1951年にサリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』が出版されました。主人公のホールデンは精神病院に入院していて、落ち着きを取り戻した後に回想記録に取りかかります。ホールデンは成績不振でペンシー高校を放校になり、両親が学校に来る前に寄宿舎を飛び出てニューヨークのマンハッタンに帰るのですが、物語はそのわずか3日間の出来事です。同じ頃、1959年に精神分析家のエリクソンはアイデンティティ拡散症候群という概念を発表しました。その研究対象はアメリカ東北部の16歳から24歳の青年で、まさしくホールデンが生きた時代の青年像を描いています。エリクソンの著書はベストセラーを記録し、日本では慶応大学の精神分析家の小此木圭吾によって1973年に『自我同一性』として訳出されました。
 そして今日の境界例論に大きな影響を与えたのが1970年代のカーンバークによって提唱されたパーソナリティー構造論(性格特性)です。この段階に至って,ボーダーラインは@精神病との境界,Aうつ病との境界,Bパーソナリティー構造としての「境界(ボーダーライン)」という流れが明らかになり、1980年に登場したアメリカ精神医学会のDSM−V(精神疾患の診断・統計マニュアル)によって「境界性パーソナリティー障害(BPD)」が登場したのです。実はこのときに、1930年代に提唱された統合失調症により近い境界例の一群は統合失調型パーソナリティ障害(SPD)としてA群に分類され、BPDはB群に分類されました。
 どういうことかと言いますと、境界例は統合失調症に近い一群と同一性拡散を呈する一群に分類され、前者はSPD、後者はBPDとして整理されたのです。私も境界例という精神科診断には対人関係の様式から巻き込み型とひきこもり型の2つのタイプがあり、前者はDSMのBPD、後者はDSMのSPDに相当し、年々巻き込み型が増加し、引きこもり型の出現頻度は時代の変化を受けない、遺伝的体質の強い病理があることを報告しました(第86回日本精神神経学会学術総会で『福岡大学病院における境界例診断の変遷と治療について』1990)。
 『ライムギ畑でつかまえて』の主人公ホールデンの精神状態はBPDに近い精神病理を表している、という文脈で語られていました。私も同じような理解をしていました。ところが、今度、再読して見ると、BPDというより別のパーソナリティ障害として診断した方がよいのではないかと考えるようになりました。この変更を詳しく述べることは、皆さんがネットなどでアメリカ精神医学会が出版しているDSM−5を読んで、症状のX個以上を満たしているから私は○○障害と自己診断することの弊害を少なくできるのではないかと思います。

3.退行型BPD
私は、4年前の第108回日本精神神経学会学術総会のシンポジウムで『境界性パーソナリティ障害の現在』という演題を発表しました。境界性パーソナリティ障害BPDを退行型BPDと発達停滞型BPDの2つに分類することは、そのパーソナリティ形成過程や構造、そして治療方針に有益だという報告です(日本精神神経学会電子版2013年4月)。そしてその鑑別には発病過程や症候学的特徴だけではなく病前の社会適応能力度が鍵を握ると述べました。
 境界例はSPDとBPDに二分され、さらにBPDも2型に分類されるというのは、境界例診断がとても曖昧だ、ということを表しています。BPDはDSM−Vによって単一疾患として登場したのですが、臨床的には一括り出来ない困難さを含んでいます。私は症候群として理解した方がよいのではないか、とさえ思っています。境界例の概念には、そこにBPDと診断される若者がいるのに、近づいていくとその姿は2つにも3つにも分身するような印象があるのです。
 境界例は対人関係の様式を切り口にすると巻き込み型とひきこもり型に2分されました。今度は社会適応度の観点から見るとまたまた2分されるという話です。当院を受診したBPD患者さんの改善後の社会参加について調査したところ、短時間の保険診療の中で短期間に改善する症例の多くは曲がりなりにも社会に適応していたのですが、現実的な諸問題が原因で退行しDSM診断基準を満たすようになったBPDの患者さんたちでした。回復すると自ら社会に出ていく高レベルのBPD患者さんたちです。一方、幼少の頃から諸問題を抱え続け、家庭環境にも問題の多い――思春期から入院治療や長期の治療を要する――改善しても社会に出て行けずに治療が長引くのは低レベルのBPDの患者さんたちです。便宜上、前者を退行型BPD、後者を発達停滞型BPDと呼ぶことにしました。鑑別のポイントは幼少期からの社会適応能力にあり、後者では精神科治療にも適応できなくて悪性退行を深めることが多いので治療困難例が多い。
 1)退行型BPDと発達停滞型BPD
 退行型は治療開始後、半年〜2年間で状態も安定しBPD診断基準を満たさなくなります。数年間DSMの診断基準を満たしていた患者さんが環境調整と薬物治療の変更によって2ヶ月間で改善し、仕事に就くと同時に治療からも離れた症例を経験しています。
退行型と発達停滞型の社会適応能力の差は、適応能力の低さと誇大性(万能感)の病的さにあります。発達停滞型は社会に出るのに臆病で恥掻くことと失敗することを極度に恐れています。私はは彼らの心理を中島篤著『山月記』から引用して「臆病な自尊心」と呼んでいます。現実生活の失敗を恐れ、しかもそれを克服するための現実的な努力は屈辱に感じる心理です。さらに、生活史そして治療経過からパーソナリティの社会化の過程を妨げているのは、筆者が「ボアbore」と呼んでいるエピソードにあることが分かりました。
 2)「ボア」とは?
 ある患者さんは私との週3回の精神分析的精神療法の中で連想が進まず締りのない表情をすることがありました。その姿を後に母親は、「社宅の砂場で遊んでいた子どもが、私が居なくなると、目に力がなくなりボー然と立ち尽くす姿を近所の奥さんから聞いて知った。その姿は小6の修学旅行の記念写真にもそっくり写っていた」と思い出したのです。
 精神分析的には「対象恒常性」の欠如と言われる現象です。BPDが母親の不在に上手く対処できないのは、内的対象が育っていないからと言われます。同様の患者の状態はウィニコットの『ピグル』にも言及されていましたので、私はそれを「ボア」と呼ぶことにしました。ピグルは1歳9か月のときに妹が生まれて精神的混乱(境界例状態)を来した女の子です。
 わざわざ小難しい退行型BPDという話を挿入したのは、それなりに理由があるからです。ホールデンも現実生活に適応できなくなって退行型BPDと診断される病態になったのではないかと思うのです。

4.主人公ホールデンは回避性パーソナリティ障害か
 それではホールデンの診断をどう考えたらよいのでしょうか。これまでに、境界例には対人関係様式から巻き込み型(BPD)と引きこもり型(SPD)の2つがあって、巻き込み型はエリクソンの同一性拡散症候群の特徴を持ち、青年の精神的混乱像を描いていて、映画や小説の題材にしばしばなりました。その中でも浅丘ルリ子主演の映画『女体』は秀作です。そして、その混乱状態からの回復と社会適応能力の観点から、さらに退行型と発達停滞型の2つに分類される、という話をしてきました。
 ホールデンの生活史や家庭環境の情報は少ないので、彼がボアの病理を持っていたかどうかは定かではありません。確かなことは、彼が15歳で家を出て寄宿舎に入れられた同時に、アパシー(精神的麻痺)状態に陥り学業不振になったこと、そのために放校になり、寄宿舎を飛び出して、3日間散々な目に遭いながら、自己破滅不安に圧倒されて精神科入院になるという一連の退行状態の進展過程があることです。そして彼の対人関係様式には「孤独に耐えられずに親密さを求めると相手を憎んでしまう」という山嵐ジレンマが認められます。本物の関りを他者との間で構築することが彼にはできないのです。そして将来は誰とも関係持たずに「聾啞者のふりをしよう」というのです。そうすれば誰とも喋らずに済むからです。つまり、ホールデンは人との関りを部分的に拒否しているのです。部分的というのは自分を受け入れてくれそうな人とは関係を持とうとするからです。別の言い方をするなら、受け入れてくれないと近寄らないということでもあります。この点が巻き込み型のBPDと大きく違うところです。
 さて、そろそろ私の見解を述べる段階に来ました。ホールデンは退行型BPDの状態像を呈することになるのですが、基本的な対人関係様式は引きこもりです。その彼が寄宿舎という檻の中に入れられて、対人関係を持たなければならない状況に追いやられて、退行(同一性拡散症候群)したと考えられます。21世紀の今日では、そのような状況を回避する行動に打って出るのでしょうが、当時は精神的破綻を呈するまで叶わなかったのではないかと想像します。
 ホールデンは精神病院に入院すると精神的には回復しこの3日間の回想の作業に取り掛かります。ですから、一過性の大混乱だったと言ってよいでしょう。退行型BPDの場合、環境調整によって境界例状態から回復すると、適応能力も復活し、社会生活も遅れるようになるのですが、ホールデンの場合は引きこもり中心の生活を送り、社会適応可能な退行型BPDの姿とはかけ離れています。何度も言いますように、ホールデンの対人関係様式は引きこもりなのです。それでは、彼の臨床診断をどのように考えたらよいのでしょうか。
 私は回避性パーソナリティ障害AvPDと考えてよいのではないかと思います。まだ臨床ダイアリーには載せていませんが、その根拠は2015年の日本サイコセラピー学会で発表した『自己愛・回避性パーソナリティ障害の精神療法』が土台になっています。BPDと診断されていた患者さんが治療によって精神的に安定すると対人関係を回避する患者さんの一群がいることを発表しました。それとは逆に、対人関係を回避して引きこもっているAvPD患者さんを入院治療、集団療法、そしてデイケアなどの対人関係を必要とする集団活動の場に強制的に参加させると、AvPD患者さんはその場を回避するか、もしくは回避できない場合、感情の爆発が起きるかホールデンのような退行型BPDを呈するのです。
 もしホールデンの両親が彼の病的性格特性を的確に把握して寄宿舎に入れなかったら、彼は退行型BPDに陥らずに済んだのではないかと思います。これが本小論でもっとも述べたいことなのです。元来引きこもりの人を集団活動の場に強制的に参加させるようなことはしてはならないのです。ポケモンGOは外に出てもゲームの延長なので集団活動は避けられますので、その害は少なくて済みそうです。でも、それだとホールデンのようなAvPDの患者さんは社会から延々と引きこもり続けるのではないですか、という疑問が出るでしょう。
その疑問の答えとして私は、臨床ダイアリー:『“静かなるBPD”と社交不安症』で述べた弁証法的緊張関係が欠かせないのではないかと思っています。AvPD患者さんも治療の場に現れるのは苦手です。しかし、そのままだと自分の存在は希薄で不確かだという切迫した焦りは感じています。この焦りを手掛かりに治療を進めることは可能なのです。そのためには私たちは治療の場に現れるのを待たなければならないし、ご家族も慌てずに待つことが求められます。川谷医院ではホールデンのために、家庭と社会を橋渡しできる就労支援A型施設“ドンマイ”を設立しました。さらには親密な関係を避けてきたために積み残してきた思春期の宿題に取り組む場、つまり精神科医の診察と臨床心理士のペアで行うカウンセリングも設けています。
5.さいごに
 サリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』を読んで、主人公のホールデンは境界性パーソナリティ障害BPDというより回避性パーソナリティ障害AvPDと診断されること、そして彼の精神的大混乱は苦手な対人関係の檻(寄宿舎)の中に放り込まれた結果なのではないかという考えに行き着きました。21世紀の青年であれば社会的に引きこもるという手段で精神的破綻を避けることができたのに、1950年頃は引きこもりという自己防衛手段は思いつかなかったのでしょうね。サリンジャーの対人関係様式や社会との関りを見てみると、人との付き合いは下手で、結婚はするけど続かずに3度離婚します。そして自分を受け入れるコミュニティーの中では静かに暮らしていくのですが、最後はすべての人を締め出して2010年に91歳という高齢で亡くなります。
 まとめますと、境界例は曖昧な概念だから使うのには便利なのですが、近づいていくと分身の術を使って目をくらませます。そんな境界例を理解するのにサリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』は格好の材料になります。でも、再読してみると、実は境界例ではなくて、一時的に境界例状態を呈した回避性パーソナリティ障害だったのではないか、そしてそれは苦手な対人関係の檻の中に入れられた結果だ、ということを述べてきました。この考えは引きこもり青年の理解と援助の一助になるのではないかと思っています。
posted by Dr川谷 at 07:34| Comment(0) | 臨床ダイアリー
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