2016年06月20日

臨床ダイアリー9:怒りのコントロールについてー3−

臨床ダイアリー9:怒りのコントロールについてー3−
 漢字の「感情」とは物事に感じて起こる心のはたらきをいい、感じるの「感」とは神が民の祈りに「心が動く」ことを表し、心に感じること、「おもう」ことを意味します、ということを前回のブログで書きました。このことで興味深い話があります。『日本・日本語・日本人』(新潮選書)で国語学者の大野晋と評論家の森本哲郎が日本人の際立った特徴について丁々発止の議論を進めます。森本は一茶の「やれ打つな蠅が手をする足をする」という俳句を例にとって「(日本人は)情緒的で感覚の面で傑出していると思いますよ。しかし、同時に観察力だって、かなり鋭いものがあるんじゃないですか」と論を展開するのに対して、大野「俳句は一瞬を見るかだけではないですか。・・・それは感じるんです」と感じる心を主張します。
 私は大野に軍配をあげたい。その理由は、西行が伊勢神宮を参拝したときに詠んだ歌を思い出すからです。西行は感じる心を次のように歌い上げます。「何事の おわしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」。西行は何も見ていない。只々、感じて伊勢の地に額ずいて涙するのです。やはり感じる心が際立っていると思いますね。他方、物事を観察し分析する能力は西欧人の方が日本人よりも高いでしょうね。ですので、西欧の人たちが怒りの感情をどのように理解したか、精神分析を叩き台にして考えてみましょう。 
U.攻撃性の精神分析
 人間の心理を深く探求したのは精神分析を打ち立てたユダヤ人フロイトです。フロイトは今のハンガリーに生まれ、4歳のときにオーストリアのウィーンに移住し、ウィーン大学医学部を卒業しました。神経病理学の講師を経て、パリの高名な神経病学者シャルコーの下に留学。そのときにヒステリーに関心を持ち、帰国後精神分析を編み出した偉大な天才です。実はシャルコーは催眠術によってヒステリー症状を出現させたり消去したりすることを劇場化した人なのですが、あるパーティでフロイトに「ヒステリーは性の問題が原因なんだよ」と耳打ちされたと言います。フロイトは、人間の心は無意識の葛藤に支配されるという仮説を打ち立て、自由連想によって無意識の葛藤を明らかにしてヒステリーを治しました。フロイトの精神分析は20世紀の精神医療の土台をつくり1960年代のアメリカの精神科教授の80%は精神分析家が占めるほどに隆盛を極めました。
 しかし、アメリカの経済状況がベトナム戦争後から次第に下り、ドルの力が弱くなると同時にコストパフォーマンスの悪い精神分析は徐々にその力を失っていきました。と同時に、生物学的精神医学の台頭によって1980年にはアンチ精神分析の色濃いDSM−Vの登場によって決定的な打撃を受けたのです。前回、述べた間欠性爆発症の登場もそうした流れの中に生まれた病名と言ってよいかと思います。人間の情緒や行動を脳にその起源を求めて、こころの在り様には無関心なのです。でも、心は脳が産み出したものなので、脳に回答を求めてもいいのではないかという反論も出てくるでしょう。しかし、思考することは脳機能の一部ですが、単純に脳機能だけに割り切れない部分があるのも確かな事実です。そのことを基本に心の中において怒りの精神分析的理解について述べていきましょう。
 ところで前回の臨床ダイアリーで脳科学の貢献について述べましたが、最初はアンチ精神分析だった脳科学者も21世紀になるとお互いに歩み寄りが見られ、精神分析の知見を脳科学的に解明しようという動きへと転回してきています。たとえば、幼少の頃、虐待を受け続けた子どもの多くは長じて境界性パーソナリティ障害へと成長する危険性が高いのですが、彼らの脳MRIを見てみると、確かに左と右の脳を繋ぐ脳梁が薄くなり、主に感情領域を司る右大脳半球だけが肥大し、言語領域を司る左大脳半球の萎縮が見られます。どういうことかと言いますと、虐待を受け続けると記憶と情動を司る海馬が萎縮すると同時に、右大脳辺縁系の興奮状態が続き、脳梁を経由して左大脳への情報が少なくなり左大脳半球は萎縮するということなのです。
 1.フロイトの理解
 フロイトは晩年になって「攻撃性」を「死の本能の派生物で、常に対象や事故に向かう破壊過程として顕在化する」と述べました。死の本能は『快感原則の彼岸』(1920)の中で提唱された概念です。フロイトは人間に認められるマゾヒズムや反復強迫といった現象は死の本能の現れと考えました。その始まりは外傷性神経症(今日の外傷後ストレス障害PTSD)に苦しむ患者が快感原則に反する不快な体験を繰り返し反復するのは何故なのかと疑問に思ったことから始まりました。PTSDの患者は悪夢やフラッシュバックに何度も苦しみます。人間はなぜこのような苦痛を自分に課するのか、という疑問にフロイトは死の本能(臨床ダイアリー『トラウマと反復強迫』を参照)という概念を用意したのです。そして、攻撃性は「死の本能」に組み込まれると考え、死の本能はすべてを無に帰す攻撃的な衝動で細胞レベルにまで押し進めました。
 フロイトは『マゾヒズムの経済的問題』(1924)の中で次のように述べています。「(多細胞)生物においてリビドーは、細胞中に支配する死あるいは破壊衝動の欲動にぶつかる。この欲動は、細胞体を破壊し、個々一切の有機体単位を無機的静止状態へ還元してしまおうとする。リビドーはこの破壊欲動を無害なものとし、その大部分を、しかもやがてある特殊な器官系、すなわち筋肉の活動の援助のもとに外部に放射し、外界の諸対象へと向かわせる・・・・・・・」と。
 果たしてフロイトの死の本能論は正しいのでしょうか?この問題を考える上で最良の質問があります。「なぜ人間は死ぬんですか?」という問いです。あなたは子どもからこのような質問を受けたらどう答えますか。それは、環境に適応できるように遺伝子をシャッフルさせるために、つまりオスとメスをつくって環境に適応できる遺伝子を残すことで種を保存していくのが目的だからなのです。ドーキンスの「利己的な遺伝子」という言葉のことです。生物は自分の遺伝子を残していくために様々な工夫をしているわけで死の本能はない、と言ってよいかと思います。
 単細胞である大腸菌は自分を分裂させて遺伝子を残していくので、環境さえ整っていたら永遠に生き永らえます。しかし、多細胞である人間は変化する環境に生き残るためにオスとメスをつくり遺伝子を残すために死に絶えるようになったのです。つまり多細胞に死の本能があるのではなく、遺伝子を残すために死を設定したのです。
 20世紀の分子生物学の貢献の一つに細胞の遺伝子に組み込まれた死のプログラムがあります。アポトーシス(細胞死)といって傷んだ遺伝子を残さないように生体防御として遺伝子が傷むとその細胞に死をもたらすプログラムを用意したのです。HIVに感染した細胞はアポトーシスを異常に亢進させ、ガン細胞で」はアポトーシスを回避するから増殖を繰り返していきます。癌細胞は条件さえ整えば増殖し続け無機物になるのを避けるのです。
 2.新フロイト派の反論
 フロイトの死の本能という想定は間違っていました。でも天才フロイトの考えに異を唱えることはできない。それに対して新フロイト派は声を大にしてフロイトに反論しました。サリヴァン(1953)は「攻撃性は不安を体験することによって生じる強い孤立無援感に対する防衛反応だ」、クララ・トンプソン(1951)は「フロイトの自己破壊性は、成長や自己保存に役立つ自己主張と、建設的なものにはまったく役に立たない攻撃とを十分に区別していない」、「攻撃心は、成長しようとするそして生命を支配しようとする内的な傾向に源を発している。この生命力が発展中に妨害された時にのみ、まさしく怒り、憤激あるいは憎悪などの要素がそれと結びつくようになる」、フロム(1973)は「人間やその他の動物がもつ攻撃性はいずれも、生存することや死活にかかわる利害に対する脅威への反応」だと主張したのです。フロイトが死の本能を想定したとき彼は口腔癌と第一次世界大戦という悲劇に遭遇し、人生に悲観的になっていました。フロイトは別れの際に必ず「これが今生の別れになるかもね」と口にするほどだったと言われています。それでも多くの精神分析家はペシミスティックなフロイトの思想を支持しました。
 3.「攻撃性」の精神分析ーフロイト以後ー
 その後、攻撃性に関する2つ立場が主流になっていきます。攻撃性を本能とみなす立場の欲動論=フロイト派と本能とみなさない、反応的で防衛的な立場の環境論の2つです。
 1)本能とみなす立場
 その旗振りはフロイトの死の本能論に忠実なクライン(1882−1960)です。彼女は『羨望と感謝』(1957)の中で「羨望」を死の本能のもっとも純粋な現われと考えました。個人においては生の本能と死の本能のどちらが生得的に優位かの違いがあるだけと考えました。死の本能の優位な乳児の場合、自分自身の荒々しい攻撃性を母親に投影し、その結果、母親から迫害されるという恐怖が生じると考えました。しかし、愛する人を傷つけるけど、その傷つきを修正する能力が母親にはあるという確信が育成されるとも主張しました。この考えを私は支持することはできない。クラインの死の本能は遺伝的コード(幻想)に絡み取られているので、母親が乳児から投影されたものを乳児が利用・消化できるようにして返したとしても、死の本能のコードによって解釈されるので乳児の心は変化しないと思うからです。相手に不信感を抱いているときにその思いが自身の攻撃性に支配されている場合、多少の信頼があれば修正は可能だとは思いますが、どんな誤解を解く説明を受けてもその考えに修正を加えることはできないからです。このことは私たちの日常場面を考えるとよく理解できるのではないでしょうか。
 2)反応的なものとみなす立場
 フェアバーン(1952)は「乳幼児の対象希求の満足が剥奪されたり不足したりすることに対する反応」だと述べて、ガントリップ(1969)は「攻撃性は一次的なものではなく、基本的な自我の弱さに対する防衛やその弱さを覆う、ほんのみせかけのものに過ぎない」とフロイトに異を唱えました。
精神分析界に大きな影響を与えた人はコフート(1913−1981)です。前回のダイアリーで説明した自己愛論を展開した、かつてはミスター分析家と呼ばれた人です。彼は、攻撃性は二次的なもので自己対象の共感不全(拒絶)から来る反応性のものだと主張しました。つまり、自己対象の共感不全による外傷体験(トラウマ)のために、自己愛者は常に蒼古的な誇大自己の映し出しを希求し続けると強調しました。例えば、小1になる子どもがテストで百点をとって急いで家に帰って母親に褒めてもらおうと「ママ、百点とったよ」と報告したとします。すると自己愛者の母親は「ママの言うとおりにしたから百点取ったのよ」と子どもの誇大性を映し出すのでは無く自分の手柄にするような母親なのです。
 精神分析に衰退の波が押し寄せてきたときに精神分析の救世主として登場したのはクラインの対象関係論とアメリカの伝統的な自我心理学を統合したカーンバーグでした。コフートは、自己愛は成長促進的か単に防衛に過ぎないと考え、環境の共感不全によって引き起こされる自己愛的憤怒を攻撃性の原型と考えました。一方、カーンバーグは生来の攻撃性を重視し、発達論的に欲求不満にさせる母親への強い愛着が怒りから憎悪への変化の究極の起源である、としました。何れが正しいのか精神分析界は二分したのです。
 4.ビオンとウィニコットの理解
 クラインの対象関係論を独自に発展させたのはビオン(1897−1979)とウィニコット(1896−1971)です。ビオンはクラインの死の本能論に表だって反対はしなかったけど、母親が乳児の投影同一化(乳児が自身の攻撃性を母親に投影し母親が自分を攻撃してくるという幻想を持つこと)のコンテイナーとしての役割を受け入れないと、乳児にとっては外傷(トラウマ)になると言いました。これをビオンは連結への攻撃と呼びました。そして連結への攻撃は乳児の欲求不満耐性と母親のコンテイン機能に左右されると言って、死の本能は想定しなかったのです。彼は乳児の攻撃性を乳児が抱え・消化できる形で返すというクラインの解釈技法を発展させました。母親のコンテイ機能と夢想するアルファ機能が乳児の攻撃性を乳児にとって毒にならないようにする治療技法として発展したのです。
 ウィニコットは、精神疾患は環境の失敗に原因を求めました。環境からの侵襲と「偽りの自己」の肥大化です。乳児のニーズを読み取れない母親に育てられると、そんな母親に依存していないと生きていけない乳児は母親に適応的な偽りの自己をもって適応すると考えました。この偽りの自己は表面的には過剰適応ですが、内面的にはパーソナリティの歪みとなって残り、思春期の頃から「自分が自分でない」「私はなんのために生きているのだろうか」「イキイキと生きている気がしない」「自分の存在意義が分からない」という至極真っ当な悩みに苦しむようになるのです。ウィニコットは偽りの自己に早く気づかせることが大切だと強調します。そして、その治療では分析家が、患者が抱えられない諸問題を一時抱える(ホールディング)機能を重視しました。
 次いで、1980年代になって第三の流れがミッチェルら関係理論の立場から提唱されました。「攻撃欲動は存在するのかそれとも存在しないのか」という二者択一の立場を避けようと努力奮闘する接近法です。「私のこの接近法は、攻撃性の起源について考える場合には、攻撃欲動への信仰を棄てた人たちと一致しているが、しかし攻撃性の普遍性や深さや力動的中心性について考える場合には、攻撃欲動への信仰を保持してきた人々にかなり近いものである」と弁証法的緊張関係を失わずに治療を継続するやり方です。良いとこ取りの考え方ですが、簡単に割り切ろうとしない態度は見習う価値があります。
 私は1980年に精神科医になって、不登校、家庭内暴力の思春期青年期患者やリストカットや過食嘔吐を慢性的に繰り返し自分で止めることができなくなった患者さんを多く治療してきました。その時に人間だけ(?)がもつ「憎悪」に関心を持ちました。なぜ人間は愛着を求める対象を憎悪し続けるのか、という疑問でした。言葉を変えると、依存する対象(親)に暴力を振るうのは何故なのか、です。自己愛的憤怒は憎悪を生む、と同時に、憎悪には愛着が関与する、という答えを見出しました。そして、プリミティブで未分化な対象関係の解明から境界性パーソナリティ障害の治療論を展開してきました。  
 本人も周囲も攻撃性に苦しむ中で治療困難例はカーンバーグが強調する@自己愛的、A反社会的、B妄想的に現実を切り取る思考パターン、の3つが整っている場合です。私は攻撃性に苦しむ境界性パーソナリティ障害の治療にトラウマ論を導入することによって治療の打開策を講じ、成功することが可能になりました。臨床ダイアリー『静かなるBPDと社交不安症』の中で触れた荒々しいBPDの治療論です。荒々しいBPDは母親への愛着が強く、幼少期の愛着障害のために憎悪を内に秘めて成長した人たちです。親が悪い、という視点だけでは永遠に親を憎み続けるだけで一向に治療は進展しません。主体的に自分の問題にケリをつけられるようになるのは、このトラウマ論の導入だと思っています。
 5.さいごに
 攻撃性を精神分析的にどう理解するかというテーマに沿って述べてきました。攻撃性を本能論と反応論という対極する考え方を取り上げ、その矛盾を解決するためにビオンとウィニコットの貢献について論じてきました。そして、私のトラウマ論を少しばかり隠し味として取り上げてみました。いよいよ、次回は「感情のコントローについてー4−」です。具体的に感情をどのようにコントロールしたらよいかについて述べる予定です。
posted by Dr川谷 at 11:02| Comment(0) | 臨床ダイアリー
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