2016年05月04日

“静かなるBPD”と社交不安症

2016.05.04(水曜日)『“静かなるBPD”と社交不安症』
T.はじめに
 皆さんは境界性パーソナリティ障害(以下、BPDと称します)という病名をご存知でしょうか?日本では1960年代後半から境界例という病名で精神科医の衆目を集めてきました(詳しくは精神科読本シリーズ15『境界性パーソナリティ障害』を参照して下さい。川谷医院のホームページの精神医療相談室からアクセスできます)。当時の境界例は精神療法を得意とする精神分析医を中心に治療されていました。しかし、彼らに精神分析を施すと、情緒不安定で治療も長続きしません。それどころか、治療を受けている間は大量服薬や自傷行為そして近しい人に対する暴力がひどく、入院治療も長期化し治療は困難を極めました。
 アメリカでは1934年の報告以来、精神分析医を中心に境界例の研究は進み、1980年にアメリカ精神医学会が出版した『DSM―V』で単一疾患として登場しました。パーソナリティが病んでいるという新しい臨床像に日本の精神科医は最初疑心暗鬼でした。ある国立大学の某精神科教授は退官するまでBPDと診断することを拒み続けていましたが、次第に日本精神神経学会でもシンポジウムに組み込まれるようになって、見過ごすことができなくなっていきました。
 私も1990年5月鹿児島で開催された第86回日本精神神経学会のシンポジウム『境界例の病理と治療』で『福岡大学病院における境界例診断の変遷と治療について』というタイトルで発表したことがあります。境界例には2つのタイプがあって、DSM−Vで登場した境界性パーソナリティ障害が年々増加しているという内容です。そのとき、福岡大学病院精神科を受診された境界例を疑われる1169名のカルテから108名の境界例を抽出し、牛島定信先生はじめ10人の共同研究者とともにその診断の変遷と治療内容、そして生活史の特徴を描き出しました。その経験が今日の私の「パーソナリティ発達」の研究への土台になったのだと思います。
 今日、取り上げる内容は、精神科クリニックを受診する患者さんの中に“静かなる”と形容したいBPDの患者さんが増えてきているという精神科クリニックの現在を分析することから始めて、そのパーソナリティ発達を追ってみたいと思います。そしてそのパーソナリティ構造を明らかにしながら、治療の困難性と将来の治療のあり方などについて、成長してBPDにならないためにはどのような養育環境が望ましいのかという含みを持たせつつ、述べていこうと思います。
U.治療の難しい“静かなるBPD”の登場
 “静かなるBPD”という言葉は“荒々しいBPD”に対立させてつくった私の造語です。3、4年前に後輩の精神科医に「BPDは少なくなったのではないですか?以前のように受診してきませんね」と問われたことがきっかけになりました。そのとき、「いやー、精神科医の技量を見限って受診を控えているだけで、裾野は広いんじゃない。でも確かに行動化の激しいBPDは少なくなった印象はあるね。その代りに“静かなるBPD”と呼んだらいいのかな。内的にはしんどい問題を抱えながらも華々しい行動化は少ない人たちが以前よりまして受診してくるよ」と返答したことを覚えています。
 1.“荒々しいBPD”は本当に少なくなっているのか?
 この臨床感覚は間違っていないと思って、今年の6月の日本精神神経学会では「荒々しいBPDは減って静かなるBPDが増えてきている」という報告をしようと計画していたのです。しかし、この1か月間の川谷医院を受診された患者さんの診断を見ると、行動化の華々しい“荒々しいBPD”の患者さんは少なくなってはいなかったのです。むしろ増加していました。というのは、今年の4月から杉本先生が私たちの仲間になってくれて新来患者さんを一人も断らずに診てもらった結果、“荒々しいBPD”も“静かなるBPD”の両方とも受診者数は増えたのです。
 一人で仕事をやっていた時は1週間に診れる新来患者数に限界がありました。それで予約の時点でお断りしていたケースも多かったようです。4月から杉本先生も積極的に新来患者を引き受けてくれました。その結果、“荒々しいBPD”は減少していないことが判明したのです。
 2.BPDの治療ガイドライン
 それでも10数年前の“荒々しいBPD”の患者さんは少なくなったような気がしてならないのです。それはどういうことかと言いますと、恐らくBPDを専門に治療される精神科医の治療技術が向上したことによって以前のような不安定な治療過程(対人関係の不安定さや自己破壊的な行動化など)が少なくなり、その分だけ荒々しさが少なくなったような印象をもつようになったのではないかと思うのです。二つ目にBPDを特徴づける「見捨てられ不安」を巡る諸問題、つまりそこから生じる不安定な対人関係よりも対人関係を避けようとする“静かなるBPD”が登場してきているのも見逃せません。それだけに全体的にBPDの不安定さが小さくなったような気がするのです。
 私たちのBPD治療の技術向上は、2002年4月からスタートした「治療ガイドライン作成」のための厚生労働省の班研究(通称:牛島班)によるものが大きいでしょう。その成果は2008年に金剛出版社から牛島定信【編】『境界性パーソナリティ障害〈日本版治療ガイドライン〉』として出版されました。その内容はBPDの治療の場を入院から外来へと移し、内的問題の解決から社会適応を促していこうとする極めて現実的な対応へとパラダイムが変わりました。(私の論文も「境界性パーソナリティ障害の外来治療―クリニックにおける境界患者の治療の現状と問題点―」というタイトルで掲載されています)。
 その大きな変更を牛島先生は次のように述べています。BPDの外来治療の進め方は、精神科医が主治医として責任をもち、@外来において現実的な生活面での相談に乗り、支援することを中心に、A必要あれば投薬を行ない、B入院させ、家族支援を行なう、Cさらには有用であればデイケアや個人精神療法を行なう治療システムを構築する。精神分析を生業にしていない精神科医でも一般精神科クリニックの保険診療の枠の中で治療が可能だという主張でもあります。
 私の臨床経験では、“荒々しいBPD”にも発達停滞型と退行型の2型があって、退行型BPDの場合はAまでの治療システムの構築で十分な効果が得られます。発達停滞型BPDの場合は、治療の流れによってはB〜Cの治療システムを柔軟に構築していくことが治療の要になります。入院治療も退行型BPDでは危機介入の短期間で済み、発達停滞型BPDの場合はパーソナリティ改築のための長期間を要することが多い、という違いが見られます。そして、状態が改善した後には社会適応の援助と「臆病な自尊心」の生きなおしと「ボア」の克服に焦点が置かれると考えています。臨床ダイアリー『トラウマと反復強迫』の中で述べましたように、“荒々しいBPD”の治療をトラウマ論という視点から行うことによって治療に手応えを感じています。その治療経験から川谷医院では主治医と臨床心理士とペアで行うATスプリット治療や就労支援A型施設『ドンマイ』での就労を行っています。
 3.“静かなるBPD”とは?
 さて、“静かなるBPD”に話を移しましょう。今日では波乱含みの“荒々しいBPD”の治療がクリニックを中心に可能になってきました。しかも長期的な入院治療も減少し自殺者も少なくなりました。アメリカ精神医学会の報告ではBPDの自殺率はうつ病と同じく約10%と高い値です。巷では治らないと匙を投げられていたBPDの治療が今日では取り組みやすくなったという声をしばしば耳にするようにもなっています。
 患者さんやご家族から「治りますか?」と訊ねられて「治りますよ」と返事していたのに、慢心してはいけないという天の声なのでしょうか、新たに治療の難しい“静かなるBPD”が出現するようになったのがBPD治療の現在です。それは“荒々しいBPD”の治療困難性とは大きな違いが見られます。前者は治療関係がなかなか深まらないために表面的な症状の改善、一見すると良くなったかのように見えます、とともに治療を去っていくのでパーソナリティ構造の再構築の治療過程が置き去りにされたままになるので治療が難しいのです。“荒々しいBPD”では繰り返される衝動的で自己破壊的な行動や近しい人たちへの攻撃といった表に現れる華々しい行動化のために巻き込まれた周囲の人たちが医療機関への受診を促すのとは反対に、“静かなるBPD”では周囲を巻き込むことは少なく、傍の者には症状が外に現れないために良くなったと安心してしまうのです。それは主治医との関係でも繰り返されます。“静かなるBPD”の患者さんは表に現れた症状が影を潜めると主治医との治療を避けてしまうのです。残された私たちには現実生活で困って再び受診される日を待つしかないのです。
 4.“静かなるBPD”のパーソナリティ発達を見る
 彼らはどうして内的には変化が見られないのに外に現れる症状が軽快すると治療を止めてしまうのでしょうか?私のこころの癖でその理由を確かめたくなりました。再度、“静かなるBPD”と診断されたカルテを読み直してみました。その特徴はある現実状況では外面的には普通の健康な人たちと何ら変わらないパーソナリティ部分と内的には病的なパーソナリティ部分が互いに行き来することなく共存していることです。前者を「偽りの自己」と呼んでもいいでしょう。それではどうしてこのようなパーソナリティ発達が起きたのかを考えてみたいと思います。
 その生い立ちをご両親(主に母親)やご本人に訊ねますと、圧倒的に手のかからないよい子が多いのです。しかし、一部のBPDに特徴的な「偽りの自己」と呼ばれる患者さんは家庭外でも同様に「偽りの自己」で押し通しています。ところが、“静かなるBPD”の患者さんの場合、家庭外ではどうでしたかと訊ねますと、内気で恥ずかしがり屋さんだったと声を揃えて答えるのです。さらに、内弁慶、八方美人と自己分析される患者さんも少なくありません。性格的に人前で緊張するあがり性だったので、幼稚園・保育園で人前でのパフォーマンス(ダンスや行事)が苦手だったと報告する人も多くいます。中には人前で字を書くのを見られるのが嫌だったと振り返る患者さんもいました。一方家庭では、よく気がつく、明るい元気な子どもという印象を親は持っています。中には「お兄ちゃんが育てにくい子でこの子は全く心配をかけない子どもでした。それに甘えた私ががいけなかったのではないでしょうか」と振り返るお母さんもいました。
 次に、彼らの育った家庭環境を見てみました。お世辞にも決して良い家庭環境とは言えません。お父さんが大変なお酒飲みで家庭の中は緊張に満ちていた、夫婦仲が悪く喧嘩が絶えなかった、両親が離婚した、お母さんが情緒不安定で逆ギレしやすい人であった、お母さんが文字通りに反応する人だった、という“荒々しいBPD”に見られる家庭環境と同じものでした。
 同じ手のかからない良い子と言っても、“荒々しいBPD”と異なって“静かなるBPD”の患者さんは家庭の内と外で異なる2つの顔を持ちながら生活を続けていきます。お母さんが夫婦問題のために子どもの家庭外での様子に気がつかなかったケースもありました。でも圧倒的に多かったのは、母親との緊張した雰囲気を感じ取って、心配させないようにお利口さんであることを役割として育てていく患者さんたちでした。ひと昔前は、“Good Child”と呼ばれていましたが、周囲の期待を読んでそれに合わせていく対人パターンは成長過程で身につける対人関係能力であって、2歳の頃から特徴の一つになるのはやはり病的です。
 “静かなるBPD”の患者さんは家では手のかからないよい子なんですが、学校での友達関係は必ずしもうまくいってません。彼らのほとんどが、10歳前後の自我の芽生えの頃から仲間外れにあう、いじめの対象になる、嫌われないように緊張し過ぎる、などといった不安と抑うつ状況に襲われているのです。そして、いつしか家庭の内と外で異なる顔を持つようになるのです。家庭では母親の顔色を瞬時によく読む良い子なはずだったのに、いじめの対象になるのはどうしたことでしょうか。聞きますと親密な関係を築くのが苦手で「深い関係にならないようにしてきた」と自己分析します。「決して私は良い子ではない」と目を伏せてつぶやく人もいました。この時期は他者の目を通して自己を振り返る能力が開花します。すなわち客観的に自分を見つめるようになるのです。このことは精神科読本シリーズ15『境界性パーソナリティ障害』のなかで小学生の心の発達として詳しく述べていますが、この頃のいじめや仲間外れは子どもたちにとってかなり手痛いトラウマになって劣等感、自己評価の低さ、恥の感覚に悩まされるようになるのです。
 5.“静かなるBPD”の発症
 そして中学生になって対人緊張を強く感じるようになって社交不安症と診断がつくような精神状態に追い込まれ、その多くは高校生になって精神科や心療内科のクリニックに通院し始めるのです。(社交不安症については精神科読本シリーズ17『社交不安症』に詳しく述べています。)その苦しみを「人から自分がどう見られているのか怖い。拒絶されるのではないかと緊張してしまう。なので皆から一人私だけ浮いてしまっている。人とは距離をとって、自分の思いは口にしないようにしている」と語った人がいました。頭痛や吐き気などの身体症状を伴っていることが多く、最初に小児科・内科を受診される人が少なくありません。当然、不登校や高校中退を余儀なくされます。通信制高校をやっとの思いで卒業するなど社会達成度も低く、大人社会で生きていく社会適応能力も身につかないまま思春期を生きていくのです。主観的には、高校生の頃から自分がよく分からないといった不安、自責感の強い抑うつ、慢性の空虚感が支配的になり、空しさを打ち消すために自傷行為や大量服薬といった自己破壊的行動が時折見られるようになります。そのことにお母さんが気づいても“荒々しいBPD”と違って「心配ない」と明るく笑うので、お母さんもそれ以上踏み込むことをためらってしまいます。“荒々しいBPD”のように他者を巻き込むようになるのは生活が破綻した時に限られるのです。
 そして進学や就職といったアイデンティティを問われる状況で混乱が大きくなり、親には秘密にすることが多いのですが、ストレス下で解離状態を呈するようになる人も現れます。さらに、どう生きていってよいか分からなくなり、対人関係も希薄で空虚感を埋め合わせるかのように多数の異性と性関係もつなど、いよいよ混乱も大きくなって大量服薬などの自殺企図が勃発してBPDの特徴が表に現れていくのです。
 6.“荒々しいBPD”との違い
 “荒々しいBPD”との一番の違いはパーソナリティ機能の中の対人関係領域に現れます。“静かなるBPD”では対人関係を回避する傾向が強く、親密な関係を気づくのを避けています。一方、“荒々しいBPD”では山嵐ジレンマと呼ばれる不安定な対人関係が特徴で「見捨てられ不安」に支配されています。一人でいるのは空しく、自分を支えきれないために人を求めるのですが、一緒にいると相手から見捨てられるのではないかと極度の不安に襲われしがみつくと同時に相手が自分を見捨てようとしているという信念のもとに怒りが爆発して関係を壊してしまう。一人になるのも怖い、かといって誰かと一緒にいることもできない、というジレンマに振り回されるのが“荒々しいBPD”の特徴です。
 一方、“静かなるBPD”では見捨てられ不安は小さく、むしろ日本人に特徴的な「他人から良く思われたい。嫌われたくない」という心性が強い。だから、主治医との関係も“荒々しいBPD”のように不安定になることは少なく、関係が深まらないように一定の距離を保ち続けていくのです。彼らは対人関係に非常に臆病なのです。それだけに思春期を通して他者とぶつかり合って他者を通して自分を見るという客観性を育てることに失敗し、現実の一部を切り取り主観的に見てしまう傾向が優位になるのです。それはときに信念とよんでもいいような生き方にもつながっていくのです。
V.“静かなるBPD”の精神科治療
 新しくなったDSM−5を下に“静かなるBPD”と“荒々しいBPD”の病理の違いについて説明しましょう。最も大きな違いはA項目のパーソナリティ機能の対人関係領域に現れます。前者は親密な関係を避ける傾向が強いのに対して、後者では激しく不安定な関係が特徴です。B項目の病的パーソナリティ特性の領域では、前者では後者に特徴的な敵意(対立の一側面)が満たされない点にあります。これらの違いを踏まえて“静かなるBPD”の精神科治療について考えてみたいと思います。
 最初に、“静かなるBPD”の治療可能性についてパーソナリティ発達の観点から見てみましょう。第一に気質的には社交不安症にかかりやすい潜在的傾向として行動抑制と否定的評価に対する恐怖を持っていることが挙げられます。第二にその危険要因として緊張に富んだ家庭環境が挙げられます。第三にその二つが縄を編むように複雑に絡みながら、家の内では手のかからない良い子ですが家の外では社交不安症のために親密な関係を築けないといったスプリットしたパーソナリティ発達が進むということが問題になってきます。そして思春期に他者とぶつかり合うことを避けた生き方のために主観的判断に偏り過ぎるパーソナリティ構造を発達させ、大人になるために欠かせない弁証法的緊張関係を経験しないまま成長し、アイデンティティを問われたときにBPDを発症するのです。
 私は“静かなるBPD”の治療は治療関係が進展しないので難しいと述べてきました。治療関係が樹立しないので当然と言えば当然の結果でもあります。このまま臍をかんでばかりでは埒があかないので、何とか治療の手立てを考えなければなりません。
 かつて日本では「対人恐怖症」に苦しむ青年が精神科をよく受診していました。中でも不安・緊張が身体に現れ、顔が真っ赤になるのを恐れるのを「赤面恐怖症」と呼びました。今でも症状によよって自己視線恐怖症、会食恐怖症と呼ばれる対人恐怖症に苦しむ青年がいます。いずれも「ヒトから自分がどう思われているか」という他者の評価を過度に心配していますので、DSM−5の社交不安症の診断基準を満たしています。
 対人恐怖症の治療を編み出したのは東京慈恵会医科大学の森田正馬先生です。かつて九州では森田療法は九州大学病院で盛んに行われていました。私も医学生の頃に森田療法を独自に学んだのですが、治療者と患者が居住を共にするという治療形態に息苦しさを覚え精神分析へ方向転換した思い出があります。でも、その時に学んだことは今でも私の治療者としての資質に影響を与えているようです。DSM−5の社交不安症を離れて、一度日本の文化とリンクして考えてみたら、その治療のヒントが見つかるのではないかと思うのです。
 ここまで述べてきて、ふと不安になりました。日本の対人恐怖症の患者さんは向上心が高く、何としてでもこの辛い対人恐怖症を克服したいと理想に燃えている患者さんが多いのに比べて、“静かなるBPD”の患者さんはそれほど治療に期待しません。かつて社交の場が苦手な主婦の方が、子どもが大きくなってPTAや子供会に参加しなければならなくなり、治療に通ってこられました。私はSSRIを投与しながら対人恐怖の心理に共感と理解を示しサポートしていきました。ところが数年に及ぶ治療を振り返りますと、彼女も背に腹を変えられない状況に追い込まれた末に通院を続けたわけであって自ら自分を変えようという意識には乏しかったのです。できれば、子供が成長した後は、対人接触の少ないパート勤務で主婦生活を終えたいと希望されていました。
 社交不安症をもつ“静かなるBPD”の患者さんも治療に求めるのは症状の軽減であって、親密な関係を求めないパーソナリティ構造の改築ではないと想像します。困りました。堂々巡りの負のスパイラル思考に陥っています。明日からの治療のヒントになるような知恵が浮かんできません。どうしたら彼らの治療意欲と治療継続率を高めてパーソナリティ構造の改築への治療を進めていったらよいのだろうか。彼らの気質の部分は恐らく変わらないでしょう。でも、親子関係で起きたトラウマの影響は少なくすることができるかもしれない。加えて、思春期に体験するパーソナリティ発達に欠かせない他者とのぶつかり合いの重要性に目を向けさせることも可能かもしれない。そしてそのぶつかり合いを避けたがために現実を主観的に判断し客観的に見ることが難しいパーソナリティ構造には変化を与えることもできるかもしれない。
 想像するに、親密な関係は避けたくても、それでは自分の存在は希薄で確かめられないという切迫した焦りは感じているかもしれない。この焦りを手掛かりに治療を進めることは可能だと思うのですが、治療の中でこころの内を吐露するような主治医との親密な関係は避けいたので、やはり治療に通うのが負担になるという矛盾・葛藤が生じるはずです。この時にスプリッティング機制を扱うことで治療継続は保たれるかもしれません。臨床ダイアリー『新型うつ病について』で展開しましたように、スプリッティング機制が働いていると、治療の内と治療の外では患者さんの意識が変わります。治療の場では親密な関係避ける自分を何とかしたいと切望する一方でそれは大変な思いをするという自分はスプリット・オフされます。ですから治療の場から離れると途端に、スプリット・オフされていた辛い思いが意識化されて次第に足が遠のいてしまうのです。このスプリッティング機制を治療の場でhere and nowで扱うことによって主観と客観のバランスが改善されると、きっと現実の一部だけを切り取って主観的に判断してしまうパーソナリティ構造は変化すると思うのです。
 辿りついたのはパーソナリティ障害の治療で欠かせないスプリッティン機制を扱うという結論になりました。それ以上のアイデアは今のところ浮かんできません。日本サイコセラピー学会雑誌に投稿した『自己愛・回避性パーソナリティ障害の精神療法』という論文で50分という長さの精神療法は患者さんには負担で中断率がとても高いということを指摘しました。それよりも一般精神科の短時間セッションの保険診療の中で現実を回避しようとするパーソナリティ特性と同時に社会に出ていきたいという熱い思いもあること、その弁証法的緊張関係を維持しながら治療を続けていく重要性を指摘したことは“静かなるBPD”の治療にも同じように言えるのではないかと思っています。
W.さいごに
 “静かなるBPD”という言葉を使って、かつて臨床で猛威を振るっていた行動化優位の“荒々しいBPD”に対比させて、そのパーソナリティ構造の違いや治療の困難性について述べてきました。“荒々しいBPD”の日本版治療ガイドラインも刊行されました。それから7年経った現在、私はBPD治療にトラウマ論を絡ませた治療モデルを提案しています。しかし本論のテーマである“静かなるBPD”の治療モデルは暗闇の中で右往左往している段階です。今、言えることはスプリッティング機制を扱うこと程度しか思いつきません。 

参考文献
1.牛島定信【編】『境界性パーソナリティ障害〈日本版治療ガイドライン〉』.金剛出版、2008. 
2.川谷大治、牛島定信、鈴木智美ら:福岡大学病院における境界例診断の変遷と治療について.精神神経学会  雑誌vol.92(11);830-837,1990.
3.川谷大治:臨床ダイアリー『トラウマと反復強迫』
4.川谷大治:臨床ダイアリー『新型うつ病について』
5.川谷大治:自己愛・回避性パーソナリティ障害の精神療法.日本サイコセラピー学会雑誌vol.16(1);  25−33,2015.
posted by Dr川谷 at 23:21| Comment(1) | 臨床ダイアリー
この記事へのコメント
こんばんわ。私は現在34歳、15年程前に境界性パーソナリティ障害と診断されました。当時は初めて耳にしたので本を読んでみました。ですが、色んな本に書かれているパーソナリティ障害の症状とは少し違う気がしていました。
暴れたり暴言を吐く事はできませんでした。ここに書かれてある
「静かなるBPD」というものに似ている様な気がします。このブログを拝見させていただくまでは自分が無意識だっただけで、人と関わると暴力的になるのだと思い人と関わる事を避ける様になりました。あと、家族に対しての自分と、本来の自分というか、何と言えば伝わるのかわかりませんが家族と居ると窮屈な自分になり、長く一緒に居ると1人になった時、自分はどんな人間だったかわからなくなります。それは、外の人と関わる時もです。普通でなければならないとか、変な事を言ってはいけないとか。自分がどういう人間か分かりません。
白黒思考がいけないという事で灰色の自分というと何もかも諦めて受け入れる事で精一杯です。先生のブログを読んで私は静かなるBPDに該当するかは分かりませんが、そういうBPDもあるのだと知れて少し救われました。世の中での境界性パーソナリティ障害に対しての偏見が酷すぎて、何だか悪魔の様に見られてる様で辛いですが、頑張ります。
Posted by さち at 2017年01月11日 21:32
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