2016年10月04日

臨床ダイアリー12(番外編):社交不安症について

臨床ダイアリー12(番外編):社交不安症について
2016.⒑04(火曜日)『私、コミュニケーションが苦手です』
1.はじめに
 臨床ダイアリー12を読んでくれた研修医Wさんから臨床ダイアリー12を質疑応答の形式にしてはどうかという話があったので、彼女の意見を聞くと、私の拙い話よりも数倍分かりやすかったので、実験的に番外編として臨床ダイアリーに載せることにしました。原稿用紙10枚ほどの短さになっているのも嬉しいですね。

2.研修医Wさんとの質疑応答 
W:コミュニケーションが苦手です、という人、思春期から大人まで、多いように思いますが、一体、何が原因 で、どうしたら治るのでしょうか?
川谷:いわゆるコミュニケーション障害、というのは、神経発達症の一つで、子どもの時に診断されます。川谷 医院を受診される方の多くは青年期以降の方で、よくよく話を聞くと、社交不安症のためにコミュニケーショ ンが取れなくなっている人がほとんどです。
W:社交不安症というと、人前で緊張し、声が震え、手に汗をかき、顔は引きつり、頭の中は真っ白になり、対 人交流が滑らかにできない状態ですよね。
川谷:そうです。共通するのは、うまく会話ができない、という主訴です。「Tシャツを買いにお店に入って店 員さんが近づくと逃げるように帰ります」という人、留守番をしているときに宅急便がやってきても「原則、 私は出ません。居留守を使います」という青年、そして「PTAや地域の交流会などでとても緊張して、でき たら避けたいけどそれもできないので、とても辛いです」と訴えるお母さんも少なくありません。大学を出た ばかりのある女性会社員は「会社で電話に出ることができません」と泣きながら受診されました。ワンフロア ―の一画に十人ほどの部署があり、そこに彼女のデスクがある。黙々と働いている他の社員を前に電話に出る と、周りの人が聞いていると考えると、会話をするのができないというのです。
川谷:DSM-5の診断基準は、こうなっています。
 A.他者の注視を浴びる可能性のある1つ以上の社交場面に対する,著しい恐怖または不安。
  例:社交的なやりとり(例:雑談すること、よく知らない人に会うこと)
  見られること(例:食べたり飲んだりすること)
  他者の前で何らかの動作をすること(例:談話すること)が含まれる。
  注:子どもの場合、その不安は成人との交流だけでなく、仲間たちと   の状況でも起きるものでなけれ  ばならない。
 B.その人は、ある振る舞いをするか、または不安症状を見せることが、否定的な評価を受けることになると  恐れている(すなわち、恥をかいたり恥ずかしい思いをするだろう、拒絶されたり、他者の迷惑になるだろ  う)。
 C.その社交状況はほとんど常に恐怖または不安を誘発する。
  注:子どもの場合、泣く、癇癪、凍りつく、まといつく、縮みあがる、または、社交状況で話せないという  形で、その恐怖または不安が表現されることがある。
 D.その社交的状況は回避され、または、強い恐怖または不安を感じながら耐え忍ばれる。  
 E.その恐怖または不安は、その社交的状況がもたらす現実の危険や、その社会文化的背景に釣り合わない。
 F.その恐怖、不安、または回避は持続的であり、典型的には6カ月以上続く。
 G.その恐怖、不安または回避は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域  における機能の障害を引き起こしている。
 H、I、J:物質や他の精神疾患(パニック障害、醜形恐怖症、自閉スペクトラム症など)ではうまく説明さ  れないし、身体疾患とは無関係である。」
W:子どもの場合というのは、何歳くらいでみられるんですか?
川谷:社交不安症はアメリカの場合発症年齢は75%が8〜15歳と言われ、その平均値は13歳です。川谷医院を 受診された小学生の中に学校から帰ると玄関先でおもらしする少女がいました。しばらくして、彼女は学校の トイレを「他に誰かがいると排尿できない」という社交不安症状のために使うことができないということが分 かりました。それで学校では排尿を我慢し続け、やっと家にたどり着いてほっとした瞬間におもらしをすると いう事実が分かりました。母親にはそのことをずっと秘密にしていたのだそうです。内気さゆえにトイレを使 えないので、「内気な膀胱症候群shy bladder syndrome」と呼んだりもします。
W:社交不安症の原因は何ですか?
川谷:社交不安症は気質要因の強い疾患です。その気質とは「行動抑制と否定的評価に対する恐怖」です。親戚 や祖父母、ときには両親のどちらかが若い頃社交不安症で苦しんだ人が少なからずいるようです。とは言って も、環境の影響を否定することはできません。子どもの頃の虐待は社交不安症の危険要因の一つです。人と視 線を合わせられないという成人例に幼少期の父親による厳しい叱責が原因だった症例を私は経験しています。
W:元々持った気質に加えて、子ども時代からの環境も影響しているんですね。社交不安症は、対人恐怖症とは 違うんですか?
川谷:対人恐怖症は、社交不安症に近い病態ですが、違いがあります。対人恐怖症は、赤面恐怖(顔が真っ赤に なるのを恐れる)、大衆恐怖(大勢の人たちの前に出るのを恐れる)、演説恐怖(人前でスピーチをするのが 恐い)、談話恐怖(誰かと雑談をするのが恐い)、正視恐怖(視線を合わせるのが怖い)、劣等恐怖(自分が 人より劣っているのではないかと過度に恐れる)、交際恐怖(誰かと交際するのがとても怖い)、異性恐怖(異性が怖い)、長上恐怖(年長者が怖い)、などがあります。
W:一つ一つは、DSM-5の社交不安の症状に当てはまるようですが・・・
川谷:しばしば社交不安症の診断基準を満たしていますが、中には他の人を不快にさせるという恐怖と関連して いて、この恐怖は妄想的に解釈されることが社交不安症との大きな違いです。例えば、『私の視線が他者を不 快にさせる。それで彼らは目をそらし私を避ける』という自己視線恐怖のような妄想的な解釈ですね。」
W:「私も中学生の頃、赤面恐怖があって、人と接するのが怖かったです。だけど、部活の試合で緊張すること に慣れていくうちに、克服したように思います。」
川谷:対人恐怖症と社会不安症のもう一つの違いは、症状に対する態度の違いです。社交不安症では回避、対人 恐怖症では克服という症状への取り組み方の違いが見られるのです。それは精神科治療を求める動機にも現れ ます。両者とも不快な症状から何とか逃れたいというニーズは同じなのですが、対人恐怖症者は精神科治療で 自分を高めようという積極的な動機があるのに対して、社交不安症者は回避機制が強く自分を変えたいという 治療動機は小さい。場合によっては薬だけを求める人も少なくありません。対人恐怖症者は回避行動を自ら克 服しようとするエネルギーを持っていますので、薬を飲むのを嫌がる人が多い。薬に頼る自分を恥じるので  す。父親世代では、逃げる(回避)のは卑怯という武士道精神が根強いのでしょう。ですから、対人恐怖症の 人には、わざわざ博多駅前の中央広場に出かけて人目に自分を晒すといった試みをする強者もいました。社交 不安症ではそのエネルギーは回避行動(人に不審がられないように偽の自分を演じる)に費やされますので、 精神科治療を求める態度や主治医に求めるニードや関係性の質が問題になります。20年前は、社交不安症よ  り、対人恐怖症の方が多かったんですよ。
W:社会の変化が患者像の変化にもみられているんですね
川谷:そうですね。対人恐怖症を生み出した日本の文化が変貌したせいでしょう。対人恐怖症でみられる症状の 元となる自分自身を変えようと努力する姿は、武士道精神に則っているように感じますが、社交不安症では、 人目にさらされるのを回避することに抵抗がありません。
W:日本の文化…環境が変わったために、心の育ち方も変化していき、対人恐怖症から、社交不安症へと病像が 移り変わっていっているのですね。社交不安症を発症する背景に、パーソナリティの問題はあるのでしょう  か?
川谷:社交不安症者は8〜15歳の間に75%の人たちが発症するわけですから、思春期に仲間体験を持てないと いうことは、「自分とは何か」というアイデンティティ形成を暗くし、自分に誇りを持てなくなるというハン ディを負いかねません。「自分は人とどこか違う」「みんなのように普通に生きていけない」という不安や劣 等感を人知れず抱きながら生きていくとパーソナリティ発達も停滞するでしょう。
W:いつ頃から気づかれるのですか?
川谷:割と早いようです。幼稚園時代に発表会などの人目にさらされる状況で始まります。舞台に上がるのを泣 いていやがったり、ダンスをするのを嫌がったり、というエピソードが挙げられます。そして、小学校に上  がってから人知れず社交不安症に苦しみだします。教室に入るときに「おはよう」と言うのが普通に言えない とよく聞きます。もちろん、授業中に自ら手を挙げることはできません。運動会や発表会など、人の目にさら されるのをとても嫌がり、当日になると心身反応のために学校を休んだりする子もいます。
 そこに10歳前後の自我の芽生えの時期がやってきます。この時期は自己を他者の目を通してみる客観性の能力 を獲得する重要な時期です。と同時に、心理的に危うい時期でもあります。と言うのは、この時期の脳活動は 短期記憶よりもエピソード記憶が優勢になり、過去の失敗や恥の体験を長く記憶に留めるようになり、かつ客 観的に自己と他者を比較できるようになるので、この時期の傷つきはトラウマになりやすく、子どもたちに劣 等感と恥を植え付けていくことになるからです。そして青年期に「自分は人よりも劣っている」「つまらない 奴」「化けの皮が剥がれる」といって人と接することを避け、社会的に孤立し、引きこもり青年へと成長して いく危険性を孕んでいるのです。社交不安症のもともとの症状に恥と劣等感とうつ症状が加わるわけですか  ら、この時期を乗り切るのは大変な努力を伴います。
W:青年期になって、一部の人はパーソナリティ障害化するのでしょうか?
川谷:社交不安症の人が青年期以降にパーソナリティ障害化する危険性は低くありません。社交不安に加えて、 幼少期の家庭環境に問題があると、将来BPDへと発展する可能性が高くなります。それが“静かなるBPD”で  す。両親の離婚、虐待、逆ギレする母親、文字通りに反応する母親、などの環境で育ち、さらに高校を中退す るような事態にでもなれば、さらにパーソナリティ障害化の危険性が高くなります。高校を辞めると、緊張場 面からは解放されますが、自尊心は育たないし、自分がどれ程の人間か相対的に自分をみる機会を失うので、 空想世界に自分を求めるしか手段がありません。すると、「他者」あっての「自己」なわけですから、高校中 退は「自己」の成熟を停滞させます。それを私は“静かなるBPD”と呼んでいます さらに、引きこもりが長期 化すると回避性パーソナリティ障害(以下、AvPD)へと発展する可能性も出てきます。AvPD者はいろんな対 人関係場面で強い不安・緊張を感じやすく、そのために対人関係を避けようとする機制(心のクセ)がパーソ ナリティに組織化された人たちなのです。
W:それって社交不安症とどう違うのですか?
川谷:両者は一つのベクトルに乗っているので、社交不安症者が社会から長い間引きこもるという状況はすでに AvPDに発展していると考えてよいでしょう。
W:パーソナリティ障害化されていない人とされた人とでは、治療や予後が大きく変わりそうですね。
川谷:そうですね。SSRIという薬が社交不安症に使われます。10代、20代では効果を上げる人にはある特徴が あります。“普通”の人のように誰とでも打ち解けることはできませんが、地味だけど自分を出せる社交の場を 持ち、パーソナリティ障害化していない方たちです。私は少なくとも1年以上の服薬を勧めています。30代以 上の女性は薬物治療で全員良くなっています。
W:薬が効果を上げない人たちはどのような治療法があるのですか?
川谷:その質問に答えるのは難しいですね。といっても、約半数もいるわけですから、手立てを講じなければな りません。特に、20代の男性が薬の効果が限定的で女性のように効果を上げません。
W:精神療法はあまり行われないのですか?
川谷:社交不安症に苦しむ人の精神療法の継続はとても難しいのです。50分の精神療法は心理的負担が大きいの で、カウンセリングに技法の修正と工夫を要します。認知行動療法と薬物治療の併用が効果的だという論文も 散見されますが、当院では精神分析を応用したカウンセリングを行っています。認知行動療法が効果を上げる 人たちなら、診察以外に時間を取らないでも、薬を使いながら、通常の短時間セッションの保険診療で十分に 効果をあげることができます。川谷医院では、薬が思った以上の効果を上げない人たちにはATスプリット治 療を提供しています。精神科医の診察と心理士による心理療法(カウンセリング)を週1回、50分行う治療法 です。
W:今日は、人とうまくコミュニケーションがとれなくなる「社交不安症」に関する、対人恐怖症との違い、生 い立ちとパーソナリティ発達、そしてパーソナリティ障害化についてお話を聞きました。社交不安症は気質と 環境が複雑に絡みながら進展していくんですね。
川谷:そうです。単純に性格と片付けることはできないし、そのパーソナリティ発達を見ながら、オーダーメイ ドの治療法が必要だと思います。

3.終わりに
 如何でしたか?随分と分かりやすくなったと思います。しばらく対話式でやってみたいと思っています。次回の臨床ダイアリー14は「鴎外のスプリティング」です。スプリッティングはいつか説明したいと思っていた分析用語です。それを鴎外の小説家と医師という2つの顔を彼の小説を題材に説明しようと思っています。
posted by Dr川谷 at 21:34| Comment(0) | 日記