2016年06月13日

臨床ダイアリー7 怒りのコントロールについて

臨床ダイアリー7

2016.06.12:『怒りのコントロールについて』

T.はじめに
 前回から3週間が経ちました。6月上旬の日本精神神経学会の準備のために時間のゆとりがなかったからです、と言い訳をしながら、今回のタイトルは最近よく相談される「感情のコントロールについて」です。その中で臨床的に問題になるのは「怒り」の感情が圧倒的に多いので、タイトルを「怒りのコントロール」と題しました。
 詩人で劇作家の寺山修司は怒りについて戯曲『さらば、映画よ』の中で次のように述べています。「たまには怒ったら、どうですか?怒ると、人間らしくなる。少なくとも怒れるってことは植物じゃできないことだからね」と怒りを人間に備わる真っ当な感情として取り上げました。怒られる方の迷惑については論じてないのですが、『家出のすすめ』にもこんな個所があります。「怒りというのは排泄物のようなもので、一定量おなかのなかにたまるとどうしても吐き出さざるを得なくなる」と生物体として生きる限り当然起きる感情とまで言っているのです。
 そう言えば、野球漫画『巨人の星』で飛雄馬の父親は怒ると卓袱台をひっくり返していましたね。テレビの『寺内貫太郎一家』では何か気に入らないことがあるとすぐに卓袱台をひっくり返す貫太郎のシーンは番組の定番でした。昭和の父親というと気が難しくて短気で頑固でした。外ではどうだったか知りませんが、家ではよく切れていました。昔の日本人、特に父親はよく怒っていました。
 私が小学校6年生に上がるときに担任がS先生と知って嫌だった思い出があります。S先生は切れると暴力を振るうことで有名だったからです。中学ではもっとひどかった。ある朝、担任Kが教室に入るなり「男子は立て」と言って、持参した青竹で男子の坊主頭をゴン、ゴン叩いていくのですから、たまったものではなかった。なぜ担任が腹を立てていたのか理由は言いません。プライベートで嫌なことがあってその憂さ晴らしに坊主頭を叩いていたのでしょう。今だったら大問題ですね。校長、教頭、担任が揃って頭を下げるシーンがテレビで放映されるでしょう。
 それから50年後、日本人は怒りを問題視するようになりました。「父親」の力が攻撃性の抑止力になっていたのが、第二次世界大戦後「父親」の力が弱くなった途端に様々な問題が噴出してきたのでしょう。最初に社会問題として現れたのが1970年代後半です。思春期の子どもが家族に振るう「家庭内暴力」です。そして境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害が怒りの制御が上手くいかない人たちとして登場しました。1990年代に入ると、ドメスティック・バイオレンス(DV)、教師を脅すモンスターペアレント、交際相手の執拗なストーカー行為、ヘイトスピーチ、などなど攻撃性が社会問題化してきたのです。海外に目を移すとテロ行為です。テロに対しては特殊部隊だけでは抑止できないことはわかりきったことです。平和を維持するのには攻撃性を抑える社会構造が必要なんですね。この社会構造を構築するのが21世紀の人類に与えられた課題なんでしょうか。生きていくのが難しくなってきました。
 寺山修司は「怒ってもいいんだよ」「怒るって人間である証拠なのよ」と攻撃性を弁護していたのに21世紀は力で抑え込まなければならない事態になり果ててしまっているのです。それは社会構造の変化とともに攻撃性の抑止力が弱体化してきたということを物語っているのでしょう。それと同時に、社会から個人にズームアップすると、あなたと私の関係でも「怒り」の問題に悩む人たちが増えてきて、怒りの制御が上手くできないと人間社会で生きていけないという事態まで起きているのです。本エッセイでは1対1という対人関係で問題になっている「怒りの上手なコントロールの仕方」について述べようと思います。
 以下の予定
臨床ダイアリー8
 精神科臨床における怒りの問題
  1.パーソナリティ障害
  2.間欠性爆発症
  3.怒りの脳科学の貢献
臨床ダイアリー9
 攻撃性の精神分析
  1.フロイトの理解
  2.フロイト以後の理解
  3.ウィニコット・ビオンの貢献
臨床ダイアリー10
 怒りのコントロールの仕方
posted by Dr川谷 at 10:54| Comment(0) | 臨床ダイアリー
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